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第五話:警告

 腹が満たされると、人間というのは不思議なもので、さっきまで全身を覆っていた疲労感が、少しだけ軽くなったような気がした。もちろん、根本的な問題が何一つ解決していないことは分かっていた。ここは依然として出口のない異空間で、俺たちは閉じ込められたままだ。

 それでも、温かい(とは言えないが)食事が胃に収まり、アリアやシルフィと馬鹿みたいなやり取りをしていると、ほんの少しだけ、本当にごくわずかな時間だけ、この絶望的な状況を忘れられた。


「ふぅ……食った食った。しかし、あの『さば』とかいう魚の缶詰、なかなかの美味だったな。うちの国の干し魚とは大違いだ」


 アリアは満足げに胸をさすりながら、豪快にげっぷをした。行儀という概念は、彼女の辞書には存在しないらしい。俺は顔をしかめたが、シルフィは気にするそぶりもなく、空になったジャムの瓶を指でなぞりながら、何かを分析するようにぶつぶつと呟いている。


「……硝子。高い透明度。不純物が極めて少ない。蓋の密封構造も合理的。これを量産する技術体系……興味深い」


「おいシルフィ、いつまでそんなことやってんだ。それより、次どうするか考えようぜ」


 アリアの言葉に、俺も頷いた。食料と水は、この巨大なスーパーマーケットのおかげで、当面は困らないだろう。だが、それだけでは不十分だ。


「そうだな。まずは、このショッピングモールを拠点にするとして、もっと探索範囲を広げるべきだと思う。いつ、またあの黒いバケモノみたいなのが出てくるとも限らないし、もっと身を守るための道具が必要だ」


「道具、か。わたしの剣と、シルフィの魔法じゃ不足だと?」


 アリアが少し不服そうな顔で俺を見る。


「そういうわけじゃない。この世界にはあんたたちの知らない便利なものがたくさんあるはずだ。例えば、明かりとか」


 俺はそう言って、自分のスマートフォンをテーブルに置いた。画面は真っ暗なままだ。


「本来、これは明かりとして使える。だが、こいつのバッテリー……エネルギー源は、もうほとんど残ってない。もし、ここの照明がもし消えたら、厄介なことになるだろ?」


「なるほどな。確かに、暗闇の中で敵に襲われたら厄介だ。よし、分かった。お前の言う『べんりなもの』とやらを探しに行こう。で、どこにあるんだ、そいつは?」


「この施設の上の階に、家電量販店があったはずだ。そこなら、電池で動くライトとか、色々見つかると思う」


「かでんりょうはんてん? また変な名前だな。まあいい、案内しろ、ジュン」


「……未知の道具。構造解析の好機」


 シルフィも、短い言葉の中に明確な同意を示した。こうして、俺たちの次の目的地は、家電量販店に決まった。



 俺たちは再び、静寂に包まれた吹き抜けのホールへと戻ってきた。地下一階のフードマーケットとは違い、上層階はどこか空気が乾燥しているような気がする。止まったままのエスカレーターを、一段一段、自分の足で上っていく。コツ、コツ、という俺たちの足音だけが、やけに大きく聞こえた。


「うおっ、なんだこりゃ!?」


 目的のフロアにたどり着いた瞬間、アリアが素っ頓狂な声を上げた。無理もない。彼女の目の前には、壁一面に設置された巨大なディスプレイが、何十台も並んでいたのだから。その全てが、同じデモンストレーション用の美しい風景映像を、色鮮やかに映し出している。


「テレビ……映像を映すための機械だ。俺たちの世界じゃ、一家に一台はある」


「これが機械だと!? 幻影魔法じゃないか。すごいな、水が本当に流れているように見える……」


 アリアは子供のように目を輝かせ、巨大な8Kテレビの画面に顔を近づけている。一方、シルフィは別のものに興味を引かれたようだった。彼女は、フロアの隅に展示されていた洗濯機の前に立ち、その内部を食い入るように見つめていた。


