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第32話 飴と鞭とお酒

たっぷり1か月お休みしたので今回は文字数増し増しでお送りします。

さて、アレクサンダーさんはメンテのつもりで来たら、口出ししたせいで余計な事になってしまったというかさせたというか…。

「マルハシ様が伝授してくださった義肢の仕上がりが楽しみです」

お世辞が重たいよ…。


ぐぎゅう。と、誰かの腹の虫が鳴いた。

「失礼、私だ」

「いえ、いい時間ですからね。この近くでどこか」

そこまで言ったあたりで何故か2人が猛然と首を横に振った。

「ダメです。あそこにお連れするのは絶対ダメです」

「何でじゃ!?大旦那の行きつけより、わしの行きつけの方が値段は安いし場所も近いから気楽じゃろ!?大旦那ぁ、何とか言うてくれやぁ」

落ち着いた雰囲気のトリスさんが珍しく語気も荒く反論していて、剣幕にタジタジになったヴァレンさんがアレクサンダーさんに泣きついた。というか、炉は見てなくていいのか?

「すまん、ヴァレン。さすがに弁護できん」

「ぬおぉぉぉ…」

そして形勢が不利だからって俺をチラチラ見るんじゃない!

「ヴァレンさん、諦めてください」

とどめでにっこり笑顔を向けると、ヴァレンさんはがっくり項垂れた。


アレクサンダーさん行きつけのお店に徒歩で向かう道々、後ろからは度々溜め息が聞こえてくる。

「往生際が悪いぞ、ヴァレン。ただ一緒に飯を食うだけだ」

「そう軽く言っておるがのう……ん?」

「どうかしましたか?」「おお、あっちに知り合いがな。おーい!」

知り合いが、と指差した先では1組の男女が言い争っている、所詮「修羅場」が広がっていた。

俺を含めた3人が若干距離をとったが、ヴァレンさんは呑気に近づいていき、更に場を混乱させていく。

「……蹴られて死なないといいですね」

そっと顔を背けたところで、どこかの店先で衝突音と男の悲鳴が上がった。



予想通り、ヴァレンさんは修羅場という馬に蹴られてしまった。まあ、あちらさんはおかげで鎮静化した訳なので結果オーライだろう。

「打撲が2か所、骨折はなし、頭は強打してないので今日と明日は様子見ですね。念の為に、お酒は普段より控えめにしておいた方がいいと思います」

「ヴァレンのおっちゃん、すまん!!」「本当にごめん!」

喧嘩していた男女2人は青い顔で頭を下げているが、頭を下げられているヴァレンさんの両頬には、それは見事な大小1組の紅葉が貼り付いている。

「お前さんら、喧嘩するのはこりゃしょうがねぇ。だがな、わしは頑丈だからいいが、両側からの平手は洒落にならん」

…不謹慎なのは承知の上だが、簡単に診察しながら笑いをこらえるのは大変だった。



「で、何でここに戻って来ちゃったんですか?!」

「そ、そうは言うがその、成り行き?」

トリスさんの努力虚しく、回避したがっていた場所に来てしまったらしい。俺の隣のアレクサンダーさんは既に遠い目になっている。一体ここには何があるんだ…?

ヴァレンさんをシンクロ張り手した男女と散々すったもんだ揉めた挙句、最終的な落としどころとして「最初の飲み物1杯だけ奢ってもらう」という事になった辺りからだろうか。

「どうしました?」ときょとんとした顔で聞いてくる女性―「エリス」と自己紹介していた―に曖昧な笑顔を返し、とりあえずアレクサンダーさんだけでも座らせようと席を確保すべく目の前の店の両開きスウィングドアを開け、すぐに閉じた。

久しぶりに、地獄を垣間見た。

「マルハシ殿…?」

背後にいるアレクサンダーさんへにっこりと微笑んでみせ、「さ、入りましょう」と促した。

尤も、実際に入るまではやや時間を要した訳だが。怯える要素はなかったはず。


根性据えて両開きのスウィングドアを通過したが、脂と泥と他の不明物質の混合体でぎっとりカバーされた床は滑りやすく、歩幅を小さく取って歩かないと容易く足をとられて転倒する。現に、視界の端では足元の定まらない酔漢が転んでいた。

