第33話 会計書類とホットケーキ
長らくお待たせいたしました。今回は鬱回かもしれません。
昨夜に比べたら随分とよくなったが、まだ普段と比べたら少しむくれ顔のアイザックと一緒に王城へ行く。
よくよく計算してみたらまだ1週間経ってないのに何だろう、この馴染みっぷりと疲労感…。
中隊長室へ行く廊下で、アラン始め、顔見知りの騎士達が至るところで死屍累々になっている。
そしてドアを開けたら机が唸りそうな量の書類の山が出来ていた。
一気にげっそりした顔と死んだ眼を見て、「手伝わない」という選択肢は出なかった。
最初は山と積まれた書類の上から崩しにかかっていたが、まだ余力のある副官のアイリスに平箱を3つ用意してもらう。
【大至急】【重要】【保留】。本当はもっと細分化したいが、大雑把にでもやっておく方が効率がいいだろう。
2人で手分けして書類を箱へ放り込み、ある程度溜まったところでアイザックへ渡す。
戸惑わず余計な事は聞こうとせず、ただ書類を捌く速度だけが増した。
「タツキ殿、助かりました。おかげでいつもより早く終わらせる事ができました…」
「『いつも』と言うと、この騒ぎは毎月あるんですか?」
「ありますわ。絶対に犯人はオーターン伯爵です!」
アイリスがきれいに整った眉を吊り上げて怒り始めたので、宥めるのに少し時間がかかったが少しは話を聞けた。
オーターン伯爵というのは敬称で、ファース子爵が儀礼称号?ううん、頭がこんがらがってきた…。
アイリスが証言するには、『子爵率いる第2隊からの書類はいつも期限ギリギリで届く』そうだ。
ちなみにアイザックが率いるのは第8隊。
その子爵が締め切りギリギリを狙って突っ込んできているのか、はたまた他の要因が絡むせいで遅くなるのかまでは判断がつかなかった。
…アイリスを全く信用していない訳ではないが、意図しない嘘という可能性まで含めて考えておこう。
ベネディクト・ファース子爵は肩につく程度の長さの青い髪を靡かせ、目尻が上がって鋭く見える茶色い瞳の若い男だ。直感的に性格がきつそうなタイプだと見た。…こっちに来てから、概ね普通の髪色ばかり見てきたせいか、青い髪を見て少し驚いた。
聞けば、中隊長はアイザックを含めて18人。一番性格がきついのがファース子爵だという。
「ファース子爵は士官学校を首席で卒業した有能な方ですが、あまり人好きのする性格ではなくて。しかし悪い男ではないのです」
「私は嫌いですわ。あの物言いのせいで雰囲気がぎくしゃくした事も多々ありますもの。きっと来賢様も頭にきますわ」
「どうでしょう。自分では気は長い方だと思います」
そもそも、気が長くなきゃどんな仕事だって無理じゃないのか、と思ったのは内緒だ。
「この後は隊長と中隊長たちが集まった会議がありますが、どうなさいますか?さっきの書類の仕分けでお疲れでしょうし、執務室に戻っていても構いませんよ」
「いえ、是非参加させて頂きたいです」
会議に集まったのは大隊長9人と副官が9人、中隊長と副官で合わせて36人。
近衛兵から隊長と副隊長が12人。カムデンが隊長の後ろでにこにこしていたので愛想笑いはしておいた。
計48人、俺も含めたら49人が長方形の会議室にいる。口の字型に置かれた長テーブルに面した椅子に座っているのは隊長職。副官達は隊長の後ろ、壁際にずらっと並べた椅子に座っている。
俺も副官の並びに行こうとしたら、アイザックに「こちらへ」と手を引かれた先は隣の椅子だ。
会議室は目測で天井高3メートル、畳換算でざっと80畳。…見学に行った新設ホームの食堂くらい広いな、と現実逃避に走ったのは悪くはないはずだ。
「では定例会議を開始します。それと、お気づきの方も多いでしょうが今一度紹介させて頂きます。今代の来賢殿であらせられる、マルハシ殿だ」
「どうぞよろしくお願いします。来賢ではありますが、軍事に関しては皆様は経験豊富な専門家でいらっしゃいますので特に私から言う事はございません。ですが後々ご教授頂ければ大変光栄です」
要するに、「あなた達プロの意見に素人の私は口は挟みません。でも後で説明してくれると嬉しいです」をオブラートに包んだ訳だ。
「今代の来賢殿は、来勇殿と一緒に行動なさらないのですね。お珍しい」
「別行動しているのが珍しいですか?来勇の彼らは全員、多かれ少なかれ互いを見知っている。そこへ部外者の私が混ざっていては彼らの気も休まらないでしょう。
それに、バラン家の方々にはとてもよくして頂いてます」
「…貴殿が良いと言うならそうなのだろう。では、最初の議題だが…」
議題は国境警備や食料の備蓄、徴兵に続いて新兵の訓練内容など、数年内に戦争があるとすれば普通な議題だ。
だが近衛兵達から出た、来勇達の話題にはメモを取る手が止まった。
「来勇殿達の訓練具合は随分慣れてきています。さすがにあれだけリターンしていれば新
兵から中堅くらいには成長しますとも」
字幕の途中に何だか不吉な予感がするルビが付いているので、そっと隣のアイザックに聞いてみた。
「歴代の来勇殿達が必ず持っている技能、と聞いています。…しかし、大人ですら心が折れるという噂もありまして……タツキ殿?顔色が悪いようですが…」
精神が擦り減りまくってやばそうなので心配なので少し顔を見たいけど、果たしてそう言ってすんなり聞いてくれるだろうか?