「……ジュン。この鉄の箱は、何のためのもの? 中央の円筒が回転する構造になっているように見受けられる……」


「それは洗濯機。この中に入れた服を自動で洗ってくれるんだ」


「自動で洗濯? なるほど、水の魔術と、風の魔術を組み合わせたようなものと推測する。……魔力の供給源は見当たらない。やはり、これも電気?」


「ああ、そうだ。俺もその詳しい理屈はよく分からないけど」


 俺たちの常識が、彼女たちにとっては魔法のように見える。その逆もまた然り。その事実が、俺たちがどれだけ違う世界で生きてきたのかを、改めて突きつけてくるようだった。

 アリアとシルフィは自分の興味にあった製品をじっと食い入るように見つめていた。

 しばらく、待ってみたが、一向にそこから動かなくなってしまった。


「二人とも、そろそろ、目的のものを探しに行こう」


 俺は二人に声をかけた。


「ああ、ああ。ジュン。この幻影魔法で出てくる馬が立派でな、ぜひとも欲しいな、と。いや、はや…」

「……了解」


 後ろから、アリアとシルフィから、なんともマイペースな返答が聞こえてきた。


 それを聞きながら、俺はフロアの奥へと進んだ。

 これから目指すは、キャンプ用品や防災グッズがまとめられているであろう、アウトドア用品のコーナーだ。

 幸い、この店は俺が知っている家電量販店のレイアウトとよく似ていた。すぐに、それらしき一角を見つけることができた。


「あった。ここだ」


 棚には、様々な大きさのLEDランタン、色とりどりのヘッドライト、モバイルバッテリー、そして大量の乾電池が、整然とパッケージングされて並んでいる。まさに宝の山だった。


「これが、お前の言っていた電気の『あかり』か。ずいぶんと小さいんだな」


 アリアが、手のひらサイズのLEDランタンを一つ手に取って、不思議そうに眺めている。


「ああ。使い方を教えてやる」


 俺は、展示用のサンプルを手に取り、底面の蓋を開けて電池を入れる。そして、スイッチを押した。


 カチッ、という軽い音と共に、ランタンから目が眩むほどの白い光が放たれる。


「うわっ!?」


「……!」


 アリアとシルフィが、思わず手で顔を覆った。


「どうだ、すごいだろ。これ一つあれば、かなり広範囲を照らせる」


「おお……! これはいいな! 火も使わずに、こんなに明るいなんて! シルフィの光の魔法みたいだ!」


 アリアは興奮気味に、自分でランタンのスイッチを何度もカチカチと押している。その姿は、新しいおもちゃを手に入れた子供そのものだった。


「……ジュン。この『でんち』というものが、光の源?」


 シルフィが、俺が手に持っていた乾電池を指さした。彼女の青い瞳は、純粋な知的好奇心でらんらんと輝いている。


「ああ。電気を貯めておくための、まあ、タンクみたいなものだと思えばいい」


「タンク……。なるほど。この小さな円筒の中に電気が蓄えられている。素材と構造に興味。ぜひ分解してみたい」


「おいおい、それはやめてくれ。とりあえず、使えるものを集めるのが先だ」


 俺は、一番光量が強くて燃費の良さそうなランタンをいくつかと、予備の電池を山ほど、近くにあった買い物カゴに放り込んでいく。これで、夜の闇への恐怖は、かなり軽減されるはずだ。


「ジュン、こっちに来てみろ! すごいものを見つけたぞ!」


 アリアの弾んだ声が、少し離れた棚から聞こえてきた。俺とシルフィがそちらへ向かうと、彼女はガラスケースの中に陳列された、一本のナイフを指さしていた。


 それは、アウトドア用のサバイバルナイフだった。分厚いブレードに、握りやすそうなグリップ。いかにも頑丈そうな作りをしている。


「ほう、これは……なかなかの業物だな。刃の鍛え方が、わたしたちの世界のものとは違う。だが、これはこれで、実戦で使えそうだ」


 アリアは、まるで名馬を品定めする騎士のように、うっとりとした目でナイフを眺めている。


「ああ、サバイバルナイフだ。木を切ったり、獲物を捌いたりするのに最適化されているらしいぞ」


「獲物、か。確かにこいつなら、獲物の皮を剥ぎやすそうだ」


 さらっと物騒なことを言う。まあ、彼女にとってはそれが日常なのだろう。


「ジュン、後ろに下がってろ」


 言うが早いか、アリアは腰の長剣を抜き放つと、その切っ先とは反対側の、柄頭の部分でガラスケースを思い切り殴りつけた。


 ガッシャーン!


