8-2 ええ、私は色ボケ女ですとも
階段を降りながら、私はもう泣きだしてしまいそうだった。
私、あんなに勝手なことしたのに。
もちろん私を怒りに来たんだろう。
でもそれが嬉しかった。
だって会ってくれるということは、謝らせてくれるということだ。
自分の大切な妹にひどいことを言った人に、許すチャンスを与えるために。
私、同じことできる?
もしも、絵里のことを泣かせた奴がいて、そいつのことを許したり、笑いかけたりできる?
……だから、優佳さんはいつだって、すごいんだ。
「優佳さん!」
玄関のドアを横に引き、その場に膝を折って、頭を地面につける。
「ごめんなさいっ!」
「え? エーコちゃん? ちょ、ちょっとやめてよ」
狼狽した大先輩の声が上から降り注ぐ。
「本当にっ、ごめんなさいっ!」
「わ、わかったから、顔上げて、ね?」
優佳さんがしゃがみ込んで、私の肩に手を添え、体を起こすように促す。
「はい……」
「もう、先に謝られちゃったら、怒るのが難しくなっちゃうじゃない」
優佳さんは困ったように私に笑いかける。
いつものやさしい声で、そんなこと言われたら安心してしまう。
まだ許してもらってないのに、勝手に安心してしまう。
「落ちた時のケガは、大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫。私の王子様が助けてくれたからねっ」
冗談めかしてそんなこと言うけれど、私はまだ笑えない。
「よかった……」
優佳さんは腰に手を当てて、ため息を付いた。
私が冗談に乗って来なかったから、ガッカリしたのだろう。
だから少し硬い声を出して、私の進みたい方向に合わせてくれた。
「エーコちゃん、私は、とてもとても怒っています」
「はい……」
「なんででしょうか?」
「私が、余計なことをしたからです」
「うん、そうね? なにが余計だったの?」
「……みんなが隠してること、勝手にばらしました」
優佳さんはきょとんとした顔で首を傾げた。
「隠してること?」
「はい、纏場がレイカさんのために罪を被ったこととか、傑さんが仕事場を斡旋してたとことか……」
「あ~、それはいいの。わたしもいつか言わなきゃな、って思ってたから」
……おんなじだ。傑さんも同じこと、言ってた。
みんなレイカさんには、いつか言わなければって思ってたんだ。
「他には?」
講師が遠回しに”あなたの答え、間違ってますよ?”とでもいう様に次の回答を促す。
「レイカさんに助けられてばっかで、甘えてばかりで、なにも出来ない人って決めつけたこと、です」
「あ~……」
優佳さんは視線を斜め上に逸らせて頬を掻いた。
「それはその通りだからいいんだ、レイカには直接言わないけどね?」
意外……優佳さん、優しいだけだと思ってたけど、自分の妹をそういう目でも見ていたんだ。
「逆に少しスッキリしちゃった。わたしがそう言ってもレイカ、あまり真面目に聞いてくれないし」
「そうなんですか?」
「うん、きっとそれはわたしの接し方が悪かったんだと思う。いつでも甘やかしてきちゃったからね、わたしもサトシも」
「だから、聞いてくれない?」
「そう。本当はレイカのためを思って言うんだけど、あまり真面目に取られないみたい。だからエーコちゃんみたいな第三者に言ってもらった方がキクの」
私の中の前提が次々とひっくり返っていく。
優佳さん、ただ甘やかしてるだけじゃなかったんだ。
ちゃんとレイカさんが前に進めるよう、考えて接していたんだ。
「だから結構エーコちゃんに言われて刺さったと思う、傷ついたと思う。でもそれは必要な傷なの、その傷を自分で癒すような力が、あのコには必要だから」
そういって目を薄くする優佳さんは、姉というより母のようだった。
私はその表情を見て、なぜかモヤモヤした。
「さ、じゃあ、もうあとは分かるよねっ?」
