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ようこそリスベラントへ  作者: 篠原 皐月
プロローグ
1/57

その世界の始まり

 深夜に近い時間帯。通常ならば殆どの者が眠りについている時間帯ではあったが、鬱蒼とした森と険しい山に囲まれた、お世辞にも広いとは言えない土地を治めている領主館の一角で、二組の男女が一つのランプだけを点した中で、緊張した顔付きで言葉を交わしていた。


「グラウル。取り敢えず領内に集まっていた者達は、もう全員向こう側に行っているな?」

「はい、兄上。この半月程で、夜陰に紛れて少人数ずつ移動させました。あとは兄上達だけです」

「そうか……。すまないな、グラウル。お前に後の事を、何もかも押し付ける事になってしまって……」

「いえ、これからの兄上達の御苦労を思えば、それ位何でもありません」

 沈痛な面持ちで言葉を交わしている男二人は、兄弟であるが故に良く似通った顔立ちをしていたが、その服装には歴然とした差があった。

 兄の方は簡素な、如何にも旅支度と言える機能性と強度を重視した作りの服であり、弟の方はそれよりは肌触りや装飾を念頭においた上質の装いである。そしてそれは、彼らの傍らに静かに立っている妻達も同様であった。

 要するにその差は庶民と支配階級のそれであり、今後の彼らの人生の違いを如実に現していたのだが、この場の四人のうちそれに関しての不満や不安などを口にする者は、誰一人としていなかった。


「それでは、後の事は任せた。打ち合わせ通り、私は急病で死んだ事にしろ。もとより、こちらに戻る気はない」

「はい、心得ております。ここは我々が、命に代えても守り抜きます。そしてこれからも、言われ無き迫害を受ける者達を保護して、そちらに送ります」

「宜しく頼む」

 この場で最年長のガイナスが、至近距離にあったドアの取っ手に手をかけながら弟とやり取りをしていると、とうとう我慢できなくなったらしいグラウルの妻のアリシアが、涙声でこれから旅立とうとしている兄夫婦に告げる。


「お義兄様、お気をつけて下さい。リスベラも、あまり無理はしないで。こんなとんでもない事をやってのけたのだから。本当に、向こうで暮らすのが無理だったら、いつでも戻って来て……」

 そこまで言って口に手を当ててむせび泣いた彼女に、(それはできない相談だ)と兄夫婦は思いつつ、余計な事は言わずに申し訳無さそうに声をかけた。

「アリシア、余計な気苦労をさせる事になって、申し訳ないと思っている」

「大丈夫よ、アリシア。今のところ体調に異常は無いし、向こうでも十分気をつけるわ。心配してくれてありがとう」

 うっすらと涙を浮かべながら、れっきとした騎士階級の娘でありながら、流浪の民であった自分にも隔意無く接してくれた得難い友人に、リスベラは心からの感謝の言葉を述べた。そこで時間を気にしながら会話していた兄弟は、そろそろタイムリミットである事を悟る。


「それではリスベラ、行くぞ。グラウル、息災でな」

「はい。あの捜索隊が諦めて領内から立ち去ったら、扉を開けて追加の物資をお渡しします。その時に改めて、今後連絡を取る為の細かいルールを決めましょう」

「そうだな」

 そうしてガイナスがドアを引き開け、その向こうの暗闇に足を踏み入れた二人の姿が消える。グラウル達はその光景を見守ってから、無言でドアを閉めた。それと同時にアリシアが、一筋涙を零しながら独り言の様に呟く。


「あなた……。本当に、行ってしまわれましたね……」

「アリシア、泣くのは後だ。急いで隠すぞ」

「はい」

 呆然とドアを眺めていたアリシアは、夫に急かされて慌てて涙を拭った。そしてドアの左右の壁に立てかけてあった梯子に夫婦二人でそれぞれ上り、ドアの上部に巻き上げてあったタペストリーを縛っておいた紐を左右同時に解く。

 すると当然タペストリーは重力に引かれてスルスルと床に伸び、先程二人が消えたドアを覆い隠してしまった。梯子から降りて、それを眺めたグラウルは、思わず苦笑の表情を浮かべる。


「皮肉な物だな。神に見捨てられた者達が、神の姿を隠れ蓑にするとは」

 その場は領主館礼拝堂祭壇の背後の壁の裏側であり、北側の天井に近い位置に小窓が一つしか無い、本来は小物を収納しておく狭いスペースの為、昼間でも薄暗い場所である。そしてそこのその壁に、受胎告知の場面のタペストリーが掛けられてあるのは、さほどおかしい事では無かった。そのタペストリーの下に、本来なら向こう側に開くはずの無いドアがある事以外には。

 そのタペストリーを暫く無言で眺めていたグラウルは、同様に黙って佇んでいた妻に向き直って重い口を開いた。


「アリシア。この秘密は、未来永劫守り通さねばならない。分かるな?」

「はい、勿論です。例え我が子でも、この秘密とこの地を守り通す能力を持たず、この扉の真の意味を理解できない者を、後継者とする事はできません」

「お前の言う通りだ」

 自分以上に真摯な表情で頷いた妻に、グラウルは若干救われた表情になって頷いた。そこでアリシアが再びタペストリーに視線を戻し、ささやかな願望を口にする。


「いつか……、向こうに行った方々がこちらに戻ってきて、皆で平和に暮らせる日がくれば良いですね」

 その可能性は限りなくゼロに近い物であるとは分かってはいたが、同様にそれを理解していながら口に出した妻の心情を想って、グラウルも敢えて否定はしなかった。

「……そうだな。近い未来には実現できそうも無いがな。遠い未来にはそうなって欲しいものだ」

 グラウルも本心からの願いを口にしてから黙って梯子を部屋の隅に片付け、アリシアを促してその小部屋を出た。そして礼拝堂がある棟から中央の棟に戻ると、広々とした廊下に、自分達が生まれた頃からこの家を取り仕切っているロイズが佇んでいるのが目に入る。


「グラウル様、アリシア様……」

 静かに自分達に指示を求めてきた彼に、グラウルは予定通りの台詞を口にする。

「兄上は逝かれた。その様に取り計らう様に。この近辺をうろうろしている目障りな狂犬共にも、兄上の死体を拝ませてやろうじゃないか。マルテア殿が、棺にしっかり目くらましの術をかけてくれたらしいからな」

 舌打ちせんばかりに忌々しげに新しい主が告げると、それを聞いたロイズは一瞬痛ましそうな表情になってからすぐにいつもの落ち着き払った顔付きを取り戻し、白髪頭を深々と下げて了承の返事をした。


「畏まりました。早速領内に告知致しまして、館の皆で葬儀の準備に取りかかります」

 その日、グラウル・ツー・ディアルドとその身分違いの妻は、彼が治めていたその地から人知れず姿を消し、地上とは異なる世界に確立したリスベラントが、密かにその歴史を刻み始めたのだった。



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