 派手な破壊音がフロアに響き渡る。強化ガラスは一撃で蜘蛛の巣状に砕け散った。


「おいおい、もう少し静かにできないのかよ……」


「結果が同じなら、早い方がいいに決まってるだろ?」


 アリアは悪びれる様子もなく、砕けたガラスの破片を器用に剣先で払いながら、ケースの中からナイフを取り出した。


 アリアはナイフを持ちながら、その重さやバランスを確かめるように、軽く宙で振った。ブン、と空気中に鋭い音が広がった。


「うん、いい感じだ。少し軽すぎるきらいはあるが、切れ味は申し分なさそうだ。気に入ったぜ!」


 彼女はニカッと笑うと、そのナイフを自分のベルトに差し込んだ。


 俺も、自分用にナイフを一つ確保しておく。護身用というよりは、ロープを切ったり、何かと便利だろうと思ったからだ。


「ジュン。こっちだ」


 今度は、シルフィが俺を呼んだ。彼女がいたのは、ポータブル電源やソーラーパネルが置かれたコーナーだった。彼女は、手のひらに乗るくらいの大きさの、手回し充電式のラジオライトを手に取り、そのパッケージをじっと見つめていた。


「どうした、シルフィ?」


「この道具……ここに描かれている文字の解読を」


 シルフィは、パッケージに印刷された日本語の説明文を指さした。彼女には、これが意味のある文字列だということまでは分かるらしい。


「ああ、ええと……なになに、『ハンドルを回すことで本体に充電が可能。ライトとしても、ラジオとしても使えます』……だってさ」


 俺が読み上げると、シルフィの青い瞳が、わずかに見開かれた。


「らじお?」

「えっと、遠くにある放送局……通信する人達が音声を込めると、その声が聞こえる装置だな」

「……やはり、これも魔力は感じられない。理解不能」


 シルフィは、ほとんど感動に近い色をその瞳に浮かべていた。魔法の世界にいる彼女にとって、この世界の科学技術は、俺の世界にある魔法に等しい奇跡に見えているのだろう。


「それに、人の力でエネルギーを蓄積できる。ということは、錬金術の領域」


「まあ、そういうことになるのかな。永久に使えるわけじゃないけど、電池がなくても使えるから、こういう状況だと便利なんだ」


 俺はそのラジオライトを手に取り、ハンドルをぐるぐると回してみせる。少しすると、ライトがぼんやりと点灯し、ラジオからはザーッというノイズが流れ始めた。


「おお……」


 シルフィが、小さな感嘆の声を漏らした。その時だった。


 ザー……ザザッ……ジジ……


 ラジオから発せられていた単なるノイズに、何かが混じり始めた。


「ん?」


 それは、人の声のようだった。途切れ途切れで、何を言っているのかは聞き取れない。だが、確かに、誰かが何かを話している。


「……誰か、いるのか?」


 アリアが、ナイフの柄に手をかけて、鋭く周囲を見回した。


「いや、待て。これは、この機械から聞こえてるんだ」


 俺はラジオのボリュームを最大にする。


 ……たす……て……こ……から……だし……


 やはり、人の声だ。助けを求めるような、苦しげな声。


「おい、ジュン! これはなんだ!?」


「分からない……でも、もしかしたら、俺たち以外の生存者が……!」


 希望。その二文字が、脳裏をよぎった。この広大な異空間で、俺たち三人の他に、まだ誰かが生き残っているのかもしれない。


 俺は必死に、ラジオのチューニングダイヤルを回す。もっとはっきりと声が聞こえる周波数があるはずだ。


 ザザ……たす……て……ザザッ……こわ……れる……


 声は、どんどんクリアになっていく。若い女の声のようだ。


「……シルフィ、これは?」


 アリアが、隣に立つシルフィに問いかける。シルフィは、無表情のまま、じっとラジオを見つめていた。


「……声に、実体がない。ただの音の反響。機械の影響もあるが、しかし、強い残留思念のようなものを感じる。少なくとも、発信者は、生きた人間の声ではない」


「なんだって?」


 俺がそう言いかけた、その瞬間だった。


 ―――ニゲテ―――


 ラジオから、はっきりと、明瞭な声が聞こえた。それは、すぐ耳元で囁かれたかのように、生々しい響きを持っていた。


 俺たちは三人とも、その場に凍りついた。


 そして、次の瞬間。


 バチッ!!!


