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逃げた彼女と、ヒモになった僕  作者: 縁藤だいず
5章 失敗しないと、わからない
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5-19 現地の空気


 飛行機は太陽が南中を過ぎた頃、空港へ到着した。


 空港の中は空調のおかげで涼しかったが、大きく見開いた窓の外には日本と変わらない陽炎が滑走路の姿を歪めている。


 僕は窓から空を眺め、ふと疑問に思ったことを先輩に話しかける。


「もう少し空気が淀んでるかと思ったけど、意外と青空が覗けますね」


「いまはちょうど首脳会議の時期だ、それに伴って空を汚すような業種は休業となっている」


「へえ、そしたらいい時期に来れましたね」


「それを見計らって来たのもあるからな。そうでなければ今日明日で、行くという話なぞしなかった」


 そういう傑先輩は好調そのものだ。

 離陸前に見せていた駄々っ子のようなそぶりもない。


 僕は安定飛行に入ってから熟睡していた。

 二時間そこらの睡眠だったけど、離陸前に感じていた眠気はなくなっていた。


 心配事や不安は絶えないが、それが原因で眠れない、というほど僕はセンチメンタルな人間でもなかったらしい。

 空港を出てすぐ目に入ったのは、ボールが二つ貫かれたような搭と、その横にそびえ立つ巨大な建造物。


「テレビ塔とランドマークタワーだな」


 先輩がそう呟く。


「想像してたよりずっと都会ですね」


「ここは国の首都より栄えている街だからな」


 空港の外に出て辺りを見回すと緑も多い。

 通りかかる家族連れは笑顔で、これから向かう旅への期待、もしくは帰郷への安堵で和やかな空気に満ちていた。


 当たり前だけれど、国が違えども人の暮らしは変わらない。


「さて、せっかくだし少し観光でもしていこうか」


 先輩はタクシーを呼び止め、流暢な現地の言葉を話し目的地を告げる。


 ……今更だが本当に外国語を喋れるんだ。


「いきなりタクシーなんて使って、お金大丈夫ですか?」


「問題ない。タクシー料金は日本の三分の一ほどだ」


「わ、それは安い」


「世界の中でもトップクラスに安いらしいぞ」


 助手席に座った先輩が得意そうに笑う。


「傑先輩」


「なんだ?」


「……なんでこんな、良くしてくれるんですか?」


 先輩が不思議そうな顔で視線を向ける。


「だってそうでしょう。先輩からしたら仕事を休んでまですることじゃない」


 そうなんだ、先輩にはなんのメリットもない。


「もしですけど、先輩が謝罪の延長で僕に気を遣ってるなら――」


「逆に聞く」


 最後まで言わせず、喋り出す。


「お前は友達となにかをするのに、見返りとか、利益とかそんなことを考えてるのか?」


「あ……」


「俺は単にお前と海外旅行をしにきたくらいの気持ちだ。それをわざわざ言葉で格式張らせる必要はないだろう」


 表情一つ変えず言った。


「俺もお前もちょうどこの国に用事があった。だからそのついでに旅行を楽しむ、それでいいじゃないか」


「……ありがとう、ございます」


「なんか、つまらないな。お前は昔の諭史と同一人物なのか、疑問に思うくらいだ」


「そうですか……なにが変わりました?」


「暗くなった」


 グサリと来る、でもそう思われても仕方ない。


「はは……でもそれを言ったら、先輩だって変わったでしょう」


「なに?どこがだ?」


「先輩は、優しくなりましたよ」


「知ってる。もうちょっとマシなことを言え」


 そういう傲岸不遜なところはなにも変わらないけど。


