2-1 去来する寂しさ
「ほ、ほ~ら、レイカの好きなキムチチャーハンだ!」
シカト。
「なんと今日はセットでホイコーローもあるぞぉ……?」
……テーブルをチラ見。
「付け合わせにショーロンポーも作ってみたんだ、うまく出来てるかなぁ」
鼻が匂いを捉え、喉が鳴る。
「お~い……?」
顔を覗き込もうとすると、違う方向にプイと向く。
「あれ、レイカ。前髪ちょっと切った?」
「……っ!?」
「だよね?」
「いいから早く持ってきて!大盛りで」
「はい、ただいま!」
精密検査の結果、異常ナシとの診断をもらい無事退院することが出来た。
頬に新たなモミジ形の痕は増えていたが、それは誤差ということで。
最後に残った問題は、見舞いにお越しいただいた友人のご機嫌だけ……
「ねぇ、諭史」
「うん?」
「あんたって意外と浮気性?」
「違うわ!」
と弁解するも、あんなことがあった後じゃ説得力に乏しい。
レイカの前じゃずっと「優佳を信じて待つ」と言いながら、
数週間もしないうちに他の女のコと……キスなんてしてしまったのだから。
「じゃあ、なんだってのよ」
「それはさっき説明したじゃないか、あれは華暖が一方的に……」
「男のくせに女のせいにするんだ?」
「いや、それは、その」
そんなこと言われたら、押し黙る他ない。
「大体、一方的に迫られても、
それが起こらないようにするのが、彼氏の役目ってもんじゃないの?」
「返す言葉もございません……」
そう言いながら濃い味付けが好きなレイカは、
塩コショウをチャーハンに振りかけ、さらにしょう油を垂らす。
「しかもよりにもよって佳川なんかと。諭史、ああいうの好きなんだ?」
「ああいうのとか言うな、それに華暖は見かけによらず」
「ああもう!そうやってフォローなんかするから、マジっぽくなるんじゃないの!」
「あ、えと、そのすいません」
「その優柔不断な感じ、イライラする。
なんだろう確かピッタリの言葉があったな、ざるそば食わず~みたいな」
「……去る者追わず、来るもの拒まず?」
「あ~そう、それそれ!」
なんか言っててグサッと来た。というかこれ以上ないくらいにぶっ刺さった。
もしかして分からないふりして、わざと僕にそれを言わせたんじゃないよね?
「誰にでも戸口を広げるのは良いことだけど、
それはやって来た女の子を、全部受け入れていいってことじゃないんだからね?」
「それくらいわか……あ、いやその通りです、はい」
レイカの視線が尖っていたので、そのままUターン。
「頼まれたこととかも安請け合いしない、必要以上に二人きりで出かけないこと」
「はいはい」
「はい、は一回」
「……はい」
「ったく、勘違いする女の子だって、出てきかねないんだから」
「僕みたいな冴えない男にそんな勘違いする女の子なんて……いや、なんでもないです」
レイカのいらぬ心配に口を挟もうとしたが、キッと睨まれ発言を飲み込む。
「本当にわかってんの?あ、塩コショウなくなっちゃった」
そりゃ、あれだけ振りかけてれば無くなるに決まってる。
「後で買ってくるよ、あとなんか足りないものある?」
「ん~最近あまり買い物行ってないからね。
まとめてあとでリストアップしておくよ」
「じゃ、そのリスト作っておいて。できたら僕が買いに行ってくるよ」
「……なんで?私ん家の買い物でしょ。だったら一緒に行けばいいじゃない?」
「なに言ってるの?レイカが言ったばかりじゃないか。
必要以上に二人きりで出かけないこと、って」
「こ、この野郎……」
「えっ!?僕そんなおかしいこと言った!?」
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「……と、いう理由で新聞部に協力を取り付けてきた」
「なるほど、ね」
食後に淹れたプーアル茶を飲みながら、
新聞部が捜査協力してくれる顛末を説明していた。
「他校の新聞部や、病院の看護婦、
コネのあるところだったらどこの情報でも手に入るって言ってた」
「でもだからって記事を盛り上げるために、
偽の恋人関係なんて作らなくてもいいんじゃない?」
「いや、さすがに恋人って記載はしないように約束を取り付けた」
あの部長・副部長も記事を盛り上げるためといっても、
流石にウソの報道はマズいでしょということで”女性を守った男性Aの記事”に落ち着いた。
そこにはまだ色恋の妄想が入り込む余地があるし、
ゴシップの盛り上げとしては十分だから、と微妙な判断基準ではあったけれど……
「でも新聞部とは言っても高校生でしょ?
