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逃げた彼女と、ヒモになった僕  作者: 縁藤だいず
4章 五年前――思い出になる前の、記憶
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4-21 雨


 それから予鈴が鳴り、授業を受け持つ教師たちが出払った頃、改めて僕は教頭先生に頭を下げていた。


「本当に申し訳ありませんでした。生徒会長にもここまで信じてもらっていたのに、手酷く裏切ってしまい本当に申し訳なく思っています」


 教頭も顧問も生徒指導も、もうなにも言わなかった。

 二階堂はクラスの学級委員も務めているため、この場を後にしていた。


 優佳はもうこれ以上、僕へなにを言っても聞かないとわかると、女性の教師に促されて近くのソファに座り、ひたすら涙を流していた。

 こうなることは分かっていた。けどそれを目の当たりにするのとしないのでは大違いだった。


「……君がやったことは決して許されないことだ、このことはしっかり親御さんにも報告させてもらう」


「はい、僕からも伝えておきます」


「……それでも君はしっかり自分から、謝罪に来た。それは評価できることだ、これからも自分に正直でいなさい」


「はい、ありがとうございます」


 僕は心からこの場にいる教職員の皆に申し訳ないと思っていた。

 ここまで騒がしくしてしまったこともそうだが、全ての真実を嘘で塗り固めしてしまったこと、そのことに対する罪悪感が大きかった。


 僕は本日から一週間の出席停止命令が出された。

 それと生徒会の職務を外されることとなり、本日より晴れて帰宅部員となったわけだ。


 これで、もう優佳と生徒会室で活動することは、ない。


「それと、纏場君」


「……はい」


「少し外で話をしないか」


 そう言って白髪の教頭先生は校庭に直接通じるドアを開き、こっちに来なさいと手招きをした。

 職員室から直接外に出ると、そこは屋根付きの喫煙スペースだった。


 二組の白プラスチックのガーデンファニチャーに、テーブルの真ん中には生徒が陶芸教室で作ったものだろうか、不格好の灰皿が鎮座している。


「まぁ、いいから腰かけなさいよ」


 そう言って自分からチェアに腰かけ、ポケットから煙草を取り出し、火をつけて吹かし始める。

 生徒の前でタバコを吸うのはどうなんだ、と思いつつ「失礼します」と後に続いて腰を下ろした。


 背もたれいっぱいに座るとさすがに生意気かなと思い、少し背中を開けて座ったが、

そもそも背中にはまだ痣が残っていて、寄りかかるなんてことは出来なかった。


 教頭はなにを思ったか僕の方にライターを向けてきた。


「火は、いるかね?」


「…………タバコなんて吸いませんよ」


「ははっ、冗談だよ」


 ……まったく、笑えない冗談だ。

 この間、タバコで火事があったことを忘れでもしているんじゃないだろうか?


