悪役令嬢の中と外
「アヴリル。愛しているよ。
この気持ちは永遠に変わらない。
なにがあっても、俺は君を愛し続ける」
魔法学園の中庭、噴水のそばの四阿で。
そう自分の前に傅いて手の甲にキスをし、愛を誓った麗しい婚約者を目の前にして、思わずガッツポーズをしてしまいそうなくらいに嬉しかった。
「ほ、本当に? レオン」
「本当だよ。アヴリル」
「嬉しい……」
感極まって涙ぐんだ彼女に、立ち上がった婚約者がそっと涙を拭い抱きしめる。
魔法学園に主人公が転入してきて、一年が経った日のことだった。
榊原美保。享年24歳。彼女は至って、普通のオタクだった。
アニメや漫画を愛し、推しの活躍を応援する、そんなオタクだった。
病気によって命を落とした美保が心のよすがにしていたのは、あるソシャゲ。
恋愛要素がメインのそのソシャゲは魔法と剣の世界で、その世界にある魔法学園が物語の舞台だった。
そのゲームで、主人公の恋のライバルになる悪役令嬢の一人、アヴリル。
それこそが美保の推しであり、美保が転生した身体の持ち主だった。
気づいたら自分が推しであるアヴリルになっている。
そんな状況に美保は驚き、また身体を奪ってしまったアヴリルに心から詫びた。
だが、思いついたのだ。もし、主人公が学園に転入してくるまでに、自分がアヴリルとその婚約者、レオンの絆を強固なものに出来れば、レオンを失い悲しむアヴリルの姿を見ずに済む。
美保は、レオンルートで愛する婚約者が主人公に恋をしていく姿を見て、アヴリルがひどく傷ついていたことを知っている。
だからそれを阻止したかった。
美保はひたすら努力した。アヴリルは元々高い魔力と頭脳を持っている。だから成績は問題ない。問題なのは、レオンとの関係。
学園に入学するまでのレオンとの関係は、ほぼ形ばかりのような婚約だった。
アヴリルはレオンが好きだった。ただどうしても素直になれなかった。
素直になれず冷たい物言いをしたり、レオンの大事にしているものを馬鹿にしたり。
だからそれをどうにかしようと思った。
素直な想いを口にして、レオンの大事にしているものを大事にして、彼に寄り添った。
その結果、主人公が転入してきて一年が経った今、レオンはアヴリルを愛するに至った。
美保は大はしゃぎした。
やった。これでアヴリルは幸せになれる。
あとは、邪魔な私さえいなくなれば──そう思った瞬間だった。
『じゃあその身体ちょうだい!』
気づいたら、真っ白な空間に一人立っていた。
あれ? ここはどこだろう? レオンは?
さっきのは、アヴリルの声?
そう戸惑っていた美保の前に黒い髪に眼鏡をかけた女が現れた。
「あなた、誰?」
「あなたこそ誰よ。この泥棒猫」
「え?」
「異世界転生するのはわたしのはずだったのに、あなたのせいでわたしが転生出来なかったのよ」
恨みがましそうに自分を睨んでくる女に、美保は困惑する。
「あなたも、『ドキせか』の世界に転生したかったの?」
「そうよ! なのに主人公にはなれないし、だからあんたの身体をもらうことにしたの!」
ちなみに「ドキせか」というのはアヴリルが登場するソシャゲの略称だ。
この子もドキせかを愛するユーザーの一人なのか、と思った美保だったが不意にハッとした。
「ま、待って。それってつまり、アヴリルの身体に入るってこと?」
「ほかに空いてる身体がないんだから仕方ないじゃない。
あんな悪役令嬢になるのは嫌だけど、あんたのおかげでレオン様はアヴリルに夢中だからまあいいわ」
「だ、だめだめ! アヴリルはこれからアヴリルとして幸せになるんだから、私たちが邪魔しちゃ──」
「いいからうるさい!」
女が叫ぶとバチン、と電流が走ったように身体がしびれた。
「いいからわたしにその身体を寄越せ!
