第21話 穏和策と強行策
高齢者によくあることだが、風呂に行くのにも膝が痛んだり不自由するので、何となく億劫だと言われたことがある。
憂い顔で溜め息をつく相手を、宥めて煽てて押して引いてと手練手管と知恵を駆使して、衣服は些か強引に剥いだ気もするが、風呂に浸からせた頃には相手はいい湯加減にすっかりご機嫌だ。
まだペーペーの新人だった俺はヘロヘロに疲れたが、先輩から「あの人は難しい人だったが、よくやった」と褒められたのはまだ覚えている。
さて、どうやって大人数の風呂嫌いたちを風呂に入れ、なおかつ風呂の魅力に目覚めさせるかが悩みどころだ。
ケース1:相手が年上の男性の場合
アレクサンダーさんとトリスさんの説得はさほど難しくはなかった。
「お風呂に入るとさっぱりする」
「身体が芯まで温まる」
「足や腰が痛い人は、痛みを緩和できるかもしれない」
ついでにアレクサンダーさんには「私の故郷では一番風呂は家長の特権ですよ」と囁いたのが効いたのかもしれない。
ケース2:女性陣の場合
「お風呂に入れば、清潔になる。清潔になれば、月々の香水代も代えのシャツ代も節約できる」
「お風呂でゆっくりじっくり汗を流せば、お肌の不調も疲れも吹き飛ぶ」
「故郷では老若男女問わず、毎日お風呂にはいって身体を綺麗にしていた」
色々言葉を尽くして説明したら、下はぴっちぴちの10代、上は83歳のロベルタさんまで目を輝かせてかぶりつきで聞いてきた。女性の「綺麗になりたい」と思う心は、どこへ行っても通用するものだ。
だが髪の洗い方から教える羽目になったのは、俺の予想と相手の知識が足りなかった。
最初はブラッシング。髪の表面についている埃などをとり、もつれも解き、頭皮の血行も良くしていく。
そしてお湯を被る。髪にお湯が行き渡ったら、石鹸をよく泡立てて指の腹で気持ちいいと思う力加減で洗っていく。そしてお湯でしっかりと念入りに泡を洗い流す。
ざっと見まわして目についたメイドさんの髪を洗いながら説明したが、石鹸を3回も泡立てないとダメだった事に頭痛が酷くなった。4回めには泡が白いままで流れていったのでよしとしよう。
石鹸で洗い上げると髪がきしむので、ことさら念入りに泡を洗い流した上で、仕上げにお酢を大匙1杯混ぜた洗面器半分くらいのお湯でリンス。
ここまで来るとドライヤーが喉から手が出るほど欲しい。俺の髪は短いが、髪の長い女性ならあれがないといつまでも乾かず大変だと思う。ひたすら暖炉の傍でタオルドライしかないが、これで明日の髪が違っていれば彼女達の原動力も違うだろう。
女性達に色々教えていたらすっかりくたびれてしまって、部屋に戻るのも一苦労だった。
四方八方から手を伸ばした皆に頬を触られてはすべすべだと褒められ、美肌の秘訣を聞かれてはやんわりと流した。お風呂も美肌への一歩だから頑張れ。
やっと部屋までたどり着いたら、椅子に座っていたアイザックがはっと立ち上がった。
「タツキ殿、どちらにおられたのです!心配しましたよ」
「申し訳ない。ちょっと、色々巻き込まれて」
ふらふらよろよろしてる俺へさっと近づいて、ベッドに連れて行ってくれたアイザックには感謝してもしたりない。
ロベルタさんのお見舞いがてら血圧測定したこと。
彼女が足湯にどハマリしたこと。
ついでにお風呂も許可したら、風習の違いによるてんやわんやから始まって、屋敷のほぼ全員を巻き込んだどたばた入浴体験。
揃って大笑いして、目尻から零れそうだった涙を指で拭う。
ああ、疲れた。でも楽しい。…早く浴室空かないかな。お風呂入りたい。
事情を話して、アイザックの部屋にある備え付けのお風呂を貸してもらったが、広くてゆったり足が伸ばせる最高のお風呂だった。
お風呂から上がり、いい気分でベッドに体を沈め、瞼がとろとろと閉じていく。
公衆衛生ってどうやったら広められるんだろうか。