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逃げた彼女と、ヒモになった僕  作者: 縁藤だいず
2章 変化と停滞
17/136

2-8 灰色


 昼間の住宅地は大人しいものだ。


 聞こえる音と言えば国道を走る車の排気音と、

時折、公営団地の一角から響き渡る布団をはたく音。


 まだ幼稚園に行っていないだろう小さな子供と母親が散歩をしており、

子供は野良猫を指をさして、母親へなにかいる!と教えている。


 薄く曇りがかった空からは姿の見えない太陽が、

電信柱と同色の光を、静かな住宅街に降り注いでいた。


 その中を進む、一つの浮いた影。


 なぜ浮いているかというと、学生服姿でいるのもそうだが、

壁伝いに歩き、そして曲がり角では壁に背を付けて様子を覗き見て、先に進むのだ。


 浮いているというよりは、不審者のそれであった。


 そして一つのマンションを補足し、

周囲に誰もいないのを確認するや否や、突撃。


 そして彼は迷うことなく、一つの部屋を目指しポケットから針金……

ではなく鍵を開け中に侵入する。


「ただいまぁ……」


 まあ、僕が縁藤家に帰っただけなんだけど。


 昨日、レイカにはLINEで帰らない旨を伝え、既読マークがついたことだけ確認した。


 あのあと僕はそのまま学校をサボり、

レイカも学校に……ではなく、働きに出たであろう日中を狙って帰ってきた。


 部屋の中を見回すがどうやら留守のようだ。

 リビングの中央にあるベッドが空なのを確認して、やっと僕は一息つく。


 レイカの部屋を確認する必要はないだろう。

 リビングの中央にでかでかと鎮座するベッドを見て、そう思う。


 ベッドの上に手紙を置いた。

 中身は頭を冷やすので日曜日まで”自分の家”に帰ることと、日曜日に待ち合わせをする場所だ。


 レイカと話をするタイミングは二日後に訪れる。

 それは先週から見た”来週の日曜日”であり、レイカの言っていた”買い物”でもある日。


 元々、約束していたレイカの誕生日だ。


 先日のレイカとの言い合いで、僕に非はない……と思っている。

 ……が、この調子で誕生日を迎えることになってしまったことに、罪悪感はあった。


 どんな話ができるか、いや会えるかもわからない。

 そもそも、あのこじれ方でレイカと仲直り出来るのかさえ。


 いや、仲直りは必ずしなければならない。

 でもいまはレイカに会うことはできなかった。


 それは僕が頭を冷やすのと同時に、レイカにも頭を冷やしてもらうためだ。

 この問題はレイカにも譲歩してもらわないと、解決できない。


 なぜならレイカは僕たちから離れていった理由が、

自立することであったのに、高校中退という道を歩んでしまったからだ。


 もちろんなにか考えがあって中退したのならば、

諸手を挙げて賛成はできなくとも、応援はしたい。


 しかし、残念なことにそうではないだろう。

 レイカは中退したことを、理由を、なにも語らなかったのだから。


 理由があったのなら、レイカに隠す理由はない。



 レイカにちゃんと向き合わなければいけない時が来ている。

 中退したこと、離れて行った理由、一緒に住むことになった理由、そのすべてに。


 レイカに口を割ってもらうのは難しいかもしれない。

 だって「自立できませんでした、助けて」と、言わせてしまうことになるかもしれないのだから。


 それはレイカを、とても傷つけるだろう。


 レイカと仲直りをする――それは昨日のケンカだけにではない。

 五年前から続く、わだかまりのすべてに。


 それでもレイカは一度、僕に譲歩してくれている。

 自分の家に、僕を招き入れるなんて暴挙を使って。


 状況だけを進めてしまい、問題はそのままにして、形式上での仲直り。

 だがそれは今回のように、後々に爆弾を抱え込んだまま先に進むということだ。


 それは本当の意味での仲直りとは言えないんじゃないだろうか?