 いや、それとも僕が火事を起こした生徒だとカマを掛けに来たのか……


 僕がどう思っているのかなんて気にもしていないのか、教頭はマイペースにもタバコの香りを肺いっぱいに吸い込み、大きく煙を吹き出した。


 ――朝から厚い雲に覆われていた空からは既に雨が降り出していた。

 気温も雨のせいか十月にしてはだいぶ肌寒く感じられた。


 鼠色の雲に、紫煙を吐き出す白髪の教頭。

 灰皿の周りでは火をいくらか零したのだろう、白いテーブルの上にはいくつも黒く焦がした跡が残っていた。


 なんとも色彩感覚を失ってしまったような、不思議なグレースケールの空間。

 教頭は一息ついた後、僕がいたのを思い出したように一人喋り出した。


「君がなにをしようとしたのかは、私にはさっぱりわからない」


 空を仰ぎ見ながら開口一番、投げやりに呟いた。


「今回、君には出席停止ってペケがついた。これは正直痛いと思うよ?」


「はい」


「でも君は後悔してないんだろう?」


 ――息を呑む。

 教頭の顔を窺い見ると、僕の視線を受けてニヤッと笑った。


「私も生きてきてだいぶ時間が経った、それなりに人を見る目はあるつもりだよ」


 校庭は振り続ける雨で黄土色から茶色に変わっており、側溝には早くも泥水が流れ始めていた。


「生きていればやりたくないこともやらなきゃいけないし、後悔なんかもたくさんある。人を傷つけてしまったり、傷つけられることだってある。

でもね、だからってリセット出来るわけじゃないし、謝っても済まないようなこともあるかもしれない。


 湿気の漂う冷たい空気に、熟年教師の吐いた紫煙が溶けて消える。


「例えば――そのテーブル見てみなさいよ?いっぱい黒い傷跡が残ってるだろう?」


 僕は改めて目の前にあるテーブルを眺めた、お世辞にも綺麗とは言えない傷だらけのテーブルだ。


「私たちがだいぶ汚してしまった、結構注意はしてるんだけどねぇ。最初は真っ白だったテーブルだったけど、いまは正直見るに堪えない。

……でも、それでも私はこの学校が廃校になるまでこのテーブルを使おうと思っているよ。なんなら廃校になったあと家に持って帰ってもいい」


 そう言い、教頭は片手をテーブルに這わせ、出来てしまった傷を慈しむように、黒く染まった痕をなぞった。


「だから別にいいんだ、多少痕が残ったって。幸いにも人の過去とか、心の傷みたいなものは目にゃ見えやしないんだ。

でもね、もし君が人に傷をつけた時は全力で謝るんだ。そして謝って許してもらえたのなら、その関係は本物だ。きっと君が死ぬまで続く関係なんだろうね」


 教頭はそう言って灰皿にタバコを押し付け、僕にまた笑顔を向ける。


「君のために涙を流してくれた人を、君が守ろうとした人のことを、大事にしなさい」


 ……僕は教頭先生の人となりをまったく知らなかった。


 進学前だってそうだった。

 校長先生や教頭先生なんかと、直接言葉を交わす日なんか来るとは思っていなかった。


 でも先に生きた人がいて、それぞれが歩んだ道があって、それを後世に伝える、伝えようとする人がいた、いてくれた。


 決して僕達に小言を言ったり、揚げ足を取るためいるわけではない。

 僕が燻っている”これから”に手を添えてくれる、暖かな保護者だった。


 ……いつの間にか、僕の周りに漂っていた靄は消えてなくなっていた。



「教頭先生、ありがとうございます」


「うん。さて君もこれからが大変だ、まずは生徒会長を元通りにしてくれないかね?私たちも生徒のトップがあの調子じゃぁ、色々とやりにくい」


「はい!……正直、すぐは難しいかもしれませんが」


 笑いながら立ち上がった教頭は、僕の背中に勢いをつけて叩いた。


「……っぅ~~~」


 ――モロに痣を叩かれて激痛が走る。


「なぁ~に言ってるんだ、そんな弱気じゃ泣いた女に振り回されちまうぞ?