調べられる範囲で言ったら、たかが知れてると思うけど」
「いままでは僕一人とレイカくらいだったんだ。
アンテナが高くなるなら、悪いことはないかなって」
「そりゃ少しは、ね」
「……なんか優佳を探すのに否定的?」
「別に、そういうわけじゃないけど」
そういってレイカは少し居住まいを正した。
「私もさ、あれからいろいろ考えたんだけど、
こうやって曖昧な置き手紙を残していったのには、理由があると思うんだ」
「理由、っていうと?」
「そりゃハッキリとなんてわからないさ。
ただ、諭史と一緒に行こうって話はなかったんでしょ?」
「うん」
「だったら一人で行かなきゃいけない理由があったんだと思う。
諭史には来てほしくなかった、だから諭史には声をかけなかった」
「なんでだよ」
「だからわからないって。だけどもし一緒に行こうって声をかけなかったんなら、
アネキを見つけ出してさ、問い詰めるっていうのは本当に正解なの?」
「……」
レイカの言っていることは、もっともかもしれない。
僕と優佳は付き合いも長いし、
お互いの間に踏み込めないことなんてないと思っていた。
だから今回、突然の失踪ということが受け止められずにいる。
それはいままでの信頼を根底から覆されてしまうような出来事だ。
協力を求められない、相談されない。
それなのになにが恋人だ、相手のことを分かっている、だ。
僕は優佳と分かり合っているつもりで、一人相撲を取り続けてきたということだ。
自惚れていただけで、結局なにも分かっていなかった。なんて恥ずかしい……
そして同時に、優佳に対して苛立ちも募っていった。
僕が相談されるに値しなかった人間だった、それは誰のせいでもなく僕の問題だ。
それを優佳や周りのせいにしようなんて思わない。
でも……それでも、少しは考えてくれたっていいじゃないか。
頭のいい優佳だったら、わかるだろ?
なにも告げられずに残された僕が、こんな気持ちになることくらい。
僕たちは恋人としては五年かもしれないけど、一緒に生きてきたのは十年以上なんだぞ?
優佳はそれをわかってて、そうしたってことなのかよ……
僕が傷つくことも、すべて織り込み済みで。
だとしたら、その優佳を待ち続ける意味ってなんだろう。
そのことすら話してもらえなかった人を、大切な人って呼べるのだろうか。
戻ってきた時としてもその返ってきた人は、僕の好きだった優佳なのか。
……わからない。
事実、レイカの言う通り、恋人云々関係なしに話せない理由はあったのかもしれない。
けれど裏切られた手前、それを信じる力はどこかに消えて無くなってしまった気がした。
ショックで無くなってしまったのか、それとも時間が経って麻痺しているのか。
それはもう自分にだってわからない。
でも、もし理由がなかった時が、怖い。
理由がないということは、僕の前から姿を消すことが目的だったということだ。
ああ、そっか。
だから僕はいままでこの考えから逃げてきたのかもしれないな……
「諭史?顔色悪いよ?」
言われてハッとする。
「大丈夫?ケガしたところ、やっぱり痛む?それとも気持ち悪くなった?」
そういってレイカは僕のそばまで寄ってきて額に手を当てる。
「熱、はないけど……低い、体温低すぎるよ諭史」
レイカの当てた手は、暖かく気持ちが良かった。
この手のひらは昔に僕が引いて歩いた、小さかった”後輩”で”妹”だったはずのものだ。
それがいまはこんな暖かな温度を持ち、僕のことを気遣ってくれている。
レイカの顔を盗み見る。
目尻にすうっと流れる繊細な睫毛、憂いを帯びた表情。
……なぜレイカはこんな悲し気な雰囲気を纏うのだろう。
昔の大人しさはなりをひそめ、性格も勝ち気で大胆になった。
それなのに僕は感じてしまう。
もしかしてレイカは寂しがっているんじゃないかって。
「レイカの手、あったかくて気持ちいい……」
「え……?」
僕は無意識のうちに、レイカの手を自分の手に重ね、自分の頬に当てていた。
「さ、諭史……?」
「もう少し……このままでいい?」
僕はなにを言ってるんだ。
先ほどレイカに注意されたばかりじゃないか。
勘違いする女の子だって出てきかねないって。
……レイカが僕に、勘違いする?
