迷信
「アリサ、大丈夫かい?」
「えぇ、いつものことよ。」乾いた咳をしていた妻にジョンは近づいた。
「そうか」そういって、ジョンは薬を渡す。
「あんまり、無理をしないでくれよ。」
「うん、わかっているわ。」と、アリサは力なく笑った。
「今の研究が終わったら、ゆっくりするから」
「そうか……。」ジョンは自分に言い聞かせるようにうなずき、窓の外を見た。
「そういえば、リサがピクニックに行きたいと言っていたぞ」
「ええ、ピクニックでも、映画でも、なんでもわがままを聞いてあげましょ」
そういってジョンに向かって微笑むアリサを抱き寄せながら、ジョンは、そうだなと笑った。
二人の見つめる窓の先には、元気にはしゃぐリサの姿があった。
けほっけほっと、乾いた咳が病室に響く。
「どうしたの?」
「どうやら、風邪というものをひいたみたいですね」
ずずずと、鼻をすする音。ベットに横たわる私は、口を開くくらいしかできなかった。
「大丈夫?」
「はい。大丈夫です。幸いなことに私の目の前にはリサが居ますので」
「……?」鼻をかむ音の中、私が言葉の真意を探っていると、彼女の方から口を開いた。
「私の知っている情報によると、風邪は人にうつすと早く治ると聞いています。ですので、この機会にリサには尊い犠牲となってもらおうと考えています。」
「えっ!?」
「尊い犠牲になってもらおうと考えています。」
ずずずと、鼻をすすりながら近づいてきた彼女に、私はあわてる。
「待って! それはただの迷信で何の信憑性もないから!」
ぴたりと止まった彼女は、少し考えた後、つぶやいた。
「それは、……残念です。ですが、そうだとしても、風邪をひいたということで、私が馬鹿でないことが証明され……」
「それもただの噂で何の信憑性もないから!」
少しの沈黙。鼻をすすった彼女は首を傾げた。
「そうですか、それはとても残念です。ですが、その場合、……私はただの噂に振り回されていただけなのでしょうか?」と、少し落ち込みながら彼女はつぶやいていた。
横になって見上げる白い天井は、とても高い。
一人になった病室に、ドアのひらく音が聞こえた。
「……リサなの?」
「はい、そうですよ。お薬をいただいてきました。」
「そう、良かった」
リサが薬を持って入ってきたので、私は胸をなでおろす。
「ですが、病は気からという言葉があるように、薬に頼りきりというのもどうかと思うのです。」
「……えっ?」
「やはり、迷信とは言えど、リサに移すことによってこの苦しい症状が少しでも緩和するのであれば」
そういって、目の前に立つリサに、私は言った。
「もー、意地悪!」
それを聞いたリサは、小さく笑う。
「冗談ですよ。」
そして、いつもの椅子に座ったのを視界の隅でとらえた私は、つられて笑っていた。
「ねえ」
「今日の窓の外ですか?」
「うん」
リサは、カーテンから離れ、一呼吸の後口を開く。
「外は、高くどこまでも澄んだ空に浮かぶ空の輪郭が少しあいまいになり、今までに比べ日差しが少し柔らかくなりました。深緑色に染まっていた木々の葉に、ちらほらと黄色や赤色が見られます。蝉の鳴き声はもう聞こえなくなり、草の陰からは静かに虫たちが鳴いています。もうすぐ夏の終わりが近づき、かすかに冷たくなった風が秋の始まりを知らせているようです。」
「もうすぐ夏が終わってしまうのね」
その言葉にリサは答えた。
「いいえ、もうすぐ秋が始まるのです」
「そうね。そうとも言えるわね」
ふと、彼女が口を開いた。
「そういえば、リサに聞きたいことがありました。」
「ん? なに?」
「リサは以前、好きな人の写真を枕の下に入れるとその人の夢が見られるという雑誌の記事を読み、実践していました。その結果、本当にその夢が見ることができたかどうかを私は知りたいと思っていたのです」
「……!」リサは、口をパクパクとした後、赤面し、声にならない声を出した。
「さすがに、感覚と記憶の共有を行っているとしても、夢までは私たちが知ることはできません。よって、リサ本人から効果のほどを聞きたいと……」
そこで、彼女は首を傾げた。
「リサ? 私の話を聞いていますか」
「……」顔を真っ赤にして首を横に何度も振り、もだえるリサに、彼女は困惑する。
「どうしたのですか? どこか具合でも悪いのですか」
しばらくしてリサが真っ赤な顔のまま、発した言葉は「それもただの噂で、何の信憑性もないから!」であった。
それを聞いた彼女は、目を見開き「そうですか……とても残念です」と、少し落ち込み気味に答えた。
「枕の下に好きな人の写真を入れて眠っても、その人とデートをする夢を見るというのも信憑性のないただの噂だったのですね」
「そうそう、ただの噂で、これっぽっちもその人の夢なんか見れないのよ」
「そうですか、……あんなに大切そうに枕の下に写真を入れて、目をつぶって夢が見れますようにと何度も祈って、わくわくとベットに入っても夢は見れないのですね。」と、心底残念そうに、彼女はつぶやく。
それを聞いた、リサは、また少しの間もだえた後に、意地悪! と、泣きそうになりながら小さく反抗していた。