常連達の物珍しげな視線の集中砲火をよそに、手を振って「ここだよ」とアピールしているエリスと彼氏のリュート、ヴァレンさんの陣取る立ち飲み用のテーブルへ向かう。座るタイプじゃなくてよかった。

「さっきエール頼んだからもうすぐ来るよ」

近づいてきた厳つい男の両手に握られていた6つの木のジョッキがどしん、とテーブルに置かれ、3つは素早く、残りの3つはやや時間を置いて手に収まった。

「ええと、じゃあ乾杯!」「乾杯」

口をつける寸前で薄らと漂う饐えた臭いを感じ、キュッと口を閉じた。ジョッキの縁は唇に触れているので、空唾を飲んで飲んだフリ。

「あれ?お兄さんあんまり飲んでないね?」

エリスが目敏く減っていない中身に気づいたが、「実はお酒に強くなくて」と釈明する。間違った事は言っていない。

「俺たちしょっちゅう飲んでるけど、エールってそんなに強かったか?…で、そっちの2人はどうしたんだ?」

隣の2人はもろにガブリと1口飲んだんだろう。吐こうに吐けず、悶絶しながら揃って外へダッシュしたのを、「お酒が傷口に相当沁みるみたいです」と誤魔化しておいた。


「おかみさん、今いいですか?ちょっとしたお話し(・・・)があるんですが」

そう話しかけたが、痩せぎすの女主人は「……こっちだ。手短に頼むよ」と裏の小部屋へ案内された。

「単刀直入に言う。この酒場、最近飲み食いした人が吐き気や腹痛を催したり、饐えた臭いがすると言われてないかい?」

「!あんた、どっからそんな情報を?!言いな、どこの差し金だい!」

…そんなにあっちこっちから恨み買ってんの?大丈夫か?

「差し金じゃないさ。たまたま、知り合いの知り合いがここに行くって言うから引き摺られて来た、ただの旅行者だ。さっき言った事は観察すりゃすぐ分かる。それと、あの小汚い床。あれは早急にどうにかした方がいい。さっき誰か転んでたぞ」

「ああ、転んでたのはあたしも見てたさ。だけど何をどうしろって…」

「簡単さ。掃除(・・)だよ」

ちょうど人手はたんまりある。上手く操縦すれば予想以上に効果は出るだろう。

「おかみさん、ちょいと幾つか調達しなきゃいけないんですが、予算はどれくらいで出来ますか?」

「モノにもよるね。言ってみな。でも出来ないモノは諦めておくれ」

「わかりました。まずは…」



「ちょいとあんた達!皆にこっちの若造から話しがあるんだ。逃げるんじゃないよ!」

「野郎共、そして女性達。美味い酒が飲みたいかー!?飲みたい奴は挙手!」

殆どの人が挙手した。よし、いい食いつきだ。

「今から全員にちょっとした仕事をしてもらう。手伝ってくれたら、その分早く酒が飲めるって訳だ。おまけにいい仕上がりなら追加もあり。…ここまで聞いて、抜けたい奴は?いない?

よし、まずは家具を裏へ運び出して」

きょとんと顔を見交わす酔漢達に「駆け足!酒がなくなるぞ!」と尻を叩いたら、まあ早いこと早いこと。

立ち飲み用のテーブル、足が欠けた椅子、誰かが置き忘れた空き瓶、その他雑多な物がどんどん裏に運び出された。この辺りで表へ逃げていたアレクサンダーさんとトリスさんも戻ってきた。

「お兄さん、次はどうするの?」

「ではホールの床掃除を。本当は壁も掃除したいけど、無理なら床だけでいい」

「まっかせて!」

途中から指揮をとってくれたエリスにホールを任せ、厨房へ足を踏み入れた。

……ここもホールに負けず劣らず酷い。口元と鼻を覆うように、折った古布の間に紐を通して即席の手術用マスクっぽく作ってみた。

「こりゃ買った古着に着換えて正解だったな。よし、やるか」

看護師兼介護士の掃除能力、見せてやる!