「……それと、あまり先輩風を吹かせるつもりはないんだが」


 先輩は前を見据え、少し真面目な口調に戻した。


「あまり暗いことは考えるな」


「……」


「そんなことしていても屁の突っ張りにもならん、考えるのなら目先の楽しいことだけ考えろ」


「でも」


「でも、とかいうな。どうせマイナス思考に陥った人間なんてロクなこと考えやしない」


 なにも言えない。

 幼馴染と絶縁することしか考えてなかった、いまの僕には。


「そんなお前が一番優先しなければいけないことは、なにかわかるか……?」


「……」


「それはどこの中華料理を食いたいとか、どこを見て回りたいとか、そういうことだけだ。ちなみにそこに行くまでは、レイカ君の実家なんて死んでも行かないからな」


 軽く口端を上げ、そう言った。


「じゃ……本場のラーメン、食べてみたいです」


「おっ、いいな。では観光は腹ごしらえの後だな」


 先輩がスマホでチェックしたラーメン屋の店名を告げると、皺の深い運転手は慣れた手つきで進路を変更する。


「とりあえず腹ごしらえをして、テレビ塔にでも行くか。ただ夜は商城へ立ち寄りたい、あれは自分の目で見ておきたいからな」


 先輩にスマホでネットに上がっている写真をよこして見せる。

 そこには日本で言う神社風の建物が煌びやかにライトアップされていた。


「ところで諭史」


「はい?」


「明日から李氏の家へ向かおうとは思ってるのだが、場所は調べてきたのだろうな?」


「……え?」


 李の家?


「なんだ聞いて来なかったのか?とりあえずは明日の朝までに把握しておけよ」


「えっ、ちょっと待ってください。聞くって誰に……」


「知ってる人だ」


「や、そりゃそうでしょうけど」


 先輩はわざとらしくため息を付く。


「まさか諭史、聞いてきてないのか」


「だって先輩が誘って……」


「だからといって俺がそこまで知っているわけないだろう。なぜ俺がお前の代わりに、関係者へ連絡まで取らなければいかんのだ」


 苛立たしげに副会長の顔で言う。


「明日まで時間はある、それまでに誰かしらに聞いておけ」


 聞いておけって、おいおい。

 李の家の場所を知ってるのなんて……優佳しかいないじゃないか。


 今朝、あんなことがあったのに、優佳に頭下げて李の住所を聞かなきゃいけないのか?


 マジ……?


「おい、諭史着いたぞ、一番このあたりで評価の高いラーメン屋だ、楽しみだな」


「ははは……」


 僕は空腹が胃のズキズキに変わっていく中、先輩とラーメン屋の最後尾に向かって歩いて行った。


---


 日付の変わるギリギリで観光商城を後にし、僕と先輩はホテルを取った。

 八階にあるツインルームで、街並みが一望出来るいい部屋だ。


 先輩はシャワーを浴びると言っていたが、そのままベッドに倒れ眠ってしまった。

 無理もない、この人はもう三十時間以上も寝ていないんだから。


 そんな先輩の寝顔を見て、初めてこの人の隙を見たなあなんて思う。

 五年前の僕が見たら、いまの光景にさぞ驚くだろう。


 先輩の頭を枕に載せてやり、布団を掛けた後、僕は眠気を振り切りシャワーを浴びる。

 いまの時期、空気は多少綺麗なようではあるが、頭からお湯を被ると多くの汚れが流れ出たような気がした。


 頭を少しばかりシャキッとさせ、僕は意を決して電話を掛ける。

 時差はほとんどない、現地時間でもまだ日付が変わったあたりだ。


 出て欲しい気持ちと、出なければいいな、なんて気持ちの狭間で僕は心音を抑えて待機する。


 やや待つとコール音が止まった。


「……」


「……」


「……なんか、言ってよ」


 電話越しに頬を膨らませた顔が想像出来る。

 