「……私が、夕霞から出て行けって言ったことです」
「正解。エーコちゃん? さすがに言い過ぎです」
そういう優佳さんはしたり顔だ、もう全然怒った様子なんて無い。
「それと次に言った言葉も覚えてるよ?『ゆうかさんのまえから、いなくなれ!』って」
「ああああああああ、ごめんなさい!」
段々と恥ずかしくなってきた。
「ふふっ、そこまで言わなくてもいいのにね?」
「それは、えっと、本当に、もう言葉もないです……」
「あはは、いいのいいの。もう過ぎたことだし、顔合わせた瞬間に謝られて拍子抜けちゃったし」
「重ね重ね申し訳……」
「もう謝るの禁止っ」
「は、はい!」
立ちっぱなしだった優佳さんは玄関の上がり框に腰かけた。
気のきかない私はあわてて「中に入ってください」と言ったけど「ここでいい」と言われてしまった。
私もおずおずと横に座る。
すると優佳さんは私の頭を抱き寄せて、肩に乗せた。
「エーコちゃん、わたしより大きくなっちゃったから、昔みたいに上手く行かないね~?」
「すいません……」
「あ、また謝った」
そういって優佳さんは手をグーにして、私の頭をポカポカ叩いた。
「いたい、いたい」
「おしおきだっ、こらこらっ」
そう言って私たちは笑いあってしまう。
私、怒られてるはずなのに、なんでこんな緊張感ないんだろう。
謝るのも先にレイカさんを意識した。
もちろん悪いことをしてしまった相手はレイカさんだから、それは当たり前。
だから優佳さんに謝るのは、その後。
でもそれとは別の理由で安心していた。
優佳さんにはやっぱり許してもらえたって、そんな甘えきった考え。
それがいつか重大な勘違いになってしまう可能性もゼロじゃない。
優佳さんが私をどう思ってるかわからないけど、少なくとも信じ切っていった。
こういうのを、そう言っていいのかわからないけど、信頼していた。
だからどんなに怒られても、優佳さんは許してくれる。
そんな外から見たら馬鹿みたいな、能天気な考えを信じ込んでいる。
「本当はさ、わたしもそんなに怒ってないのかもしれない」
「え……?」
「嬉しかったから」
「なんで、ですか?」
「だってわたしのことを思って、それでレイカにあんなひどいこと言っちゃったんでしょ?」
「それは、すいません……」
「ああ、違うの!」
両手を左右に振って否定する。
「わたしのために、そんな必死になってくれたんだあ、って。そんなこと言ったら後でわたしが怒るの分かってるのに、それでも口を衝いて言っちゃうんだあ、って」
そして私の方見て、言った。
「だからね、嬉しかったの。わたしにはこんな素敵な友達がいたんだなって」
あ、来る。
……
……
……
あれ?
「あれ?」
声に出てしまった。
「どうしたの?」
来なかった。
普通に嬉しかった。
おかしいな、いつも来てたのに。
来たって、なにが?
……
なんだっけ?
でも、いつも来たはずのものが来なかった。
なんで?
ほら、優佳さんと話してるとよく来てたアレよ。
チクッてきたやつ。
ちょっとした胸の痛み。
だから、それってなに?
……………………あ。
分かってしまった。
いま、初めて知ってしまった。
そして同時に分かってしまった。
纏場の第二ボタンが欲しかった理由。
違う、正確には第一ボタン。
だから私の奪いたい方は結局奪えなかったんだ。
私は纏場の第二ボタンが欲しかったんじゃない。
奪って阻止したかったんだ。
だってそれは放っておいたら、行き先が決まっていたから。
そうしたく、なかったから。
纏場の第二ボタンが目的地に到着して欲しくなかったからだ。
だって、そうして喜ばれちゃったら面白くないじゃない。
……私が。
じゃあなんでいま気付いたの?
そりゃ私がチクって来なかったから。
チクっとしても、そのことに気付こうともしてこなかったから。
なんで?