まずは竈の大鍋を人手を募って裏へ出し、棚にある細々した壺や容器も移動。

ついでに人手を遊ばせておくのはもったいないので、汚れがこびりついた食器の山と一般ルートで出回る柔らかい石鹸十数個、洗い用と拭き上げ用の2種類の布の山を渡し、食器も洗わせる。ここの指揮はトリスさんとアレクサンダーさんに任せた。

竈の周辺に付着した埃と油とあとは不明な汚れを、短い柄のデッキブラシと雑巾で汚れを擦り落とす。床は運よく見つけた折れた木べらの先でゴリゴリこそぐ。

途中から手伝いを申し出た人もいたが「もうここまで綺麗にしたのか」と言っていたほど速かったらしい。

中を掃除したので、次は中から出した物品の整理。最初はどぷりと重たく黒く揺れる内容物の入った大きい壺。

「この壺の中身は?」

「そりゃ廃油だよ」

「中におがくず入れて吸着させて捨てましょう」

よく死人が出なかったな。喉元にこみ上げた酸っぱいものを唾で押し戻して、次の品物へ向かった。


「お兄さーん、ホール床のドロドロが剥がせないー」

「左官さん達が使ってるヘラってどこで売ってますか?なければ最悪、鋤でもいいです。床板さえ剥がさなきゃ構いやしません」

「床板に鋤」と聞いてドン引き顔な人がいたが、知らん。使える物は何でも使うんだよ。




格闘すること数時間後、何ということでしょう。ここ数年、誰も見た事のなかった床板が現れ、厨房もピカピカになりました。

おかみさんには、掃除した後のご褒美タイムに振る舞う料理の材料と新しいエールを買いに行ってもらったが、帰ってきて綺麗になった酒場を見た途端、息を呑んで両手で口を覆った。

たまたま両脇にいたリュートとエリスが咄嗟に荷物を抱えたので大惨事は免れた。

「あんた……これ……!」

「全員で頑張りました」

後ろの方で何人か疲労困憊して死体になっている人もいるが、この後に苦労と疲労に見合う「ご褒美」がある。




材料はじゃがいも、小麦粉、にんにく、ローズマリー、油。

じゃがいもはくし切りで表面に小麦粉をまぶす。

欲を言えばハーブはもう少し種類が欲しかったが、おかみさんはハーブの種類が区別つかず、ざっくり一絡げで「ハーブ」と呼んでいた。

仕方なくトリスさんを手招きし、裏の隅にあった畑から目当てのローズマリーを見つけ出して、大ぶりなフライパンに入れる。油はじゃがいもが浸る程度。油の温度がじわじわ上がっていくのを待っている間に、裏の柵の一部になっているそこそこ大振りの木から細い枯れ枝を2本とり、さっと洗って即席の箸にした。

油がいい具合に温まってきたら、竈の火を強火から中火に下げ、時々上下をひっくり返しながらじっくりと揚げていく。

じゃがいもを1つ摘んで持ち上げ、音が変わったのを確認するとざるに上げ、塩をかけて手首のスナップをきかせて上下を混ぜる。皿に盛り上げてカウンターへ置く。

「トスカーナ風フライドポテト、お待たせしました」

置いた途端に始まった争奪戦は壮絶だった。20分は付きっきりになった甲斐がある香りだから仕方ないけどな。

1皿目と同時進行していた2皿目をトリスさんに渡して、アレクサンダーさん達がいるテーブルへ持って行ってもらう。

「贅沢なんだか違うんだか、複雑な料理だねえ」

「どちらかといえば贅沢ですね。この香りが溶けだした油でお肉とかお魚を焼くのも美味しいですよ」と教えたら、「悪魔かこいつ」な顔をされた。でも構わずに笑って、またフライドポテトを揚げに戻った。



あの時はもう何皿揚げたか覚えていないが、バラン家に帰った時にその話を聞いてむくれたアイザックを宥めるのが大変だったのはよく覚えている。


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