(5)襲撃
「危ない!」
「え? きゃあぁぁっ!」
いちなり力任せに突き飛ばされて、雑草が刈り込まれていない法面に転がった藍里は、すぐ横に身体を投げ出して自分同様転がったルーカスに文句を言った。そしてその背後を先程の車がスピードを上げつつ走り去り、少し通り過ぎた所で急ブレーキを立てて停車する。それを見たルーカスは盛大に舌打ちしながら勢い良く藍里の手を掴んで立ち上がり、車二台がすれ違うのがやっとの坂道を駆け上がり始めた。
「ちょっと! いきなり何するんですか!!」
「喚くな! 轢き殺されかけたんだぞ! そんなに轢死体になりたいか!?」
二人並んで問答無用で走り始めた為、当然藍里は抗議の声を上げたが、ルーカスは思いきり怒鳴り返した。しかし全く状況が理解できない藍里が、取り敢えず坂道を並んで駆け上がりながら怒鳴り返す。
「は! 何で!? 公爵令嬢と言っても、クラリーサさんはアルデイン国での公爵位継承権とかありませんよね!?」
「馬鹿! 狙われてるのはお前だ!! とっとと逃げるぞ!」
「逃げるって、どこに!?」
「お前の自宅だ! 辺境伯が自宅周囲に強固な結界を張っている筈だからな。滅多な奴は侵入できない筈だ。こんな逃げ場のない所で右往左往している暇は無いぞ!」
その主張に、藍里は盛大に顔を顰めた。と同時に、先程急停車した車が、そのまま勢いを増しつつバックしてきたのを視界の端に捉えながら舌打ちする。
「『辺境伯』って何よ? それにやっぱり、言葉遣いが凄く乱雑になってるんだけど?」
「この状況で、細かい事を気にするな! さっさと行くぞ!」
「あ、ちょっと待って。こっちよ」
「は? どうして」
いきなりある石段の前で立ち止まり、腕を引っ張った藍里にルーカスは戸惑った表情を見せたが、彼女は落ち着き払って理由を説明した。
「道路をこのまま上がって行ったら見通しが良すぎるし、暫く脇道もないから、またあの車で突っ込まれたら逃げようがないわよ? 最短コースで家まで行くわ。付いて来て!」
「おい! ここは他所の家に続く階段だろうが!」
確かに昔からある山を切り開いた道は、左右が法面で逃げようが無く、かと言って見ず知らずの他人の家に入り込んで迷惑をかける事に釈然としないまま、ルーカスは藍里の後に続いて石段を駆け上がった。
そして玄関から入って先程の襲撃者から匿って貰うつもりかと思いきや、藍里は玄関を開けたものの、中には入らないで奥に向かって大音量で呼びかける。
「おばさん、こんにちは!! ごめんなさい、急いでるから庭を通してね!」
その声にどこかの部屋の襖が開き、ひょこりと顔を出した四十代と思しき女性が、笑顔で了承してくる。
「あら、藍里ちゃん、久しぶり。偶にはお母さんに、お茶を飲みに来る様に言ってね?」
「はーい、伝えておきまーす!」
そして再び玄関を閉め、建物を回り込んで庭に入り込み、躊躇う事無く背後の山に分け入った。
「さあ、ちょっと上るわよ」
「良いのか、こんな事」
「子供の頃から遊んで、ここら辺の地形は頭に入ってるわ」
「……猿かよ」
ルーカスの呟きを無視した藍里は、きちんと定期的に伐採して手入れされた斜面を、迷う事無く二十メートル程移動した。そして開けた所に上ったと思った瞬間、ルーカスはゲートボールのスティックを手にした老人と遭遇した。
「おや、藍里ちゃん。そんな所からどうした?」
どうやら車が停まっていない駐車場で打つ練習をしていたらしい彼に、藍里は平然と笑顔を振り撒く。
「宮根のおじいちゃん、ひさしぶり。ちょっと通してね」
「……お邪魔します」
「随分美人な友達ができたんだね。急いでるのかい? 足元に気を付けるんだよ?」
