第28話 警戒と勉強は怠らず
お待たせいたしました。
現代でも近世でも、怒った娘と奥さんを相手に右往左往するお父さんというのは変わらないものだな。
馬車で帰る3人を見送ると、肺の奥からありったけの空気を吐き出すような溜め息が出た。
「色々と聞きたい事もあるけど、その様子じゃ無理そうね。また日を改めていらっしゃいな」
サルーンの女主人、ロレーヌさんが俺達を馬車へ追い立てながら、一瞬獰猛さを感じる笑顔を見せた。
見間違いだったと思いたかったがどうやら全員見ていたらしく、アイザックに肩を叩かれ「また非番の日にお供致しますよ」とがっちり退路を塞がれた。
「そういえば、弁護士のバスティアンさんから名刺を貰ったんですがさっぱり読めなくて」
葉書より一回り小さい厚手の紙を出すと、「あら珍しい」と真っ先に食いついたのはジャクリーンさんだ。
「ヤニック家の弁護士なんて見るのは何十年ぶりかしら」
「確かに弁護士となると忙しくて法廷と屋敷、あとは事務所以外にはなかなか現れないかもしれませんね」
現代の弁護士だと大体が首までどっぷり仕事漬けだしな。俺も人の事言えないけど。
「あら、そういう意味じゃないのよ。ヤニック家は突発的に放浪の旅に出て、いつの間にか次の人がいるから」
「そんな突発的に放浪するとか、鬱憤が溜まりに溜まっているんでしょうか…?」
弁護士となれば守秘義務が大変な上に、書類は片付けても減らないとか色々あるのかもしれない。俺もストレス溜まりすぎたら変な行動に走らないか心配だ。
バラン家に戻ったものの、時間は昼食を過ぎておやつ頃。
数個の焼き菓子とフレーバーティーだけでお腹が保つ訳はないので、どうしたものかと顔を見合わせていると、出迎えたトリスさんが「軽食のご用意は済んでおります」と微笑んでくれたので助かった。
案内された部屋もこじんまりとしていて居心地のよさそうな部屋だ。家具も、金箔やごてごてした飾りはなく落ち着ける。
出された軽食も、スープから始まり、豚と思しき薄切り肉のソテーと付け合わせのサラダ、それと果物。
食感は豚っぽい感じだけど、今更「このお肉美味しいですね、何の肉ですか?」と聞くのもなあ。後にしよう。
軽食を済ませた後、アイザックは騎士隊から何やら呼び出しがあったようで出てしまい、ジャクリーンさんとサラも剣の鍛練にと出て、残された俺は途方に暮れた。
仕方ないので文字を覚えようと、トリスさんに図書室へ案内してもらった。
図書室ではアレクサンダーさんが机に何かの書類を広げていたので、部外者が見ちゃマズかろうと回れ右したところで呼び止められた。
「これは十数年前の書類です。今更見たとて機密も何もないですとも。さあ」
手招きまでされてはしょうがない。まだ文字も覚えていないし、誰かに教えてほしいと思っていたのでまさに渡りに舟だ。タイミングがどんぴしゃすぎて欠片も疑うなというのは無理だが。
「ご子息からお聞きになられたので?」
「おや、さすがの慧眼ですな。いかにも、アイザックから聞き出しました」
アレクサンダーさんの薄い茶色の目が何やら危険な光で輝いている。
「あまり期待されても困ります。医術と介護以外は専門外ですから」
「と言いつつ、決闘を無血で収めたではないですか。ついでに若い娘を助けたとか」
「ですからそれは習性で」
かつ、かつと杖をつきながらアレクサンダーさんがじりじり近づいてくるので距離をとりながら後退りしていたが、尻に書類をのせたテーブルが当たった。
「つかぬ事を伺いますが、左足はどうされたのです?」
時間稼ぎにと繰り出した話題に、歩みが止まった。
「……何故、いつ気付いた?」
「靴底の減り方、歩き方、それに杖をついている側から判断しました。
いつ、と言われたら初日ですね。応接室で対面した時に体の傾きと杖をついている側、食堂へ先導している時に靴底と歩き方を。随分熱心にリハビリを頑張られたようですね。観察しようと意識していなかったら見落としていたかもしれません」
膝関節症の高齢者や骨折した後の患者など、杖を必要とする人は必ず「健康な方」で杖を持つ。
例えば右足を骨折したなら左手だ。
アレクサンダーさんの靴底は、左が右と比べて擦り減っていた。それに歩き方も、杖と左足が一緒に出たあとで右足を踏み出す「2点歩行」という歩き方だった。
「やれやれ、どこまで見られたのかと恐ろしくなりますな。仰る通り、左足を痛めました。昔は竜騎兵でしたが、戦場で負傷しましてね」
おお、やっぱり竜がいるんだ。元の世界では「竜騎兵」と言ったら銃持ってる騎兵だって聞いた覚えがあるような、ないような。
「今も時々、天気が悪い時に痛みます。これは悪い兆候なのでしょうか?」
「天気が悪い時に痛むのは悪い兆候ではないですよ。安心してください」
台風が来る前に関節痛や歯が痛むといったことはよくあることなので、「現代でもメカニズムは未だ不明だけど、何故か痛む」という現象だと説明した。
「ははあ、何やら分かったような分からないような、妙なものですな」
俺はこっちとの技術格差っぷりと遠回りに次ぐ遠回りに眩暈がするんだがなあ。
頭痛までしてきたこめかみをさすりながら、当初の目的である読み書きの件を伝えるとさっきまでの雰囲気はどこへやら、「私でよければ」と即オッケーを貰った。
「最初からそう言ってくださればよかったものを。お人が悪いですなあ」
あんたが言わせてくれなかったじゃないか、という言葉は飲み込んでおいた。大人は黙っておく方が概ねいい事がある。
騎士隊の呼び出しから帰ってきたアイザックが、子供向けの簡単な読み書きの手本を買ってきてくれた事にそろりと気まずい視線を交わし、アレクサンダーさんからは儀礼関係を教わるということで手を打った。