 レイカの話を聞く、そして僕がそれを受け入れる。

 それができれば自ずと、五年前の問題だって受け入れることができるはずだ、お互いに。


 ……そうだ、まずは僕から謝ろう。


 昨日、華暖から話を聞いた僕は動揺していて、レイカを責める響きを隠せなかった。

 あれがレイカの反発を生んで、導火線になった可能性は大いにある。


 ベッドに置いた手紙を取り上げ、謝罪文を頭に追加して書き直す。

 そうして再び枕の上に手紙を置き、軽く願掛けをしてからマンションを後にした。


---


 その後、僕は一ヶ月ぶりに自分の家に戻って掃除をした。

 なにもない部屋ではあったが、床にはうっすらと誇りが被っている。


 残っていたタオルの内、一枚を雑巾にして濡れ拭きにした。

 それで床を拭いていると、小学生の頃にした大掃除のことを思い出した。


 横一列になってみんなで端っこまで猛ダッシュする、あれ。

 バカな奴が壁に激突して泣いていたことを思い出し、笑いが零れる。


 そうして掃除に没頭していると、スマホから着信音が鳴り響いた。

 着信者の名前を軽く見て、僕は通話ボタンを押す。


「華暖、おはよう」


「おはようじゃないわよ!なんで今日学校休んだの?」


「ごめん、ちょっといろいろあって」


「なによ、色々って!

……体調悪いわけじゃないのね?腕は痛んだりしない?」


「それは大丈夫、心配かけてごめん」


「バカ、いいわよ。

そんで……あのあとレ~カと話したりしたの?」


「うん、僕が理由を問い詰めてレイカはあんたに関係ないの一点張り。

そのまま膠着状態に入って、痺れを切らした僕が家出のフルコース」


「ちょっとちょっと!?全然大丈夫じゃないじゃん?」


「その辺はこっちでなんとかするよ、華暖が悪いわけじゃないし」


「……そんなこと言われた後で、フォロー入れたって慰めにもならないっつの」


「はは、ゴメン」


 そんな軽いやり取りがいまは心地いい。

 ……いや、ここ最近でやすらぎを覚えるのは、もしかすると華暖の前だけかもしれない。 


「……昨日はゴメン、最後になんか突っかかるような話しちゃって」


 華暖が気づかわしげな声で、昨晩明かしたことに謝罪する。


「いや華暖が言ってくれなかったら、

馬鹿な僕はずっと気付かなかったかもしれない。感謝してるよ」


「そう、言ってくれると……助かる」


 それきりお互い少し黙り込む。

 沈黙と言うには気まずさはなく、暖かささえ感じてしまうのは僕の錯覚か。


「それでさ、トッシ~は」


 らしくない縮こまった声で、華暖がつぶやく。


「私とのデート、楽しかった……?」


 子供が親に悪いことを打ち明けるかのような声で訊ねてくる。


「もちろん、楽しかったよ」


「ホント?」


「本当だよ」


「ホントにホント?おべっか使ってない?」


「使ってないし、本心です」


「へへ、それならいいやっ」


 ちょっと照れくさそうに笑う華暖。


 そんな声に、僕も自然と笑顔になる。


 電話越しなのに、華暖をとても近くに感じた。


「やっぱダメだなぁ……アタシ」


 自分にあきれるように、少し残念そうな声で。


「……ゴメン、トッシ~。いまからアタシ、暴走する」


「暴走って、なんか怖いな」


「いや、アタシもちょっと怖いの」


 華暖はいじらしい声を出す。


「……アタシさ、トッシ~にとって重い存在にはなりたくないんだ」


 そういって華暖は暴走という言葉にそぐわない、ゆっくりした口調で語り始める。


「なんか嫌なことがあった時とかにさ、気軽にグチってくれて、

ちょっと楽になってくれたりしてくれたら、それだけでいいの」


 僕達の関係、それは言葉にできないものだけど、

言葉にしたらきっとこうだろうって、華暖なりにみつけた答え。


「命の恩人ってのもあるけど、

そんなこと言うと堅苦しいし、性に合わないし」


 なぜ、言葉にしようとしたのか、それは心境の変化?


