#56 局長の悲願
芦屋道竹は白い天狗の面を被った男——瓜生累の体を引き寄せて、右手で持つ鎌で彼に切り掛かった。
鎌の刃は累の顔面を捉え、天狗の面の下部が砕ける。
「なっ……!!」
直後、道竹は驚きの声を上げた。
刃を叩き込まれ露わとなった天狗の口元。鎌の刃はその口でしっかりと咥え込まれていた。彼の咬合力は凄まじく、道竹が鎌を握る腕はピクリとも動かない。
「君……神器に触れていて辛くないのか?」
冷や汗を額に伝わせる道竹を嘲笑するかのように累は体を捻ると、その圧倒的な力に道竹は神器を手放して吹っ飛んでしまった。
木の幹に体が叩きつけられる直前、道竹はトレンチコートのポケットから形代を取り出す。
「来い! 青龍!」
道竹の体は木の幹に叩きつけられることなく、青龍の長い胴体をクッションにして難を逃れた。地に足を着け、パタパタとトレンチコートに付着した土汚れを払う。
「本当に君は化け物じみているね。オラ、すっごくワクワクすっぞ! おっと、これはちょっと、怒られてしまうかな」
道竹はそう言って、累に興奮の感情を含んだ狂気的な笑顔を向けた。
累の体に巻き付いていた鎖鎌の鎖はとっくに消えていた。それは道竹が持っていた鎖鎌本体も同様に。おそらく、道竹が神器の顕現を解除したのだろう。
累の口元は少し傷つき、そこからは煙のようなものが微量ながらに昇っていた。先ほど鎌の刃を咥えた際に少しだけ口元を切っていた。
「神器での攻撃はまあ厄介だなあ……。それに式神まで扱うなんて。…………ああ! 思い出した。君、随分と前に北海道で会ったことがあるね。私になんかちょっかいを出してきたお邪魔虫だ」
累は、ぽんと手のひらに拳を叩きつけた。昔会った時、彼は陰陽師が着用する黒の着物姿だった。現在は白のトレンチコートを着ていたので今のいままで気づくことができなかったと、累は勝手に納得した。
「漸く思い出したか。にしてもお邪魔虫とは随分な言いようじゃないかい。それに悪霊の除霊を邪魔してきたのは君の方だろ? この亜種め!」
道竹がそう言って累を指さす。
「ええ……私は悪霊じゃ……というか幽霊ですらないんだけどなあ……。本当、君と君の陰陽師は苦手だよ、ラファエル」
「何をぶつぶつと言っている? それでは心置きなく除霊させてもらうぞ、天狗の幽霊!!」
道竹は再度鎖鎌の神器を顕現させると、三つ編みおさげの黒髪を揺らしながら累目掛けて走り込んできた。その彼の後ろを、青龍が体をうねらせながら追尾してくる。
「仕方ないな。相手をしてあげるから、今回負けたらもう諦めてくれよ」
渋々拳を構える累に、道竹は鎖に繋がれた分銅を振り回して、一直線に投げてきた。
累はこのままでは天狗の面に分銅が当たってしまうと判断し、屈んでそれを躱す。
しかし、道竹はすぐさま鎌を持つ手を緩めると、持ち手から鎖部分へと手を滑らせていき、累に向かって鎖伝いに鎌を振ってきた。その技術は巧みなことに、きちんと鎌の刃が累の方を向いている。
屈んでいた累は、右方向から飛んでくる刃を上に飛んで逃げようと即座に判断し、天を見上げる。しかし、天からは青龍の強面が、荒い鼻息を上げながら累に近づいていた。
「いつの間に!?」
累はすぐに考えを巡らせた。
左に避ける? 否、間に合わない。青龍のことは避けられるだろうが、鎌の刃が累の躯体を捉え、足、最悪は胴体が真っ二つになってしまうだろう。そうなってしまえば治るのに時間がかかってしまう。ならば……
累は横から飛んでくる刃を一瞬で見切り、鎌の持ち手を掴んだ。そして、そのまま鎌の刃を天に向ける。上空から累に突進してきた青龍は、その勢いのままに、自ら頭を刃にめり込ませていき、頭から胴体にかけて真っ二つに切り開かれた。青龍の姿は形代に戻り、真っ二つに切り裂かれたそれがひらひらと地面に落ちる。
すると突然、累は体の痺れを感じて、手元を見た。累が持つ鎌の持ち手部分にはびっしりと呪符が貼られている。
「まさか、私が鎌を掴むことすら想定して……」
道竹は事前に触れた者の動きを封ずる呪符を鎌に仕込んでいた。
道竹の想定では、累が神器に触れた瞬間に動くことは不可能となり、上から突進してくる青龍の餌食となるはずであった。