はは、そんなのあり得るわけないじゃないか。
レイカは優佳の妹で、一番身近に僕と優佳の関係を知ってるんだから。
だからレイカが僕に勘違いすることだけは、あり得ない。
そんな身勝手な言い訳が、心から湧き上がる。
こんなこと、良くないなんてわかってる。
それでも自分の意志とは裏腹に、手を離すことはできなかった。
まるでレイカがそこから逃げださないよう、縛り付けるかのように。
僕は目を瞑って、手の暖かさを感じていた。
だからレイカがどんな顔をしているのかはわからない。
そうやって僕はすべてのことから、逃げ出している。
「諭史……寂しいの?」
思い出したかのように、レイカが問いかける。
僕は、なにも返せない。
……寂しいのは、レイカじゃないのか?
そんなことも思うけど、言えるはずもない。
当てられたレイカの手に縋っているのは、まぎれもなく僕の方だ。
でも心はそれを認めたくなくて、レイカのせいにしようとしている。
寂しいと思ったら負けのような気がした。
レイカには優佳を待ち続けると啖呵を切った、だから弱腰なところを見せたくなかった。
けれどもやっていることと、考えていることはあべこべだ。
「諭史は……頑張ってるんだね」
そういってレイカは僕の頬をやさしく撫で始める。
「頑張ってなんて、いない」
弱さをレイカのせいにしようとするくらいには。
「そう」
肯定も否定もせずに、頬そのまま撫で続けるレイカ。
それが僕の心に纏う鎧をボロボロとこそげ落としていく。
……あまりにも情けない。
自分の甘えを隠してレイカのせいにしようとしてた僕が、そのレイカに慰められている。
レイカの前ではしっかりしてなければいけないのに。
でないと……またレイカは僕の前からいなくなってしまう。
そう思っているのに、頬を伝う手からは逃げられなかった。
薄っすらと目を開け、レイカの顔を見る。
そこには恍惚としたような、母親が我が子を慈しみを込めてみるような女性がいた。
そしてそれは一緒に駄目になってしまおうと、深淵に誘いこもうとする悪魔のようにも見えた。
……お前は、誰だ?
そこにいるのは、レイカの皮を被った誰か。
またそうやってレイカのせいにし、自身の甘えから目を背けようとしている。
一体、僕はなにがしたいのだろう……
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「諭史?」
諭史は私の手に体を預け、目を閉じたかと思うとそのまま眠ってしまった。
「うそ……?」
座ったまま眠る人なんて初めて見た。
「おなか一杯になったら寝るって、子供かよ」
そういって指でほっぺをぐりぐりとしてみる、反応はなかった。
「これ、どうしよ……?」
諭史は私の手を枕とでも思っているのか、体重を預けきっていて結構重い。
起こさないように体勢を変え……諭史の頭を自分の膝に乗せてみる。
諭史の寝顔が真っ直ぐこちらを見つめる。
間抜けなような、子供のような、不思議な感じ。
と、まじまじと顔を見つめてしまって、なんとなく複雑な気持ちになる。
すると諭史は寝返りを打とうと体が大きく左に揺れた。
あ、マズイ。
諭史の右肩にはヒビが入っている。
右肩が潰れないように体を手で押さえ、なんとか左向きに体を誘導する。
すると膝と肘が少しだけ”く”の字に曲がり、まるで胎児のような格好になった。
「ったく、手の焼ける……」
言いながら嫌な気持ちになるはずもなかった。
それどころか諭史が私の前で無防備になってくれることが、少し嬉しかった。
私は諭史の頭に手を伸ばし、髪に触れてみる。
男らしくもない、サラサラで細い髪だ。
私、なにしてんだろ……
先ほど諭史にあんなこと言ったばかりなのに。
いや、それだけじゃない。
諭史をこうして家に住まわせること自体がとっくに私らしくない。
なんとなく、こうしなきゃいけないような気がした。こうしたほうがいい気がした。
……私がこうしたかった?
どうだろ。私はその問いに正解するつもりも答えるつもりもない。
けど目の前にあるものを、現れたものだけを、無視することだけはできなかった。