あんたはさっさと出ていきなさい!」
そのまま身体が宙に浮かんで吹っ飛ばされ、美保の視界は真っ暗になった。
「ふふ」
女は満足そうに、意のままに動かせるようになったアヴリルの身体を見下ろす。
悪役令嬢というのが気に食わないが、透き通るような金色の髪に白磁の肌、スタイルの良い身体。そして侯爵令嬢という身分。
なによ、案外悪くないじゃないの、とほくそ笑む。
女は真奈美と言った。『ドキせか』のユーザーの一人であり、レオン推しのオタク。
まあ、悪くないわね。あの女はアヴリルとレオンの縁結びをせっせとしてくれたみたいだから、今のレオンはアヴリルに夢中だし。
でも欠陥品だわこのゲーム。わたしが主人公に転生出来ないなんて、と内心ぼやく。
「アヴリル?」
不意に不思議そうに自分を呼んだ声に真奈美は顔を上げる。
目の前には推しであるレオンが立っている。
「レオン様!」
ぱあっと顔を輝かせ、真奈美がレオンに抱きつけばレオンは一瞬戸惑ったが、そのまま抱きしめてくれた。
そうよ。このままわたしはアヴリルになってレオン様に愛されて幸せになるんだから。
その道を舗装してくれたあの女には感謝しなくちゃね。もうこの身体はあげないけど。
この世界はわたしの世界。あの女のものじゃないんだから。
そう真奈美は心の中で高笑いをあげた。
レオンとの逢い引きを終えて教室に戻ると、見覚えのない女がアヴリルの席の前に立っていた。
「なにしてるのよ」
「あ、アヴリル様! その、これを!」
ずいっと女が自分になにかを差し出してくる。
「なにこれ」
「アヴリル様が欲しいと言ってくださったので、勇気を出して作ってきたんです」
彼女の手のひらに載っていたのは小さなティアラのようなビーズ作品だ。
そういえばこの女、ビーズ職人の父親を持つアヴリルの取り巻きだったかしら、と真奈美は思い出した。
「こんなもの要らないわよ」
「あっ」
真奈美がそのティアラをたたき落とすと、カシャン、と軽い音を立てて床に転がる。
「あ、アヴリル様……?」
「こんな安物なんかわたしに相応しいわけないじゃない!
馬鹿にしないでくれる?
わたしは王弟レオン様の婚約者なのよ!
貢ぐならもっと高級なものを持って来なさいよ!」
「ごっ、ごめんなさい……!」
心から侮蔑するような表情で罵倒した真奈美に、彼女はショックを受けて涙を浮かべる。
教室の中は静まりかえっていた。
「どうしたの?」
「アヴリル様が」
「どうなさったのかしら。まるで人が変わったみたい……」
ひそひそと周りにいる生徒たちが囁く。
「何事だ?」
不意に声をかけてきたのは、教室に入ってきたばかりの美形の男子。
王太子ハクスリーだ。
真奈美にとっては二番目の推しだ。つい顔を輝かせて、
「なんでもありませんわ! ハクスリー様!」
とぶりっ子仕草で彼に抱きつく。
途端すぐに肩を掴まれて引き離された。
「そういったことはしないでもらおう。
あなたはレオンの婚約者。
ほかの男と親しくすべきではないと思うがな」
「まあ、そんなつれないこと仰らないで。
お互い長い付き合いになるんですもの」
ハクスリーの胸に手を突いて顔を寄せ囁いた真奈美に、ハクスリーは訝しむような視線を向ける。
冷たい目を向けられて、真奈美は不快げに眉を寄せた。
なによ。あの女が中に入っていた時はあんなに優しかったくせに。
いいわ。レオンみたいに誘惑してあげる。どうせすぐレオンみたいに、「わたし」に夢中になるんだから!
そう思った瞬間だ。
「きゃああああああああああ!」
突然雷に撃たれたような衝撃を味わい、そのまま床に倒れる。
意識を失った真奈美、もといアヴリルの身体を見下ろして、ハクスリーは「どうしたんだ?」と戸惑う。
「どうしたんだ。彼女は。いつもと随分様子が違ったが」
「は、はい。まるで別人みたいに……」
ハクスリーの言葉に、取り巻きの少女も困惑気味に頷いた。
そこにレオンがやってきて、「アヴリル!」と倒れた身体に駆け寄った。
「彼女はどうしたんだ?」
「それが、急に倒れて。様子がいつもと随分違っていて」
「……そうか。まあ、大したことではないかもしれないぞ?」
レオンはアヴリルの身体を抱き起こしながら、おどけた風に笑う。
「学園の悪霊が取り憑いた、とかだったりしてな」
「まあ、レオン様ったら」
「でも確かに、まるで誰かが取り憑いたかのような変貌ぶりでしたわね」
「そうね。あり得そうな話だわ」
その場を取りなすレオンの嘘に、学友たちも「それが一番あり得そうだ」と納得する。
「俺は彼女を医務室に連れて行くよ。
ハクスリー。次の授業は遅れると先生に伝えてくれ」
「わかった」
ハクスリーに伝言を残して、レオンはアヴリルの身体を横抱きにすると、教室を出て医務室に向かった。
ふっと意識が浮上する。
医務室のベッドに横たわっていた身体を起こすと、ベッドのそばの椅子に座っていたレオンがアヴリルを見た。
「やっと起きたか。眠り姫。
全く、今日の君はどうしたんだ?
随分様子がおかしかったとみんな言っていたぞ?」
もっとも俺はその様子を見ていないが、と尋ねたレオンに、アヴリルはしばらく黙っていたが、
「あら、ごめんなさい。
ちょっと、物語にある悪役令嬢の演技をしてみただけなのよ」
と優美な笑みを浮かべて答えた。
「またなんだってそんな真似を?
