#58 創造の天使
おじいちゃん、おじいちゃん、昔話して!
おお、美波。お前は本当にあの昔話が好きじゃな。いいよ、話してやるからこっちに来て、じいじの膝に座りなさい。
わーーーーい。
わはは、それじゃあ話すぞぉ。むかしむかしあるところに、一人の農民の男がいました。男は朝から晩まで欠かさず農作物の世話をするとても真面目な男でした。じゃが、そんな男もある時、不作に悩ませれることになったそうじゃ。そんな時、彼の目の前に一人の女が現れました。その女は、背中から白い翼を生やした、それはそれは美しい、天使のような人だったそうだ——
美波は、幼い頃に祖父の膝の上でよく聞いていた昔話を思い出していた。
今、自分の目の前には、昔話で聞いていたような天使が居る。背中から真っ白な左翼を生やした天使が。そのあまりの美しさに、美波は体が固まってしまったようだった。ただ、口からは「綺麗……」と言う陳腐な言葉がこぼれていた。
カモクが神妙な笑顔でこちらに左手を伸ばしてくる。彼女の背後、何もない空間からは突起物が現れて、そこを起点として徐々に形を成していく。そしてそれは最終的に浜辺圭が持つ武器『槍の神器』と瓜二つの物になっていた。
「美波!!」
レイの叫び声で美波ははっとした。
攻撃される。すぐに防がなければ。
カモクが右手で空中から槍を抜き取ると同時に、美波は自らの手に矢の神器を顕現させた。両者が武器を振るい、ガキンと音を立てながら激しくぶつかり合う。
「なんなんですか!! これは一体なんなんですか!!!!」
「私も知らないよ!!」
美波の叫びに、レイも叫びながら答えた。
美波が今抱いている感情、それは恐怖。彼女の心はもはやそれで埋め尽くされていた。美しいものは死を連想させるなんて良く言うが、まさにその通りだった。すぐ近くにまで死が迫っている。美波の身体中からはひやりとした汗が吹き出ていた。
カモクは槍を一度引くと、それを勢いよく美波に向かって突いてきた。それを美波は持ち前の動体視力で、矢を振り払ってそれを弾く。
捕縛するためでも無力化させるためでもない、相手の命を刈り取るための攻撃。一瞬でも油断したら殺られる。そんな恐怖の感情がさらに美波に降り積もっていく。
「うおおおおおおらあ!」
レイが美波の横から飛び出して、カモクに向かって拳を振りかぶった。
「だめです!! レイ!!」
カモクがチラリとレイのことを一瞥すると、そちらに向かって槍を振り下ろす。美波はすぐにカモクとレイの間に割って入り、弓で槍を受け止めた。
「あがっ」
美波の腕にその衝撃が重くのしかかり、彼女は小さく悲鳴をあげた。
レイの拳はそのままカモクの右腕に命中し、その黒いオーラを放つ腕から放たれた一撃は、カモクの腕をあらぬ方向に捻り曲げた。
カモクはその衝撃で槍の神器を手放すも、呻吟することはなく涼しい顔のまま。すぐに棘の神器を空中に出現させると、レイに向かってそれを射出する。
レイはすぐさまその神器を避けようと、咄嗟に左に向かって地面を蹴り付けた。しかし回避が間に合わず、棘の神器はレイの左腕にズプリと突き刺さってしまった。
「あああああああああああああああああああああ!」とレイの悲痛な叫び声が山にこだまする。
レイはすぐに後方へと飛んでカモクから距離を取ると、棘の神器を震える右手で抜き取ってすぐに投げ捨てた。
「こんな攻撃、僕には効かないのに……」
カモクの捻り曲がった腕が、みしみしと音を立てながら完治していく。
「それにしても君すごいね。僕の創った武器が腕に刺さったのに除霊されないなんて……どれだけこの世に執着しているの?」
カモクが首を傾げながら、今度は刀の神器を手中に顕現させる。
息を荒くしながら震えているレイに向かって美波は叫んだ。
「彼女には敵いません!! 一旦逃げましょう!!」
美波の言葉を聞き、はっとしたレイはカモクのことを一度睨みつける。そしてすぐに美波の元に駆け寄ると、彼女の腕を引っ張って共に麓に向かって走り出した。
「あれ、どうせ逃げられないのに……」
カモクはゆっくりと彼女らの後を追った。
「すみませんでした。まさかこんなことになるなんて……」
「謝らなくていいから。今は走ることに集中して!」
美波とレイが舗装された道を駆け下りる。
数百メートルも駆け降りれば麓に辿り着く。そこは住宅街とは言えぬほどにポツポツと民家が構えている程度であるが、人目は少なからずあるはずだ。今までなりを潜めていたカモクのことだ。そこまで行って仕舞えば流石に目立つようなことはしないはずである。
一刻も早く、麓に辿り着くことさえできれば。その思いがレイ足を早める。
「結局、今GHがどんな状況なのかも全くわかりませんでした。私は何をやってんだか……最近やっていることが全て空回りな気がします」