だってそれは……私がチクって来る相手はもうその人じゃないから。
…………優佳さんに友達って言われて、胸に痛みを感じること、卒業していたから。
「どうしたの、エーコちゃん……顔、真っ赤だよ?」
「は、ははは……ははははははは!」
恥ずかしいっ!!
そして、あああああ、なんてくだらないっ!!
想像の中の華暖が笑ってる。
蛇のような舌をチロチロさせて、下卑た笑い声をあげてるっ!!
あああああ、くそぉ、本当に恥ずかしい!!!
華暖、そりゃ気付くよね?
私があんなに喜々として喋りまくってたら、そりゃあ悟るよね!?
それでいて私がクソ真面目な顔して相談、とか言ってたら笑っちゃうよね!?
しかも、その内容の真実が……
「あああ~~~!!!」
「ど、どうしたの~エーコちゃん~!? ど、どうしよ、エーコちゃん、壊れちゃった……」
「ああっ、だいじょうぶ! 大丈夫です! あ、でも優佳さんこっち見ないで、いやっ、やめてっ!!」
「え~!? なんなの、本当にどうしちゃったの~???」
優佳さんがあたふたとしながら、頭からクエスチョンマークを巻き散らかしている。
そんな優佳さんの姿がとても可愛らしく見えてしまう。
そりゃそうよ、だって私は優佳さんのこと……”好き”だったんだから。
「あ~死にたい、死にたい!!」
「ダ、ダメ~~!!!」
優佳さんが暴れる私を止めようと思い切り、ひしと抱きついてくる。
「ギャ、ギャ~~~ッ!!」
私の興奮が収まるまでに、それから一時間ほどの時を有した……
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「あは、あはははは!!」
「もう優佳さん、笑うの止めてくださいよ……」
「だ、だってぇ、あんなエーコちゃん初めて見たよぉ」
「言わないでください、恥ずかしい……」
優佳さんは笑い過ぎて涙まで流している。
私たちはさすがにいまも玄関で話し込んでいるわけではなく、リビングのダイニングテーブルでくつろいでいた。
お茶とお菓子も添えるけど、この時間は太るから控えめに。
私は未だに血液の流れが早く、顔……いや全身が熱い。
だって私が、自分のこと……そんなだとは思わなかったんだもの。
華暖との会話の中に正解あったんじゃない。
幾つかでた候補を全部「ありえない」って、切り捨ててたけどその中の”ありえない”が正解だったなんて思わないでしょ?
華暖がそれを肴に私で遊んでたと思うと、本当に腹が立つっ!
……でも、華暖の言うことにも一理あるのは確かだ。
『それって人に指摘されても、実感伴わないと思うし? エ~コがパッと納得できりゃいいけど、自分で辿り着かないと意味ないと思うんだわ』
まさにその通りだった、私は実際にその意見を一回切り捨てている。
だから華暖にあの場で、正解を言われても私は認めなかっただろう。
「あ~おかしかった。エーコちゃん、また今度それやってね」
「絶対に、イヤですっ!」
「けち~」
「なんと言われても絶対イヤです」
「それにもっとけちなのは~? 急に暴れだした理由を教えてくれないことだよ?」
「そっちはもっと言えません!」
「え~なんでなんで~教えてよ~!」
「絶対絶対絶対言いません!」
……言えるかっ!
今も当時の気持ちのままならまだしも、私が私の知らない間にそれを過去にしていたなら尚更!
