5-12 ジオスミン
「なんだ、あの店員は。歓談に口を挟むだけでは飽き足らず、この俺を出入り禁止にするなど信じられない」
「いえ、傑先輩……あれは明らかに僕達に非がありますって」
「そうか?まぁお前がそう言うなら仕方がない」
そう言う先輩は肩が触れ合うほどの距離で、横を歩いていた。
「……なんか、近くないですか?」
「心の距離だ」
「……」
「冗談だ」
真面目な顔で言うな――とても冗談に思えない。
僕たちはファミレスを追い出された後、近くのロケット公園に移動しようという先輩の提案で、国道沿いに歩を進めていた。
時刻はもう夏の夕日も沈む時間で、国道には多くの車が帰宅ラッシュで湧いていた。
僕はその車が切る風の音を聞きながら、熱に浮かされた頭を冷やしていた。
街路樹もない国道は、アスファルトは昼間に含んだ熱気を宙に漂わせ、時折吹く夜風がシャツの隙間から不快感を取り去っていく。
今年も感じる、国道沿いの夏の空気。
傑先輩はおもむろに立ち止まると、自販機に千円札を吸い込ませ、四人分のドリンクを奢ってくれた。
後ろを歩いていた女子二人は未だに頬を紅潮させ、華暖は健康茶、エーコはグレープフルーツジュースを頼んだ。
僕は少し小さめのエナジードリンクを選び、傑先輩は最高に甘いと謳う、長い缶コーヒーを選んだ。
言葉少なに四人で公園に着くなり、いち早く傑先輩はベンチに腰を下ろす。
そして片手を背もたれの後ろに回し座ったかと思うと、突然、傑先輩は僕の見ている目の前で、ワイシャツのボタンをはずしはじめたのだ……!
「バラライカ?」
「は?」
それだけ言うと先輩はボタンをかけ直し、居住まいを正した。
……なにがしたかったんだ?
「さて、話は戻すが……」
「先輩、誰もついていけないですから、ネタはいい加減やめてもらえますか」
ようやく本調子を取り戻したエーコが傑先輩にツッコむ。
「ああ、すまない。どうしてもメリハリをはっきりさせないと、俺の脳はうまく働かなくてね」
「欠陥品ですね」
「留学した時にネジを一本置いてきたのかもな」
「本体忘れて、ネジだけ帰ってきた気もしますけど」
「プフッォ!!……ゲホゲホッ!!」
華暖がお茶をビチャビチャと口から吹き出していた。
「ヒ、ヒヒャァ……ちょっと、笑わせないでよ」
華暖がツボった。
「か、勝手に笑う、あなたがわるいんでしょっ」
エーコはウケが取れて、地味に嬉しそうだった。
「……諸君?いまは真面目な話をしているんだぞ?」
「「「お前が言うな」」」
カーカーとカラスが頭上を飛び、巣穴に帰ろうとしていた。
「……ははっ」
僕は笑いが抑えきれなかった。
三人は不可解そうに僕を見たけど、それを見てみんなも少し笑い始めた。
昨日まで、あんなにも、生き詰まっていたのに。
周囲には木々が葉擦れの音が優しく耳に届き、国道から響く車の排気音、鳥が頭上で鳴いているかと思えば、笑い出す友人たち。
ロケット公園を象徴するアスレチックのてっぺんには、当然レイカの姿はない。
けれど、その空には凛然と輝く一番星があった。
……ひとりで生きているのでは、なかった。
いまここに立っていて、こんなにも清々しい気持ちでいられる。
だから僕は思った。その心のありように、いまは流されようって。
「傑先輩……僕は李を許すことができるか分かりません」
「そうか」
「でも、それでも、話をしてみようって、そう思います」
「うん、それでいい」
傑先輩は、そう深く頷き、僕の意見を受け入れてくれた。
「うん、トッシ~、よかった、よかったよぉ」
それを聞いて泣き上戸になっている華暖が、また湿っぽい声を出す。
「……華暖、迷惑かけてごめん」
「ホントだよぉ……世話が焼けるんだからぁ……」
そういって華暖がおでこを肩に押し付ける。
「心配してんだかんね?アタシにお節介してきた分だけ、倍返しにしてやるんだから」
「うん、これからもよろしく頼むよ」
「へへっ、トッシ~に頼られちった」
そういって頭を上げた華暖の顔は夕焼けを映し、少しばかり浮かんだ涙を拭い去った。
「そんなベッタリして親友なんて、よく言うわね」
エーコが片手で顔を仰ぎながら、華暖に意地悪そうな笑みを向ける。
「ア、アンタこそなによ~!泣きながらトッシ~に抱きついちゃって!それも本命の前で!」
「……なっ!あ、あれは昔の精算だったから、ナシよナシ!し、し、しかも、本命とか!言いがかりはよしてよね!?」
「あ~、そ~なの~?じゃぁここで宣言してもらおっか?私は、なんとかさんのことは好きじゃ、ありません~って!」
「ひ、卑劣っ!同じ女として、やっちゃいけないってものがあるでしょう?」
「ふふ~ん、じゃぁアタシの靴でも舐めて謝ってもらいましょうか~?」
……なんか、楽しそうだな。
まったく正反対の二人かと思ったけど、これはこれで仲が良い?のかもしれない。
ふと言い合う二人と対照に、大人しかった傑先輩を見ると、どこかに電話をしていた。
「――で、急遽、飛行機を手配しなくてはならなくて、ハイ、そうです。えぇ、今回は二人分でお願いします。
え?ハハ、違いますよ。ハイ、あ、もちろん最安でお願いしますね。それでは今後ともよろしくお願いします」
そう言って傑先輩は電話を切った。
「諭史、良かったな明日には出られそうだぞ」
「なんの話です?」
「なにって、決まってるじゃないか。李さんに会うんだろ?」