 ラジオから火花が散り、ぷすぷすと黒い煙を上げて、完全に沈黙した。


 しん、と静まり返った家電量販店。さっきまでの、どこか浮かれたような空気は、跡形もなく消え去っていた。代わりに、重く、粘つくような嫌な空気が、俺たちの周りにまとわりついている。


「……今の、は……」


 アリアが、かすれた声で呟いた。


「分からない……」


 俺は、壊れたラジオを手に、立ち尽くすことしかできなかった。


 『ニゲテ』


 あの声は、一体、誰だったのだろうか。そして、何から逃げろと、俺たちに警告したのだろうか。


 希望の光かと思ったそれは、次の恐怖を予告する、不吉な知らせだったのかもしれない。


 俺は、さっきアリアがガラスケースを叩き割った時よりも、ずっと大きな音を、自分の身体の奥で聞いたような気がした。それは、このショッピングモールという見せかけの安全地帯に、ゆっくりと、しかし確実にヒビが入っていく音だった。



 あの不気味な声の一件以来、俺たちの間の会話は目に見えて少なくなった。家電量販店で見つけた道具の数々は、確かに物理的な生存確率を上げてくれるだろう。だが、精神的な安心は、むしろ奪われてしまった。この空間には、やはり何か『いる』のだ。それは、あの黒い塊のような分かりやすい敵意の塊だけではない。もっとたちの悪い、人の心を弄ぶような、悪意に満ちた何かが。


「……おい、ジュン」


 重い空気の中、先に口を開いたのはアリアだった。


「なんだ?」


「さっきの機械は壊れちまったのか?」


「ああ、完全に壊れてしまったみたいだ。同じものなら、まだ棚にたくさんあるけど……」


「いや、いい」


 アリアは、かぶりを振った。


「あんな気味の悪い声、もう聞きたくねえ。それより、これからどうする?まだ何か探すのか?」


「……そうだな。いつまでもここにいるわけにもいかない。最低限、着替えくらいは確保しておきたい」


 俺は、自分が着ているヨレヨレのTシャツを見下ろした。ここに来てから、ずっと同じ服だ。風呂にも入れていないし、衛生的にそろそろ限界だった。アリアの鎧はともかく、シルフィのローブも、よく見れば裾の方が少し汚れている。


「着替えか。なるほどな。確かに、この鎧もそろそろ手入れがしたい頃合いだ」


「……同意。清潔は、精神の安定に繋がる」


 シルフィも、静かに頷いた。


「よし、じゃあ次は衣料品売り場に行こう。このフロアの、一つ上だったはずだ」


 俺たちは、再び無言で歩き出した。さっきまでの、未知の道具に対する好奇心や興奮は、もうどこにもなかった。ただ、機械的に、次の目的をこなすためだけに、足を動かしている。


 家電量販店を出る、その間際だった。


 ふと、俺はテレビ売り場の方に視線を向けた。何十台も並んだ巨大なディスプレイ。そこには、相変わらず美しい風景映像が流れ続けている。


 気のせいだろうか。


 今、一瞬だけ。


 全ての画面が、ザッと砂嵐のようなノイズに覆われたように見えたのは。


 俺は足を止め、もう一度、注意深くテレビ画面を見つめた。だが、そこに映っているのは、青い空と白い雲、緑豊かな森、草原を走る馬の映像だけだ。ノイズの気配など、どこにもない。


「どうした、ジュン? ぐずぐずするな!」


 先を行くアリアの、少し苛立ったような声が飛んでくる。


「……いや、なんでもない」


 俺は、自分の気のせいだったのだと結論付けた。ラジオの一件で、少し神経質になっているのかもしれない。そうだ、こんな場所で疑心暗鬼になっていたら、身が持たない。


 俺は、頭の中にまとわりつく嫌な予感を振り払うように、早足で二人を追いかけた。


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