#6 親ごころ子知らず
右頬にガーゼをつけている初老の男は、対面している男に銃口を向けながら、左手で頬のガーゼに触れた。
「この傷はあんたの息子につけられたものだ。いったいどう落とし前をつけてくれるのかな? 川崎さんよぉ」
頬にガーゼをつけた男、立派な鼠色の着物を召した山谷蓮の周りの男たちも「そうだ、そうだ」と声をあげる。
そう、悠太は山谷組の事務所に侵入した際に、たまたま居合わせた山谷組の頭、山谷蓮に銃弾を撃ち込んだのだった。頭を狙ったつもりだったのだが、どうやら頬に狙いがずれてしまっていたらしい。
部屋に入って立ち止まったレイに、悠太は声をところどころ詰まらせながら言った。
「あの銃を構えてる人……あの人が俺が生前……最後に見た人。俺が銃を撃った人です」
「そう、それじゃあ、君は誰も殺していなかったんだね。……それで、これはいったいどういう状況?」
少し安堵の表情を見せたレイは、すぐに悠太に状況を確認した。
「俺もよくわかりません。ただ、このままだと親父が……」
悠太の言葉に、レイはすぐに紺色のスーツに身を包んだ初老の男、川崎に視線を移す。
「助けないと!!」
「俺は……」
レイが動き出した瞬間、悠太の父親の川崎が話し始めた。悠太はそんな父を見て、レイの腕を掴んで彼女のことを制止させた。
「俺は、ばか息子を連れ帰りに来た。その傷の件は本当に申し訳なかったと思っている」
川崎がそう言って深々と頭を下げる。
「そんな謝罪で済むと思うなよ! こっちは鉛玉を撃ち込まれてるんだ。もしかしてあんたが俺を殺すように息子を仕向けたんじゃないのか? 俺が邪魔だったもんなぁ。疎ましかったんだもんなぁ! おっと、その場から動くなよ。動いたら撃つ!」
山谷が声を荒げた。
「それは違う! 確かにそちらの組と俺の組は冷え切った関係になっていた。正直、俺はあなたのことをあまり良くは思っていない。ただ、自分の子供を使ってまで相手を陥れることはしない! ……だが、それでも、この件は俺に責任がある。どうか、許してほしい」
「へえー、許さないよ」
頭を下げながら謝罪を続ける川崎に山谷は冷たく言い放った。緊迫した状態、周りの男たちの生唾を飲み込む音が聞こえてくる。
「俺のことは許さなくてもいい! それでも! それでも悠太だけは……息子だけは許してやってくれないか」
「親父……」
震える声で頭を下げている父を見て、悠太は胸が張り裂けそうになっていた。こんな俺のために敵対する組織に頭を下げてくれている。申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
「あいつは俺と違って頭がいい。だから、こんな世界に居るべき器じゃないんだ。こんな世界にいちゃいけないんだ。あいつには、普通の学校に通って、普通に仕事して、普通に恋愛して、普通に結婚して、普通に暮らして欲しいんだよ。きっとあいつは立派な大人になる。なのにあいつ、俺みたいになりたいって。本当にばかだよな」
そう言って顔を上げた川崎は、どこか悲しい顔をしていた。どこにでもいる優しい父親の顔そのものだった。
そんな父の姿を見た悠太は、目に涙を溜めていた。
「うっ」
川崎を見ていたレイは、突然、頭に激しい痛みを感じて頭を抑えた。
『私もお父さんみたいになりたい! 皆んなの安全を守って、皆んなから頼られる立派な大人になる!』
『私も! 私も!』
『ははは、そうか。きっとなれるさ。お前たちなら、——、—— 』
『うん!』
今のは何? 記憶?
レイは頭を抱えたまま、顔を真っ青にしてその場に座り込んでしまった。
「お姉ちゃん……?」
それに気がついた悠太が、しゃがみ込んでレイの様子を心配した。幽霊が見えない両組の頭は、そんな状況を知らずに会話を続ける。
「いや、あんたの息子も許さないよ」
「頼むそこをどうにか」
「いや、許すも何も、もう殺しちゃったもん」
「……は?」
「だから、もう殺したって! 今頃、東京湾に沈んでるはずだよ」
山谷の笑い混じりの言葉を聞いて、川崎は顔面蒼白となった。もう息子はこの世にはいない。もう息子は帰ってこない。川崎は急激に込み上げてきた怒りのままに叫んだ。
「この外道があああああああ!!!!」
パァン!!
立ちあがろうとした川崎の腹部に、山谷の持つ拳銃から弾が撃ち込まれた。紺のスーツに赤黒い血がみるみると滲んでいく。
「だから、動くなって。そう言ったろ」
ばたりと倒れた川崎に向かって、山谷は見下したような目を向けた。
「頭!!」と川崎組の組員たちが川崎のことを囲む。悠太もすぐに父親の元へと駆け寄った。
「親父! おい親父!! しっかりしろよ!!」
川崎は意識が薄れていくなか、去年のクリスマスのことを思い出していた。
『悠太、クリスマスプレゼントだ』
『なになに、開けていいのか?』
『ああ、もちろん』
『おお! 腕時計じゃん! かっけー! 俺、この時計一生大事にするよ』
『そうか! 喜んでもらえてよかったよ』
「今年はプレゼント……渡せなかったな。ごめんなぁ……悠太ぁ……」
そう言って、川崎は動かなくなった。
「よくも……よくも頭を!!」
一人の川崎組員が叫びながらナイフを構えて山谷の元へと走り込んだ。それに気づいた山谷の組員が立ち塞がり、取っ組み合いとなる。それを皮切りとして両組員たちの乱闘が始まった。
「だめ……だめだよ……悠太くん」
レイは座り込んで頭を抱えたまま、もう片方の手を悠太の方へ向かって伸ばした。悠太には薄く黒いオーラが立ち込めていた。
「許さない……絶対に許さない……!!」
部屋の電灯がバチっと音を立てながら一瞬暗くなる。
「なんだ?」
山谷が銃を持ったまま、怪訝な顔で天井を見渡した。そんな山谷に悠太がゆっくりと近づいてく。悠太の手が山谷に触れそうになった次の瞬間。
「大人しくしなさい!!」
叫び声と共に、バンと勢いよく開かれた部屋の襖を、その場にいた全員が凝視した。
そこには黒いキャップをかぶり、サングラスをかけた赤髪の女が立っていた。女はキルティングコートのポケットから、黒い縦長の手帳を取り出すと、それを開いて見せながら言い放つ。
「警察です!! 抵抗せずに速やかにその場に座りなさい!」