「そうですけど、って、え?いまどこに電話してたんです?」
「旅行会社に決まってるだろ。明日の朝一の便だ、始発で出ないと行けないから……俺は四時起きか」
「ちょちょちょ、ちょっと待ってください。あのもしかして……」
「もしかするもなにもないだろう?思い立ったら、すぐ行動。明日はレイカ君の故郷へ向かって、出発だ」
「はあ!?明日ぁ!!??」
「当たり前だろう、早いに越したことはない」
「いえ、そういうことではなくて!だって僕、言葉も話せませんよ?」
「安心しろ、俺は三ヵ国語を話せる」
……そういえば、中学時代の設定でそんなのがあったような。
傑先輩の家は英才教育で、中学の時には家庭教師に高校の授業内容も教わってるとかなんとか……
「ということで、レッツラゴーだ」
……どうやら拒否権は無いようだった。
「えええい、僕も男です!こうなったら行ってやりましょう!」
「フン、いいじゃないか!よし楽しくなってきたぞ、今日は俺の奢りだ!いまからカラオケにでも行くか?」
「ハイハーイ!アタシいきま~す!!」
華暖がエーコとの言い合いを真っ先に中断し、両手で挙手をする。
「え、ええっ!?明日始発で行くんですよね、傑先輩?」
「もちろん!だけど社会人になったら分かるぞ?楽しい時間は有限だ。だからこそ遊べる時には、明日のことなんてブッ飛ばして遊ばなきゃいけない時がある!」
「きゃあスグルさん、かっくい~!」
華暖は傑先輩の肩に抱き着き、横目にエーコを見る。
「アンタも行く?エーコ?来なければアタシと先輩の二人っきりになっちゃうかもね~?」
エーコは鼻息を荒くし、怒りのオーラが漂わせていた。
「もうっ!行きます、行きますよ!あなたみたいな女と一緒にいたら、先輩の財布が空っぽになりかねないしっ!」
「あ~ら、もうスグルさんの財布のひもを握ってるつもり~?独占欲の強いオンナは怖いわね~?」
「華暖もそろそろやめとけよ……」
エーコは怒り沸騰でいまにも爆発してしまいそうだ。
「よしこれで三人!……まさか諭史、この流れで断ったりしないよな?」
「わかりました。行きます、行きますよ!今日はどこまでも流されることに決めましたっ!」
僕も覚悟を決めてやるっ!
明日は始発なんだろ?起きられないなら、徹夜して行くまでだ!
「ハイハ~イ、じゃぁね?そろそろ気になってる人も多いだろうから、ここでじゃんけんタ~イム」
「え……華暖、本当に聞くの?」
エーコが顔を引きつらせて訪ねる。
「もちろん、ていうかアンタが一番気になってんでしょ?」
「あの、僕にも分かるように説明してくれる?」
「時間が無いから、先にじゃんけん!アタシと、エーコと、トッシ~の三人でね」
「俺は仲間に入れてくれないのかい?」
「ハハ、ごめんスグルさんは聞かれる側だから」
華暖は茶を濁して、傑先輩は仲間はずれにする。
「纏場、あなたはグーを出しなさい、私はパーを出すから」
「いや、罰ゲームが分からないのに負けられないよ」
「はい、じゃぁ始めるわよ~、出さなきゃ負けよ~じゃんけん……」
「ちょ、ちょっとなにするか教えてくれないの?ねぇ?」
「ポン!」
出さないと負けるから僕は咄嗟に、パーを出した。
華暖は……同じパー。
そしてエーコは……
「う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
……グーを出していた。
エーコは今日聞く限り一番の声を上げて、その場にしゃがみこんだ。
え、なに、そんなヤバいことを聞こうとしていたの……?
「アッハハハ!!ケッサク~!でもよかったじゃん、これで一番聞きたい人が聞くってだけになったんだしぃ?」
「なんで……纏場は、グーを出さなかったのよぉ」
「だって負けたくないけど、それでチョキを出してエーコを裏切りたくはなかったし」
「なによそれぇ……じゃぁ、それで宣言と変えた私が卑怯者みたいじゃん……」
「実際、そうだろ?そもそも宣言する時点で自業自得じゃないか」
「それじゃぁ、エーコさん!聞いて頂きましょう!おねがいしますっ!」
芝居がかった口調で華暖はエーコを促す。
エーコは涙目で呻き声を漏らしながら先輩に近寄っていく。
「先輩……」
「うん、なんだい?」
あくまで爽やかに「なんだい?」とかいう言葉を聞いて、華暖が口元に手を押さえて震えている。
「……………………先輩って、ホモなんですか?」
空気が凍り付いた。
『俺が幸せにしてやるっ!!』
先ほど傑先輩の言葉が思い出される。
いや……確かに気になるけど。
だってホンモノだとしたら、僕は明日から傑先輩と二人きりで、旅行に行かなければいけないんだぞ?
否定されたらいいけれど、もし肯定されたら僕は明日どんな顔をすればいいんだ???
ふと頭の中にイメージ映像が沸き上がった。
飛行機に乗った僕らは隣同士の座席に座り「まもなく離陸します」と案内が入った瞬間。
「ねぇ……安定飛行に入るまで、手を握ってても、いい?」
と言いながら傑先輩が頬を染める……
あ、なに想像してんだ、脳が犯された気分に……
エーコと対峙した、傑先輩は沈黙を守ったまま、目を瞑り、手を広げ、空を仰ぎ見た。
なぜそんなことをするのか意味不明だ。
そうして、夏の空気を肺いっぱいに吸い込み、ぼそりと呟いた。
「……秘密だ」
男同士の恐ろしい旅行が、いま正に始まろうとしている。