でも、気づいて考えてみれば、私ってそうだったよなぁ~って思ってしまう。
生徒会室からのあれから、ずうっと優佳さんにべったりだったし。
私の生活、男っ気なかったし。
傑さんには外見で一目惚れしたきりだったし。
本当に内面を好きになった、憧れた人って、優佳さんだけだったよなあって。
でもその後にまた傑さんと近しくなったからって、そっちにシフトチェンジしちゃう私って結局なんなんだろうな……
あ~なんか急に落ち込んできた。
私は恋愛脳で乙女脳でオマケにチョロい……
「えっと……エーコちゃん、今度はどうしたの? なんか急に暗くなっちゃったけど……?」
「今日は……なんかそういう日なんです」
「そ、そうなの? なんか大変だね」
ほら、優佳さんも少し引いてるじゃないか。
でも気付けて、よかった。
なんか自分で自分に納得したっていうか。自分の立ってるところがしっかりしたというか。
だからきっともう呪いは解けたんだと思う。私は傑さんに会いに行っても大丈夫。
過去の気付かなかったことに気付けて、私は前を向くことができる。
……でも、それと同時に胸に穴が開いてしまった気もする。
私がこれからしたいことはわかっている、誰と一緒に過ごしたいかはわかっている。
けれど、その感情はどこに行くのだろう。
私が五年前から優佳さんを好きだった私は、どこに行ってしまうんだろう。
もう夢の中で見た光景と変わらない? 別の世界のもう一人の私?
自分がかつてそんな想いを抱えていたことは、理解できているけれど、もう当時の気持ちを私が実感を伴って感じることができない。
だから漠然と思ってしまうんだ。
自分の気持ちに気付けなかった私がかわいそう、なんて。
だってその私はもういなくなろうとしている。
その気持ちを自覚しないまま、この世から消えていなくなってしまう。
女の恋愛は上書き保存なんて、よく言ったもんね。
そして私は正にその保存ボタンを押している、完全に上書きされるのはもう時間の問題だ。
私はないものねだりのように、そうならなかった過去に勝手に郷愁を感じているだけなんだ。優佳さんを好きだった、私の”死”に。
……だったらいまの私にできることって、なんだろう。
あいにく、私の体は一つしかない。
もう変な電波を受信して、私の体を乗っ取り、優佳さんに求愛なんかしたりはしないだろう。
だったら……
「優佳さん」
「は、はいっ!」
私は突っ伏したままの体を机から起こし、息を吸い込んで、できる限り気持ちを昔に戻して、言う。
「私のこと、いつも気に掛けてくれてありがとうございます」
昔の私が伝えたいことを呼び起こす。
「忙しいはずなのに、いつも私なんかと遊んでくれて、優しくしてくれて、話を聞いてくれて、嬉しいです」
突然始まった私の感謝に、優佳さんを目を丸くする。
「もし迷惑じゃなければ、これからも仲良くしてもらっていいですか?」
優佳さんは私のなにか神妙な様子に気付いたらしい。
だからそれに合わせて、膝に手を乗せしっかり向き合ってくれた。
「もちろん、私からもお願いします。エーコちゃんが迷惑じゃなかったら、ね」
自然と口角が上がってしまう。
目が見開いてしまう。
心がワクワクしてしまう。
誰にでも優しくなれそうな気持ちになってしまう。
「嬉しい、嬉しいです。優佳さん」
「ふふ、変なエーコちゃん」
「私はいつもこんなです! だからっ、優佳さん」
私は立ち上がって、自分の魂を込めて言う。
「優佳さん、ありがとうございます。私、優佳さんのことが、大好きです!」
言葉の流れで、出来るだけ自然に。
少しでも伝わればいいけど、伝わり過ぎないようなそんな匙加減。
優佳さんはその言葉をかみしめるように、目を瞑って聞いていた。
そして、返してくれる。
「わたしも、エーコちゃんのこと大好き」
控えめにニコっと笑ってくれる、私の先輩。
私の言葉の真意をもしかすると、分かっているんじゃないだろうか?
だってこの人にはなんでもお見通しなんだから。
でも、もしそうだとして私の言葉を聞いてくれて嬉しかった。
そして応えてくれて嬉しかった。
だからこれは今までの私のハッピーエンド。
そして新しい歯車を動かすために生まれ変わる。
まだまだ、私の物語は終わっていないのだから。