第20話 血圧測定と風呂嫌いたち
「さて、随分お邪魔したね。有意義な時間だったけどそろそろ帰るよ」
「次は窓じゃなくて普通に玄関から来いよ」
カムデンを礼儀正しく玄関から追い出しにかかったアイザックが階段を降りていく。
何とはなしに手持ち無沙汰になったので、ロベルタさんの回復具合を見に行こうと、こちらへ持ち込んだ聴診器と水銀式血圧計を持って部屋を出た。
廊下を歩いていると、途中のドアが開いてジャクリーンさんが出てきた。
「あら、来賢様。どうかなさいましたか?」
「今からロベルタさんのお見舞いに行くところです。ジャクリーンさん、この後のご予定は?」
もし断られたとしても仕方ない。孫のアイザックがあの様子だったから、実の娘なら心中推して知るべしかもしれない。
「勿論、行きますわ。母の顔を見るのも久しぶりですから」
……うん、女性って意外とタフだよね。
隠し階段のある通路に近づいたが、前方をよろよろと歩いているのはトリスさんだ。桶に盥にタオル、水差し…あれ、まさか?
「まあトリス、腰は大丈夫なの?これは持つわ」
ジャクリーンさんが有無を言わさず、一番重たそうな水差しと盥を素早く持った。初対面の時に、袖口や襟ぐり等にあまり飾り気がない、落ち着いた印象のドレスだなとは思っていたが、こういう事がよくあるのかもしれない。
続いて俺が桶を持ち、トリスさんの手に残ったのはタオルが数枚。
「奥様、来賢様、私の仕事を奪わないでくださいませ」
「そうは言っても、随分前に廊下で死んでたじゃない。通りがかったコンスタンスが青い顔で『お母様、トリスが廊下で彫像になってしまいました!』って、驚いてたわよ」
「…奥様、ご覧の通り死んではおりません。あまりの痛みに呻いてはおりましたが」
「痛い時は固まってしまうのもしょうがないですよね。そういえば、ロベルタ様はまた足が痛みますか?今から足湯をなさるところでしょう?」
「はい、もう5回は足湯をなさっています」
5回だと?!完全にどハマリしてるじゃないか!
というか、そんなに何回も足湯をしてたら相当汗かくだろうに。よし、お風呂も勧めてみよう。
「随分気に入って頂けて嬉しいです」
「来賢様、その話、是非とも詳しく」
ジャクリーンさんが目をきらきらさせて食いついた。…まあいいか。
色々俺が口で説明するよりも、自分の目で見てもらった方が早いだろうと思ったので、ロベルタさんの部屋まで行った。
部屋に行ったら、ロベルタさんは見違えるほどすっきりしていた。
少し縺れていた白髪は丁寧に梳られて、今は低い位置でまとめてお団子になっている。
相当に血色の悪かった顔も、まだ少し悪い気はするが当日から考えたら随分回復した。
「お母様…元気になってよかった。随分顔色がよくなったわよ」
「ふふ、ありがとう。嬉しいわ。来賢様のおかげよ。…あら、それは何かしら?」
微笑んでいたロベルタさんは、俺が小脇に抱えていた血圧計を目敏く見つけた。
「こちらは血圧計です。この聴診器と組み合わせる事で、血の通りに異常がないか調べていきます」
部屋に備え付けの椅子にかけてもらい、血圧計をテーブルにセット。
腕を軽く伸ばしてもらい、肘の当たるところに折り畳んだタオルを宛がい、腕にマンシェットを巻いて、聴診器も準備完了。
ロベルタさんも見慣れない器具に緊張しているので、こまめに声をかけて緊張をほぐしながら、空気を送り込み始める。
一定の圧をかけたら少しずつ緩め、聴診器から聞こえてくるコロトロフ音に集中。
「はい、ちゃんと聞こえましたよ」
マンシェットの空気を全部抜き、聴診器を外しながら笑顔でそう言うと、見守っていたジャクリーンさんとトリスさんから「ぷはぁ~」と息を吐ききる音がした。
「やあねぇ、私よりあなた達が緊張してどうするの?」
緊張する姿がおかしかったのか、ころころと笑うロベルタさんをちらりと確認しながら、測る前に貰った紙に、収縮期血圧と拡張期血圧、―一般には「最高血圧」「最低血圧」、「上」とか「下」と呼ばれている―を書く。
ついでに罫線も大まかに引いておく。横に血圧の数値と脈拍、縦に時間と日付。
計測した結果、ロベルタさんの血圧は135/85mmHg。正常値よりは少し高いが、年齢を考えれば良しとしよう。むしろ高血圧の治療薬を一切飲んでいない事を考えたら、かなり優良だ。
出来れば、決まった時間に血圧は測定したい。しかしこちらの時間は単位も読み方も不明。
「トリスさん、今は何時ですか?」
聞かれたトリスさんがベストに付いている鎖の先から引き出したのは。
「今は…夜の8時ですな」
…懐中時計、あったんだ。助かったけど俺の緊張は一体…。
幸いにして、こちらの時間の数え方や日数は日本と全く同じだった。
1週間は7日、1ヶ月は30日、1年は365日、たまに閏年で366日。1日は24時間、1時間は60分で3600秒。
「血圧に問題ないですし、食事も済ませた。ならお風呂に入って」
「「お風呂ですって?!とんでもない!」」
……もしかして:ここはフランスがベースの異世界?
お風呂大好き日本人には最高に地獄だな。