申し訳程度にルーカスが引き攣った笑みで会釈すると、愛想よく手を振って見送ってくれた老人に背を向け、二人はその駐車場から伸びる小道に入った。そして何度か左右に続く山道を駆け上がると、また他の家の裏庭に到達する。
「あれ? 藍里お姉ちゃん? 綺麗なお姉さんと一緒に鬼ごっこ?」
その家の子供らしい女の子がままごと遊びをしている所に遭遇し、ルーカスはどう弁明するべきかと思ったが、近所のその子とは当然顔見知りだった藍里は、裏庭を通り抜けながら笑って誤魔化した。
「うん。まあ、そんなとこ」
「また今度遊んでね?」
「うん、約束」
ひらひらと手を振ってその家の表に回って門を出た藍里は、少し離れた所にある門を指差しながら歩き出した。
「ここまでくれば大丈夫? あそこが家の門だけど」
「……お前、どこまで規格外だ。他人の家の庭や裏山を突っ切るなよ」
呆れながら苦言を呈したルーカスに、藍里はムッとしながら言い返す。
「最短コースだけど、普通はしないわよ。地形上接して建てられてはいないけど、勝手知ったる同じ集落のご近所さんばかりだしね。それより……、さっきからずっと気になってたんだけど」
「うおっ! こ、こらっ、いててっ! 無理に引っ張るな!!」
門の前でいきなりルーカスの髪を両手で鷲掴みにし、力任せに引っ張った藍里に、ルーカスは悲鳴を上げた。そして抵抗虚しく、ルーカスの頭部で発生した幾つかの小さな音と共に、ウィッグが剥がし取られる。
「やっぱり……。あんた公爵令嬢だなんて真っ赤な嘘で、男じゃない! この変態!!」
命を狙われている事などすっかり失念して糾弾した藍里に、本来の短髪になったルーカスは顔を真っ赤にして怒鳴り返した。
「なっ! 俺のどこが変態だ!」
「女装してスカートの制服着て、女子高に潜り込む男のどこが、変態じゃないって言うのよ!!」
「仕方がないだろ! 父上と辺境伯からの指示を拒めるか!!」
「はあ? 父上って誰? それにさっきも『辺境伯』とか何とか言ってたけど、何の事よ?」
「それは……、しまった!!」
どうやら藍里達を探しつつ坂道を上って来た例の車が追いつき、急ブレーキをかけて停まると同時に、黒いスーツ姿の男二人が素早く車から降りてきた。それに気が付いたルーカスは、焦って藍里を門の中に押しやろうとする。
「早く、門の中に逃げ込め! ……ぐあっ!!」
いきなり道路に崩れ落ちたルーカスの左肩の制服が少しずつ変色していくのを見て、咄嗟に彼を抱えた藍里は顔色を変えた。どうやらサイレンサー付きの銃を使用したらしく、それと分かる発射音はしなかったが、明らかに銃撃されたのが分かる。
「え? ちょっと! どうしていきなり撃たれるのよ!?」
近寄って来る男達の手に握られている、日常生活でお目にかかる事など有り得ない代物に、藍里はパニック状態になったが、ルーカスはそんな彼女を叱り付けた。
「構うな! ああいう連中は、敷地内には入れない筈だ! 俺に構わず門の中に駆け込め!!」
「無理! あなた、撃たれてるでしょう!? 殺されるわよ!」
「グダグダ言ってないで、早く!! うあっ!」
「きゃあっ!」
揉めながらも藍里を引きずって立ち上がろうとしたルーカスだったが、今度は右足の脛を撃たれたのか、そこから赤い血が地面に流れ落ちる。
(私、このまま殺されちゃう? そんなの嫌、だって……、今度の土曜日は……)
半ば脈絡のない事を頭の中に思い浮かべているうちに、至近距離まで悠然と歩いて来た男達が、藍里に向かって不敵に笑いながら銃口を向けた途端、緊張のあまり色々振り切れた藍里は、ルーカスを庇うようにその身体に覆いかぶさりつつ、声の限りに叫んだ。