君の友人が戸惑っていたぞ?」
「そうね。悪いことをしてしまったわ。
あとでお詫びの品を贈らないと」
「あ、もしかして秋の文化祭で行う演劇の予習じゃないだろうな?
君は悪役の魔女の演技が上手そうだ、なんて一部の奴が言ってたから」
「そうね。そんなつもりで演技をしたのだけど、ぴったりだったかしら?」
「あとでハクスリーに聞いておくよ」
困ったような笑みを零して、レオンは椅子から立ち上がる。
「じゃあ俺は授業に戻るよ。
君は頭を打っているかもしれないから、もう少し休んできたらいい」
「ええ、そうさせてもらうわ」
優しく微笑んだレオンが立ち上がり、医務室を後にする。
残されたアヴリルはため息を吐いて、ゆっくりベッドから降りた。
そのまま廊下に出て、玄関のほうに向かって歩いて行く。
『……して! はなしてったら!』
胸の中でうるさい、いや、忌々しい声が響いている。
そのままアヴリルは校門から外に出て、王都の大通りを歩いて行く。
『はなしてよ! なんでわたしの自由にならないの!?
わたしの身体を返してったら!』
「誰が、──お前の身体だと言ったの?」
低く抑揚のない声で問い返したアヴリルに、身体の中で真奈美が騒ぐ。
『それはわたしの身体でしょう! 返してよ!』
「違うわ。これはわたくしの身体。そして、わたくしが託した美保の身体よ」
『……は、え、あんたって、』
「美保は優しいからわたくしの幸せのために生きてくれた。
そんな美保だからこの身体を託すことも許せたけれど、あなたは別だわ」
アヴリルは冷たい声音で告げると、大通りから外れた路地に入る。
そこで見つけた、地面にうずくまっている存在を見つけて足早に近寄り、その身体に手を押し付けた。
「でも、あなたにも身体がないと可哀想よね?
だから、ほら、あなたの身体を見つけてあげたわよ?」
「……え」
茫然とした声は目の前から聞こえた。
目の前に座る、薄汚れた三十代くらいの女から。
彼女はアヴリルの顔を見て、それから震えた己の汚れた手を見下ろし、すぐそばの建物の窓ガラスに飛びつく。
そこに映った浮浪者にしか見えない女の顔を見て、顔色が蒼白になる。
「若い少女じゃなく、ほどほどの年齢の身体にしてあげたわ。
だって、見た目の良い孤児だと養子になって救われる可能性があるもの。
その年くらいの浮浪者だったら、手を差し伸べる人間も、身体を売って生きる術もなくて大変でしょう?
よかったわね? あなたに相応しい第二の人生よ」
「な、なん、で」
「なんで? なにが?
美保とあなたじゃ違うのよ。
だってあなたは、わたくしの幸せのためには生きてくれなかったでしょう?
その上、あなたは美保がわたくしのために生きてくれた努力をなかったことにしようとした。
許せるわけがあると思う?」
「…………っ」
凄みのある微笑で囁いたアヴリルに、真奈美は青ざめ、これからの人生をその身体で生きる絶望に震えた。
「さあ、さっさとお逃げなさい。
じゃないと、憲兵隊に捕まるわよ?」
彼ら、大通りから浮浪者を追い出そうとパトロールしてるから、捕まったら牢屋で拷問かしらね。
そう笑ったアヴリルの後ろ、大通りのほうから武装した憲兵隊が歩いてくるのを見て、真奈美は死に物狂いで逃げ出した。
「あ、おい、いたぞ! 浮浪者だ! 追え!」
「そこの君、ここにいると危ないから早く大通りに戻りなさい!」
「はい」
憲兵隊の言葉に笑顔で頷いて、アヴリルは大通りのほうに足を向ける。
「さて、害虫駆除も終わったところで、……あの身体の元の持ち主には、もっと良い身分の身体を見つけてあげましょう。
わたくしを毛嫌いして美保に嫌がらせしてきた男爵令嬢の身体なんていいわね」
自身の手のひらを見つめて、アヴリルは笑う。
「あとは優しい美保の身体を用意してあげなきゃ。
この身体で二人一緒に生きるのもいいけど、美保は気に病むものね。
お父様とお母様に妹を作ってもらって、その身体をあげるのがいいかしら」
そう、真奈美に向けていたのとは別人のような慈愛に満ちた微笑で、アヴリルは自身の胸に手を当てる。
ある日突然現れた美保。わたくしの幸せだけを考えてくれた優しいあなた。
あなたのためならなんだってしてあげる。
「わたくしのために生きてくれてありがとう。
今度はわたくしが、あなたのために生きてあげる」
そう微笑んで、胸の中から返事が返ってくるのを、今か今かと待っていた。