「トッシ~がアタシより……いるのはずっと知ってる」


 華暖はその心境の変化を受け入れて、言葉にすることを選んだ。


「それはアタシにとって、ちょっとばっかしイタいんだけどさ、

そんな義理硬いトッシ~だから好きになったってのもあるし」


 選ばない選択肢もあったはずだけど、華暖はそれをしなかった、できなかった。


「でもねアタシのことをね、タダのオンナでもなく、バイトの同僚でもなく、

”等身大のアタシ”と向き合ってくれたのは、トッシ~、あなたが最初だった」


 だからこそ華暖がそれを口にすることは、きっと暴走なのだろう。


「アタシは、纏場諭史のコトが、好きです――」


 ……諦めたようなため息とともに、華暖はその言葉を吐きだした。


「アタシはね、空気の読めるJKだからね、返事もらわなくても答えがわかんの」


 華暖はいつもの調子……を装って砕けた喋り方をして、失敗する。


「だからトッシ~さ、アタシ明日からもなるだけ普通にすっからさ……」


 露の混じった声で震えながら、暖を求めるような、縋る声で。


「いっつもみたいなトッシ~で、いてよ?」


 一見……華暖はお調子ものな人間だ。


 いつも自分勝手に振る舞って、楽しいことを優先する。


 だけど本当は慎まやかで、マジメで、誰よりも弁えていて。


 見た目に騙されてしまうが、カドが立たないような大人な対応をする。


 だからあまりにも身勝手に、勝手に辛い思いをして、丸く収めようと人知れず涙を零す。


 ……だってそうじゃないか。


 自分がそんなギリギリの状態なのに。


 華暖は僕に罪悪感を与えないように、

つけたいはずの決着の言葉を聞かず、独りで傷つこうとしている。


 本当は傷ついているのは華暖なのに。

 こんな時まで相手のことを考えてしまう、不器用な女のコ。


「華暖……ありがとう」


「お礼なんて言わないでよ、ミジメになるじゃない」


「だって……ありがとうしか言えないよ……

それ以外だと謝る言葉しか出てこない」


「そんなの駄目。だってこれはアタシが暴走しただけなんだから」


 華暖は声を震わせ、律儀にも僕の言葉に応える。


 本当はもう電話を切ってあげるのがいいんだろう。


 でも僕から電話を切るなんてできなかった。

 傷ついてしまった華暖に、僕からそれをするなんて、できるはずもなかった。


「アタシ、わざわざ言葉にするつもりなんてなかったんだ」


 華暖は迷いを断ち切ったような清々しい声で言う。


「もうバレバレだったんだけどさ、ちゃんと口にしたかった。

このまま隠しておくなんて嫌だし、一人で抱え込むなんてしたくない」


 人にも自分にもウソがつけなかったのだろう。


「本当は伝えちゃダメなんだってわかってる、迷惑かけるのもわかってる。

でも……それを一番話したい人に聞いて欲しかった」


 近すぎるから心地よくて、近すぎるからその関係から逃げられない。


「それにさ?思いを秘めたままなにも伝えられず、

いつの日かお別れなんて、アタシのキャラじゃないじゃん?」


 そんな優しい人に対して、僕は報いてやることができない。

 それをもわかった上で、決断させてしまったことが……なんだか情けなくて。


「華暖……ありがとうっ」


 無力な僕が出来るのは、嬉しいという気持ちを伝えることだけ。


「バ、っ、バカ、トッシ~、泣いてんの?ハハ、ハ……っ!」


 ひと雨降りそうな曇り空に包まれた住宅街。

 誰かがいるはずなのに、誰もいない静かな昼間のゴーストタウン。


 そんな灰色の一角で、心を通わせた二人は、どこにもいけない心を抱えて彷徨っていた。


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