ちゃぁんと男が会話を引っ張って、リードして納得させてやるんだ。気張れよ?」


「……っ、はい!」


 僕は大声で返事をした。


 正直、優佳が納得してくれるかはわからない。

 僕は優佳の善意を踏みにじって、裏切った。


 でも教頭先生の言う通りだ。優佳が納得するか、しないかを委ねるんじゃダメなんだ。

 優佳に納得してもらえなかったなんて、万一にもあってもダメなんだ。


 ……僕が優佳を納得させて、謝って、許してもらうんだ。

 未だ雨の止む気配はない、台風だって来ていないのに。だけどそれを晴れにするのは僕のやることだ。


 止まないのであれば毎日てるてる坊主でも作ってやる、何日も、何週間も、何年も晴れなくたっていい。

 晴れるまで毎日作り続ければいい、それだけの根気が必要だ。


---


「触らないでよぉっ!」


 優佳は手を握ろうとした、僕の手を跳ね除ける。


「……ごめん、でも傘を差さないと」


「うるさい!うるさい、うるさいっ!そんなのどうでもいい!どうでも、いい……」


 優佳はそう言って、既に雨水を含み切った袖で顔を拭い続けていた。


「じゃぁせめて、傘だけでも受け取って」


 僕は自分の傘を開いて前に突き出す。


 ……職員室を後にしてからに二十分ほど過ぎた。

 出席停止になった僕と、授業を受けられる状態ではない優佳は、教頭の進言で「今日のところは帰って気持ちを休めなさい」との温情を頂いた。


 僕が優佳を連れて帰ろうとすると、手を払い除け「話しかけないで」と、僕のことはいないとばかりにそのまま昇降口へ歩いていき、傘も差さず学校を後にした。

 僕はその数歩後ろを歩き、声をかけるも無視され続け、信号待ちで歩を止めざるを得なかった優佳に、傘を差しだしたところだった。


 優佳は傘を差しだす僕を、顔を隠す袖の合間から盗み見る。


「……それじゃぁ、サトシが濡れちゃうじゃないの」


「いいから」


 僕はその袖の合間から覗かせる、か細い視線に可能な限りの意思を込めて傘を突き出す。


 信号が青になり優佳は逡巡した後、傘を受け取った。

 そして、少しばかりスペースを多めに開けて言った。


「……入って」


 傘の下に入り、僕は黙ってまた傘の柄を握る。


 ――職員室で立ち上がらせようとする僕の手を、優佳は跳ね除けた。

 雨の中で先を歩いていく優佳の手を取ろうとし、払われる度に心が何度も抉られていった。


 小さい頃、いつでも遊びに誘ってくれるのは優佳の方からだった。


 その度に僕は嬉しいくせに照れ隠しで、わざとイヤそうな顔をしてたんだ。

 そんな決まり切ったお約束をしないと、変な見栄が邪魔をして優佳の隣にいられなかった。


 優佳はいつだってそんな天の邪鬼な僕の手を引いてくれる人だった。


 そして僕はいま、優佳に手を振り払われている。

 ……僕は素直に優佳の手を取って来なかったことを、後悔した。


 いまは一つ傘の下、歩いている。


 優佳は近過ぎず、離れ過ぎず、微妙な距離感を保ちながら僕と歩を共にしてくれた。


 会話は、ない。


 ……でも、それじゃ駄目だ。


 少しでも会話をする流れに、持っていかなくては。


 先ほどの決意を思い出せ。


 僕は優佳に、必ず許してもらうんだ。


 許してもらうまで何度も、諦めずに……



「……あ~あ!せっかくの優佳との相合傘なのに、こんなタイミングだなんてついてないなぁ~!」


「……」


 そんな僕の口から出たのは、少しでも会話を取り戻したい一心で出た、明るくしようとする雰囲気作りだった。


「嬉しいなぁ~優佳みたいな可愛い子と相合傘が出来て」


 あ、マズイ、ちょっとワザとらしくなってきた。


「お?なんで黙ってるの、優佳?さては僕みたいな格好いい男と相合傘しちゃって、照れてるな~?」


「……」


 優佳はなにも言わず俯いたまま。


「そ、そういえば!?優佳とこうして相合傘なんてするの初めてだね、なんか照れ臭いなぁ」


「…………ぃし」


「ん?」


「サトシと、相合傘するの、初めてじゃないし……これで三回目」


「………………ぁ、ご、ごめん、そうだったなぁ!?」


 僕の額と背中と掌から汗が噴き出す、まずいぞ、特大の地雷を踏んでしまった……


「……もう、家、すぐそこだから、ここでいい」


 気付いたら、僕達の部屋が入っているマンションの目の前だった。

 優佳は傘から抜け出して、マンションの階段を駆け上がっていく。


「あ、ま、待って」


 ――しまった。


 僕は傘を畳んで後を追う。

 優佳が自分の家に戻ってしまったら、もう話ができなくなる。


 優佳は僕の家の合鍵を持っているが、僕は縁藤家の合鍵を持ってはいない。

 鍵を閉められたら、もう話をすることができなくなる。


 優佳に、拒絶されてしまう。

 そのことが頭を掠めると、それは想像以上に僕の胸を締め付けた。


 僕たちの部屋が連なるのは二階。

 部屋に入り、扉を閉められたらそこで終わりだ。


 ……優佳は既に自分の部屋のドアノブを握りしめていた。

 

 中に入られたら、もう話をすることが出来なくなる。


「優佳!」


 僕は必死で呼び止める。


 が、間に合わない。


 優佳はそれに動じることなく――


「優佳ぁ!」


 僕は、駆け寄り、そこで立ち止まる。


 優佳の目の前で。


 ……優佳はドアノブを、力なく握りしめたまま、立ち尽くしていた。


「優佳?」


「……イヤ」


 優佳は、顔を俯かせたまま、ぽつりと呟いた。


「わたし、このまま扉を閉めたら、もうサトシと話ができなくなっちゃう」


「……」


「仲直り出来なくなる……そんなのは、イヤ」


 優佳がその時、ようやく顔を上げる。


 優佳の顔は、怒りと悲しみでぐちゃぐちゃになっていた。 

 ……これまでも優佳の怒った顔も、悲しい顔も何度も見てきた。


 けれど、いままで見てきたのとは別物だった。


 ひどく、傷ついていた。


 そしてこれは、僕がつけた、傷。


「……優佳、ごめん。ちゃんと全部話すから」


 僕は優佳の空いた手を握ってこちらに引き寄せた。


 引き寄せられドアノブからするりと離れた手は、そのまま流れるように僕のシャツの裾を強く握りしめた。


「僕のこと、嫌いになってくれてもいい、だから……」


「――それが」


 言葉を遮り、優佳が感情を発露させる。

 今日何度聞いたか分からない、優佳の怒りに染まった声で。


「それができないから、怒ってるんでしょぉ……!」


「……ごめん。ありがとう」


 心底、悔しそうなその声。

 いままで何度もケンカしても断ち切れなかった絆。


 何度も絶交と言ってケンカして、それでも断ち切ろうとしなかった関係。


 千切れそうになる度に、少しずつ強くなっていく気持ち。


 それが積み重なり、いまこうして根を張って、優佳をその場に押し留めてくれた。


「ちゃんと説明してくれないと、許さないんだからね」


「うん」


「ちゃんと説明しても、許さないんだから」


「うん」


「……どうせ、少し謝れば許してもらえると思ってるんでしょ」


「……ちょっとね」


「ばかぁ!きらい!!」


 そう言う優佳は怒ってるからなのか、それ以外からなのか。


 シャツを握る手を、少しばかり強く引き寄せた。


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