「なぜ、呪符の呪いを受けて尚、動くことができている!?」
道竹は自分の方に向かって鎖を思い切り引っ張った。一瞬硬直しまった累は、鎌を手放すことができずに体を宙に浮かせ、そのまま道竹の方へと引き寄せられていく。
道竹は呪符を構えた。鎌の持ち手を掴んでこちらに飛んでくる累の体にそれを貼り付ける。
「我、この悪霊を滅する、急急如律令!」
呪符を貼られた累は道竹とすれ違いざまに鎌を手放す。道竹の後方に着地した累は何事もなかったかのように、自分の体から呪符を剥がした。
地面に落ちた神器の鎖鎌が消えていく。
「だーかーらー……」
道竹がゆっくりと振り向いた。
「なぜ呪符が効かんのだ!! 本当にとんでもない悪霊だな!!!!」
「だーかーらー、悪霊じゃないって言ってんだろっ!!」
このまま戦っていてもなんだか無意味な気がする。累は道竹のことが不憫だと感じはじめていた。
「じゃあ! あんたはなんなんだ!! 幽霊かと思えば全然揺らぎが見られない。神器や呪符もほとんど効いていない! かといって人間でもない! 幽霊のように傷口からは煙を上げている。一体なんなんだよ!!!! 亜種か!? 新手の亜種なのか!?」
道竹は目を飛び出させる勢いでひん剥きながら、声を荒げ返す。
その様子を見て、累はゆっくりと割れた天狗の面を外してその場に投げ捨てた。面の下に隠されていた幼く端正な顔が露わになり、道竹はそれを見て呆気に取られた。
「私は……私は幽霊でも、ましてや人間でもない。私は死者の魂を送る者。君たちがわかりやすいように言えば、天使とか死神とか、その類だ。さらに君にわかりやすいように言えば、ラファエル……陰陽様と同じだよ」
哀れみの表情をこちらに向ける累の言葉を聞いて、道竹は膝から崩れ落ちた。
「陰陽様と同じ……だと? では……では、私は今まで何を必死に追いかけていた?なんのために、この機関を立ち上げた? 私は今までなんのために……」
地面に顔を向け、四つん這いで声を振るわせる道竹に、累が近づいて肩に手をかけた。
「まあ、ご愁傷様。……としか言えないかな」
「嘘だ……」
道竹がポツリと言葉を発して累の腕を払い除ける。
「ん?」
「嘘だ! そんなのデタラメだ! あんた、本当は悪霊の亜種なんだろう!? 私のことを丸め込もうったてそうはいかない!! 私があんたを除霊してみせる!! この悪霊め!!」
道竹は立ち上がると、コートから徐に形代を取り出した。
「来い青龍!!」
累は後ろに飛び跳ねて、道竹から距離をとった。道竹が宙に放った形代は次第に青龍の形へと変貌していく。
「この悪霊を屠ってしまえ!!」
はあ、本当に仕方のないやつだな、と呆れ顔の類は、天高く腕を掲げた。
「天の喇叭」
すると、累の背後には五芒星の描かれた円形の陣が現れた。そこから、無数の虹色の喇叭が出現する。その宙に浮いた喇叭の模様は神器と酷似したものだった。
「なんだそれは……神器?? なぜあんたがそれを持っている? は? は?」
まるでこの世のものではないような、壮大な光景を目の当たりにした道竹は、目玉を震わせながら驚嘆の表情をみせた。
累は道竹の疑問に答えることなく、全てを見透かすような鋭い目で道竹の目を真っ直ぐに見る。そして、
「奏」
累が呟くと、無数の喇叭は一斉に「パァーーーー」と音を奏でさせた。オーケストラの演奏でも聴いたことがないような、大きくて、それでいて神聖な重音。
その圧巻な音を聞いた青龍は、驚いてどこかに飛び去っていってしまった。
音が止むと、累の背後の円陣は消滅し、無数の喇叭も消え去っていった。
「これ本当に疲れるからあまり使いたくないんだよな。……友人から借りてるものだしね」
累は、これでやっと信じてくれたかな? と言って、困ったように笑いながら頭を掻いた。
道竹は再び膝から崩れ落ちると、顔を引き攣らせながら、乾いた笑い声を上げていた。累が道竹の前で手を振っても、変顔をして見せても、彼は何処か遠くを見つめながら笑い声を上げ続けるだけだった。
「あちゃ、壊れてしまったか? まあ、大人しくなってくれたから、ひとまず良しとするか」