会議が終了宣言されてすぐ、近衛兵の隊長を捕まえに席を立つ。
「来賢様、どうなさいました?」
女性の隊長の隣から笑顔で白々しく声をかけてきたのはカムデンだ。助け船のつもりだろう。ありがたく乗る。
「来勇様たちの様子が気になって。会う事は可能でしょうか?」
「会えると思いますよ。ご案内します」
何本もの柱が等間隔に長い影を落とす廊下を歩いていく。階段を上がって廊下を曲がり、そして別の階段を降りて廊下を歩く。…これ、わざと遠回りさせているのか?
「不躾ですが、どなたかの身を案じていらっしゃるのですか?」
「いいえ。ただ年若い彼らの状況が気になっただけで」
別に誰が暴走して王城の一角が消し飛んでも構わないんだが、一応面識がある子の近況は知っておきたい。
30人いる中の2人しか気をかけないというととんだ薄情者扱いされそうだが、面識もない28人も追加で世話できるほど、俺は裕福でもないし精神に余裕もない。
案内された先は別棟の大広間。隅の椅子の上に膝を抱えてぼんやりと座り込んでいたのは、山城さんだ。
目の前に膝を折って声をかける。
「山城さん、お久しぶりです。丸橋樹です」
俯き加減の顔、きろきろと不安そうに揺れる眼、色濃い隈、肌荒れ、艶の失せたばさばさの黒髪にぼそぼそと小さな声で「お、お久しぶりです」と返してきた。正直言うと、初対面の時の彼女とはまるで別人だ。
山城さんの肩越しに、青い顔になったアイザックがカムデンに大広間の外へ引き摺られて行くのをちらと見ながらなるべく優しげに見える笑顔で微笑んだ。
「少し外で話しませんか?」
「驚きました。丸橋さんが来るなんて思ってなくて」
「私もこうすんなり会えるとは思ってませんでした。もっと小難しい書類で申請出したり盥回しするのかと。よくあるでしょう?あっちの窓口でこの書類、こっちでその書類とか」
大広間の表側は広い石畳になっていて、今も男子生徒達が習練しているようだ。剣戟の音が聞こえる。
裏手には綺麗な植物園と噴水があり、噴水の近くのベンチでぽつぽつと話した。
男子生徒の様子、女子生徒の様子、食事や睡眠状況などごく日常的な事を話したいだけ話させる。
カウンセリング技法なんて聞き齧りもいいところだし、近年の研究では無理な聞き取りは苦痛の緩和にならないという話もある。
メモをとりながら綱渡りを終え、「今度は甘い物でも持ってこようかと思ってます」と何気なく呟いたが、「ホットケーキが食べたい」と聞こえたので振り向いた。
「ホットケーキ?いいよね。上に何をかけたい?」
「…バターとはちみつ。でもジャムも欲しい」
「うん、美味しいよね。ホットケーキは流行りのふわっとしたの?それともオーソドックス?」
「ぺったんこの方。あったかい焼き立てが食べたい。…冷めた食事は嫌、お風呂に入れないのも嫌、死ぬのも嫌…!!」
俺の胸を力なく叩く彼女の拳と泣き顔の向こう側に、どろりと血の満ちた傷口を見た。