「えっと……朝はごめん」


「なんで謝ってるか、わたし全然わかんな~い」


 投げやりな声を出す、優佳。


「無神経なこと言って、ごめん」


「……」


「優佳の気持ち、考えてなかった」


「……」


「でも李に会わなければいけない。そう思ったんだ。そして自分が間違ってたかどうか確かめる。誰のためとかじゃなく、自分のために」


 改めて決意を露わにする。


 この言葉がどこまで伝わるか分からない、優佳の勘違いを加速させるだけかもしれない。

 でも優佳には誠実でいたい、それだけだった。


「……ううん、わたしもごめん。あの時のわたし、ちょっと普通じゃなかった」


 困ったような笑い顔の優佳が想像できる。


「違う。優佳が怒るのも無理はなかった、あの時の僕は……」


「もうやめよ?わたしもあんな怒ることなかった。それでおしまい」


「……ありがとう」


 皆まで言わず、優佳の言葉を額面通り受け取る。

 それはこれまで僕たちがしてきた、ケンカの終わらせ方だった。


「優佳」


「はい」


「優佳は僕のことを、許してくれる?」


「……」


「僕が優佳の言葉に耳を貸さず、一人で頑張らせてしまったこと、許してくれる?」


「……」


 優佳もそれには答えない。


「優佳はきっと、すごく怒ってるんだと思う、それを当然だとも思う。でも僕だって優佳が勝手に出ていったことには怒っているんだ」


「……うん」


「でも、僕は、それを許したい。いや、絶対に許すつもりでいる。だけどまだ僕が心から許してあげるって言ってあげられない、だからもう少し待って欲しい」


 優佳を許したい。

 けれど許すのだったら、ちゃんと僕が心の中でそれを嚙み砕いてから許してあげたかった。


 本当は気持ちが収まっていないのに、言葉だけ先に許してしまったら、それはいつか白日の元に照らされ、また今回のようなことになってしまいかねない。


「僕が優佳がいなくなった月日のことを飲み込んで、ちゃんと許せるって思ったら、僕からまた会いに行く。だからもしその時に優佳が、僕のしたことを許せるとしたら……」


「……っ、うん、わかった」


 だからこそいまはお互いに許さない。

 それが優佳に対する、僕の見せてあげられる最大限の誠意だ。


「サトシって、ホント、不器用だよね」


 やや声を明るく優佳が言う。


「優佳だって、人のこと言えないだろ?」


「ふふ、うん、そうかもね。わたしたち、似た者同士だもんねっ……」


「だね……」


 微かに優佳の声に嗚咽の色が混じっている。

 けれど僕はその色をかき消してあげることは出来ない、僕にはいまその権利がない。


 優佳は僕とレイカが不在の間に恋仲になっていると思っている。


 そしてそれは、正解で、正解ではない。

 すべての関係が宙ぶらりだ。そしていま交わした優佳との約束も不安定なものだ。


 その約束が守られたことで、僕たちに未来があるのかどうかもわからない。


 お互いに許し合うことで、僕と優佳の恋人関係が続くという意味なのか。

 それともお互いに禍根無く、幼馴染に戻るということなのか。


 自分のことなのに、どうなるかわからない。

 そういった不安定な気持ちを解決させるために李と会うと決めた。


 会ってもなにも変わらないかもしれない。

 でも僕の大きなターニングポイントになるであろうことを、疑いようがなかった。


「サトシ」


「うん」


「ちゃんとゴエンさんと、お話できそう?」


「正直、わからない」


「わたしには頑張ってとしか言えない。それにあんまりわたしから余計なことも言わないほうがいいかなあ、って思う」


「ありがとう」


 そんな優佳の心遣いに自然と礼が零れる。


「ずっとサトシは李さんを良く思っていなかった。だから正直、いまサトシがそっちにいるだけで不思議な気持ち」


「僕も、自分で不思議だと思ってる」


「ふふ、でもどういう話になってもきっと悪くはならないと思うな」


「僕も、そう思うよ」


 よかった……自然と優佳と言葉を交わすことができた。


 僕たちの関係にはいま大きな傷ができている。

 けれどケンカ慣れ出来ていたと言うのだろうか、傷を修復するための心構えや割り切り方を、お互いに承知できていた。


「……明日?」


「うん。それで優佳……」


「ゴエンさんの家、わからないんでしょ」


「う……」


「そんなことだろうと思ったぁ……住所、あとでLINE送るから」


「優佳?言っておくけど、僕は決してそれを聞きたいがために……」


「スト~ップ。それ以上言わなくてもダイジョブデス」


 そう言った優佳は自分から吹き出し、それに僕も釣られて笑った。

 それからニ、三言を交わした後、おやすみと言って電話を切った。


 ベッドに倒れ込み、天井へ向けて大きな深呼吸を放つ。

 起き上がり改めて街並みに目を向けると、その色彩鮮やかさが、より一層瞳の奥に焼き付いた。


 ふと先日、自暴自棄になった自分が恥ずかしくなる。


 あの時は二人と絶縁してしまうしかないとさえ感じていた。

 そして今朝は優佳との関係に亀裂を深くさせた自分を呪った。


 けれど電話を終えたいま、女々しくも優佳に会いたい――なんて思ってしまう。


 僕らのケンカが終わったわけではない。

 それでもレイカを好きという点では、僕らはどこまで行っても同志だ。


 いまの電話はそういう意味での休戦でもあるし、お互いがレイカの理解者として当然の流れでもあった。


 ……胸がキリキリ痛む。


 先ほど心を通じ合わせた人と、一瞬で海を隔てて別れてしまった。

 どうしようもない寂しさが込み上げる。


 優佳も同じ気持ちになっているだろうか。

 ああ、たった一回の電話で心乱されるなんて僕はなんて子供なんだろうか。


 ヤケになった僕は備え付けの冷蔵庫から、一番値段の高い飲み物を引っ張り出し、プシュと音を立てると一気にそれを喉に流し込んだ。


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