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90回目。よお~し、気を取り直して頑張るぞ!
「止めて!」
私は王宮に向かう馬車の窓から顔を出し、御者に声を張り上げた。蹄の音で意味を取るところまでは聞こえなかったようだけど、ぎょっとして御者が振り返る。私がもう一度言うと、彼は馬車を止めた。
「どうかなさいました?」
私が馬車を止めた場所は、街中の一画だ。あと十分も経たずして、王宮の門を抜けるだろう。政治が安定しているらしく、都の通りは活気がある。野菜売りに、酒場、パン屋に菓子屋、ハムやソーセージの総菜屋もあるね。ぱっと見なんの店かわからない店もある。大工や鍛冶屋なんかもあるんだろう。
だが、今回私が用があるのは店じゃあない。
その前に広場に居る君だ。
馬車から降りた私は広場の中心に立っている中年男性に近寄った。小さな椅子に座り、リュートを奏でている。
そう、もう百回以上、この通りを通っているから、スーパーの店内テーマ曲並みにもう頭に残っているんですよ、この音楽が。周りには、何人もの人が集まっており、彼の前にあるコイン入れにはそれなりの数の金が溜まっていた。まあ上手いもんね。
「こんにちは」
曲の一段落を待って私はしずしずと近づくと、彼に声をかけた。観客は去り、彼はコインの数を数えようとしていた。私の声掛けに顔を上げた彼はぶしつけなくらいまっすぐに私を眺める。
「どうなさったね、修道女様」
「とても素晴らしいリュートの音色だったもので」
私は警戒心を抱かれないように微笑む。
「大変な努力をされて、ここに至ったのでしょうね」
「そりゃまあね。これくらいしか食い扶持を稼ぐ能力もなかったし」
それなりにぶっきらぼうではあるが、悪気があるような口調でもない。
「あなたから、リュートを学ぶことは可能かしら」
唐突な言葉に彼は目を瞬かせる。
「……あんたが?俺から?」
「ええ」
「修道女様の人生にこれが必要かい?」
彼は弦をはじいた。それですら美しい。それほど馬鹿ではなさそうな男だ。
「誰にでも何かしらの事情はあるものです」
私はにっこり微笑んで見せる。優美さは少し減らして、親しみが持てる様な笑顔。
「もちろん、お忙しくいらっしゃるでしょうから、日を改めて何度も長時間、なんてことはお願いしません。ここで少しだけ、基本を教えて頂けたらと」
彼はあちこちでリュートを奏で、自由に暮らしている。その性格上、どこかに取り込まれるのを嫌うだろうというのは予想した。公衆の面前でほんの少しなら、厭うことは減るだろう。それに。
私は手にしてた小物入れから、銀製の小さな指輪を出した。
「こちらを御礼として差し上げますわ」
一週間分くらいの稼ぎにはなるだろう。あまり高額なものだとそれもまた疑われる。
「……ほんの少しの時間でいいのか?」
「ええ。少し、興味を持ったくらいですから」
ふうん、と彼は言う。
「申し遅れましたが、わたくしはマルゴと申します」
「……マルセルだ」
彼の自己紹介が承認の宣言だった。
ちなみにマルセルのことは、ゲームシナリオでも知ってた。着ているものは庶民派だが、ちょっといかついオッサン風の見た目でしかも性格もサバサバしているので、オッサンキャラ好きには好意的に受け止められている脇キャラである。
アデルは伯爵令嬢でもありながら庶民派なので、王都内下町に知り合いを持っていて、マルセルもその一人である。攻略キャラの何人かと下町デートイベントが発生するのだが、その時もマルセルと一緒にリュートをひいて、その音楽の巧みさで好感度上げをしている。
残念だが、公式ストーリーではマルセルもデスおみくじをまあまあな確率で引く。
アデルが悪魔払いの能力値を上げないでいると、徐々に悪魔憑きの人間が増えて、死にキャラが出てくるのだがマルセルもその一人で、夜道を歩いていて娘ともども悪魔憑きに襲われて死亡だ。アデルはその死の報告を受けることがある。
とにかく公式で音楽を嗜み、通りがかりの修道女に教えてくれそうな隙があるのは彼しかいない。
もう王宮に行く気はないので(このターンは捨てる)、馬車と御者を追い払うと、私とマルセルは路地のすみに引っ込んだ。地べたに腰を下ろし、マルセルのリュートを借りてその基本を習う。
おっ……っ、なかなか難しいな……指が思ったように動かないぞ。
「あんた、あんまり向いてなさそうだな」
マルセルは苦笑いをした。指輪の効果だと思うが、随分とあたりが柔らかくなった。
「何か楽器を扱ったことは?」
「それがないのです」
マルグリットはない……あれ?私自身はあったかな?
ふいに自分のことに急に自信が無くなった。果たしてどうだったかな……?
私、どんな生活していたっけ?
「どういう理由かわからないが、無駄な時間になるかもしれんぞ」
考え込みそうになった私に、マルセルはちょっと皮肉っぽいい方をする。いや、努力した何かが全て無駄になることは無いはずだ!(ポジティブ)
私は彼に頷きつつ、言葉では反論する。
「いいのです。時間はたっぷりあるんですよ、実は」