「何弱音吐いてるの! そんなことないから!」
「……珍しく、優しいですね…………」
美波はそう言って地面に倒れ、座り込んでしまった。
「……! どうしたの!?」
レイが屈んで美波の様子を確認すると、彼女が着ているトレンチコートの裾からは血液がポタポタと垂れ落ちていた。どうやら先ほど負った腹部の傷が広がってしまったようだった。
「私はもう動けません……レイだけでも逃げてください」
息を荒くしながら、苦しそうな顔の美波がやっとの思いで声に出す。
「だめだよ! そんなこと絶対に許さない!! 一緒に逃げるよ!」
レイは美波の肩を担いだ。しかし、走り出して少し経つとレイの体をすり抜けて美波の体は崩れ落ちてしまう。
「もう……いいですから。私のことは放っておいてください」
「嫌だよ! どうして……どうしてなの? どうして皆んな私を置いて行っちゃうの。もう嫌だよ。大切な人を失うのはもう……嫌だよ」
レイは目に涙を溜めた。そんなレイの様子を見て美波は少しだけ嬉しく思った。私は彼女にとって大切な存在になれていたのか、と。
それと同時に、美波は達海の気持ちが少しわかった気がした。
彼がこの子を守りたいと思った訳だ。彼女はどこにでもいる只の女の子じゃないか。彼女だけじゃない。他の幽霊だってそうだ。生きてる人間と変わらない。それなのにGHは力を振り翳して、痛めつけながら除霊して。
私はなんてひどい奴だったのだろうか。……でも最後にわかって良かった。幽霊の気持ちがほんの少しだけでもわかって良かった。
「このままじゃ、二人ともやられてしまいますから。あなただけでも、助かってください。春明さんのところに行けば、彼がなんとかしてくれるかもしれないでしょう?」
そう無理に笑顔を造って涙ぐむ美波を見て、レイは首を横に振った。
「嫌。君を見捨てることなんてできないよ。まだ、二人とも助かるかもしれない。あいつは絶対に油断してる。不意をつくことができればなんとか……なんとかしてみせる!」
レイは涙を拭って、覚悟を決めた顔をした。
「レイ……何をするつもりですか?」
「ねえ、美波……その神器貸してよ」
カモクはゆっくりと歩いて美波とレイのことを追っていた。
すると向こうの方で蹲っている美波が視界に入り込んでくる。彼女はこちらに向かって弓を構えていた。歯を食いしばりながらこちらを鋭く睨んでいた。
「ねえ、死装束の幽霊はどこに行ったの?」
カモクがそう言いながらゆっくりと美波に近づいていく。
美波は何も答えずにカモクに向けて弓を引いた。弦と矢から指を離し、弾き飛ばされた矢がカモクに向かって一直線に飛んでいく。
カモクは顔色を変えずに真顔のままで、その矢を刀の神器で弾き飛ばした。
「何も答えてくれないんだ……」
美波は再度、矢を放つ。震える腕で、やっとの思いで照準を合わせる。二発、三発。しかし、カモクはそれを軽くあしらう様に弾き飛ばした。
座りこむ美波の目の前でカモクが立ち止まる。
美波は睨みつけながら彼女の顔を見上げた。
「無駄な抵抗だったね。それにさ、……死装束の幽霊が僕のすぐ後ろにいることも、とっくにわかっているんだよ」
そう言って、カモクが振り返ろうとした次の瞬間。カモクの背中から胸部にかけて矢の神器が貫通した。その矢は煙のようなものを昇らせるレイの手に、しっかりと握り込まれている。
「なんてこと……してるんだよ」
ここで初めてカモクは顔を歪ませた。
彼女にとって、レイが神器を持っていることは想定外であった。なぜなら神器は幽霊にとって、触れただけで地獄のような痛みを伴う代物だ。それをなぜ、この少女が振るっている? 正気ではない。
「やら……れてよ」
「君、イカれてるでしょ!!」
カモクはすぐに体を捻って、レイに斬りかかろうとした。
カモクのしかめ面を見て、彼女に神器の攻撃が通用していると美波は確信した。しかし、致命傷までには至らなかった。いや、そもそも得体の知れない者を倒そうだなんて無謀だったのかもしれない。
美波は「レイ!!!!」と叫んで、立ちあがろうとした。しかし、体が動かない。間に合わない。このままではレイが斬られてしまう、と顔を歪ませる。
しかし、レイは諦めていなかった。もう一発、拳をぶつければどうにかなるかもしれない。極限の状態で彼女はそう信じた。そう信じるしかなかった。
レイは手から矢の神器を放すと力強く握り拳を作った。思い切りカモクに向かってその拳を振りかぶる。
「うおおおおおおおおおおおおおお!」
その瞬間、彼女らの間に割って入った人物によって、レイの拳とカモクの斬撃は受け止められた。
「へぇ、来たんだ」
カモクがニヤけ顔で呟く。
レイとカモクの攻撃は腕を交差させた黒い天狗——ゼロによって受け止められていた。




