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さて。
王宮は広い。広いが狭い。
王宮本体も広大だ。大小合わせて千以上の部屋がある。ここには王族を筆頭に、王族に近い貴族、権力財力を持つ貴族、官職保有者、その使用人、女官、料理人、衛兵、司祭、園丁、などなど数千人が暮らしている。生前の私の記憶だとベルサイユ宮殿も似たような状況だったけど、多分乙女ゲーなので、それより衛生環境とプライバシーへの配慮は良さそうだ。
やはり王や要人に近い場所というのは魅力であるようで、町の方に住んでいる人間も多いけど、宮廷に魅力を感じている方が多いということか。
アデルは、ルイーズ王女の女官であったので、当然彼女の近くで暮らしている。
イザボー皇太后が私を放り込んだのは、そのアデルの部屋だった。嘘だろ、デリカシーゼロか?
伯爵令嬢とはいえ、贅沢三昧ではない。ワンルームアパートに毛が生えたくらいの大きさだ。調度類は実家の太さを示すのか、美しいものが揃っている。重厚な色をしてみっしりとした存在感の木でできたキャビネットに私は触れる。その中には、ティーセットや小間物、本などが入っている。マンドリンに似た楽器であるリュートが置かれていた。
趣味はいい。そしてあまり物を持たないところに、彼女のヒロインとしてのゆるぎない品の良さを感じる。
マルグリットなんて、服こそ修道服しか許されていないけどキャバ嬢もびっくりなくらい先王に貢がせまくった宝飾品、まだいくつか持っているからな……。
マルグリットにはなんかちょっと申し訳ない気もする。彼女だったら王宮への帰還をガチで喜んだろうから。イザボー皇太后の依頼も受けざるを得なかっただろうが、むしろ嬉々として取り組んだに違いない。上手くやれば王宮に復帰して、あわよくば別の誰かを捕まえて結婚して社交界の花でいられる待遇をワンチャン取り戻せる。
ラスボス化もそういう点で避けられたかもしれない。でもアデルが行方不明なのはちょっと困るな。気立てのいいヒロインだから、何か事情があれば可哀そうだし。
私は……やる気がないとは言わないが……できますと自信満々にもなれず……アデルが可哀そうであるが……という……。
いきなりこのプロジェクトにアサインされてもアジェンダもコンセンサスもないためいっそペンディングさせていただきたいところですがもうローンチは自分マターなんですよね(やけくそ)。
とにかく。
私はアデルの部屋の一人掛けソファに座って考える。
とにかくやらないとまずいので取り掛かろう。生前の微妙ブラックの会社でやっていたことと大して変わらん。(自分の仕事とも思えないが、失敗や停滞の時に怒られが発生することは間違いないので仕方ないから手を付ける、というしがらみ経験者である)
そうなると、まず誰に会いに行くかだ。
アデルをよく知っているであろうルイーズ王女が望ましい。アデルがいなくなって心細かろう。そして、直接まだアデルと関連はない、しかしゲームが始まれば確実に親交を持つことになる彼ら。攻略対象達。
そしてゲーム内では悪役として振る舞うことになるクラロ国およびマドリウ国、そして教会関係の一部の連中。これも怪しい。
いやまて、そもそもアデル自身は怪しくない、というわけではない。私が存在しているとすれば、同様の立場の存在がアデルの中の人になっている可能性がある。アデルが思わないことでも現実世界を知っている人間が何をしでかすかは全く未知数だ。
この世界は物語であるが物語でない。
とりあえず、久しぶりの王宮内を回ってみるか。何か手掛かりがあるかもしれない。
私はアデルの部屋を出ることにした。すでに日が陰ってきており、廊下の人通りも少なくなってきている。廊下を進み、記憶に残る階段に向かう角を曲がろうか曲がらないかした時だった。
ドン、と急に角から出てきた人間がぶつかって来た。よろめいた私は壁に背をぶつけてしまう。危ない!
ぶつかってきた人間は詫びもなく、ばっと私から離れた。文句を言ってやろうと口を開いた私は、自分の声が、かすれた息のようになってきていることに気が付く。
息ができない……?
ふと視線を下に向けた私は、自分の胸に刺さっている短剣の柄を見た。
……っ、え?わたし、刺され、た?
私はそこにいる人間を見る。深くフードを被った長いローブ姿。顔も姿もよくわからないが「マルグリット」の悪魔祓いの能力が、その気配に感づく。
これは悪魔憑きだ。