#55 陸でなし
子供の頃から殺すことに躊躇はなかった。植物だって、虫だって、犬だって、猫だって、そして幽霊だって。それでも生者のことは殺さなかった。だって警察に捕まってしまうから。でもきっと、人を殺してもなんとも思わないんだろうな。
昔から不思議だった。害虫駆除と言って、皆んな虫のことは平気で大量虐殺するのに、どうして犬や猫は可哀想って思考になるんだろう。なぜ特別扱いされるのだろう。虫も植物も同じく生きているのに。その感覚がわからない。きっと、わかることなんてこれから先もないんだろう……。
「如月さーん! 俺、悲しいっすよ! 悲しくて、悲しくて、涙がちょちょぎれそうっす!!」
圭は片手で口を押さえ、泣くような素振りをしながら、大輝に向かって何度も槍を突き出した。大輝は歯を食いしばりながら、黒い棘棍棒でその攻撃を凌いでいく。
「悲しんでくれてありがとさん。けど、だったら俺のこと見逃してはくれねーかな!」
大輝が棘棍棒を振って圭のことを押し除ける。後ずさった圭は、肩に槍を担いでみせた。
「それはいくら如月さんのお願いでも無理な話っす。だって、アンタはもう幽霊なんすから」
圭にとって、これは害虫駆除と同じ。かつての先輩だろうと関係ない。この世に害を与える者を排除する。ただそれだけ。
「にしても皮肉な話っすね。あんなに血眼になって幽霊を狩っていた如月さんが、まさか狩られる側になっちゃうなんて。というか、因果応報っすかねぇ」
「そうだな。あの時の俺には全く解っていなかった。幽霊たちは生きている俺らと何も変わらない。あいつに出会って思い知らされたよ。生者も幽霊も、しっかり腹割って話合わなきゃ、危険か危険じゃない奴かなんてわからない」
そう言って大輝が思い起こすのは、かつて自分をどん底から救いあげてくれた一人の青年。彼がいなければ、彼と本音でぶつかり合わなければ、きっと今も暗い闇の中でもがき続けていただろう。
「何悟っちゃってるんすか。え? 『自分は危険な奴じゃないよー』とでも言いたいんすか?」
圭の言葉を聞いて、大輝は静かに首を横に振った。
「いいや、俺は危険だ。なんてったって、天下の警察様に喧嘩を売ろうってんだからな」
大輝が両腕で棘棍棒を構えて、圭に向ける。
「そんなこと、言われなくてもわかってるっすよ」
圭が再び大輝に突進していき、大きな槍を横に振り払う。大輝は圭と同じ動きで棘棍棒を薙いだ。槍と棘棍棒がぶつかり合い、黒い火花のようなものが散っていく。
圭と大輝は力を入れ続けた。擦れ合う武器同士がギリギリと音を立てる。
「如月さんは犬や猫を平気で殺せるっすか?」
「あ? なんだよ急に。殺せる訳ないだろ」
「そうっすか。やっぱり俺がおかしいんすかねぇ」
圭は力を抜くと、くるりと槍を回転させた。力を入れたままだった大輝は、棘棍棒を地面に向かって沈めていく。圭はバランスを崩した大輝に向かって、逆手に持った槍を突き刺そうとしたが、大輝はすぐさま体制を立て直し、左逆袈裟斬りのような形で棍棒を振り上げて、その槍を払った。
「っと、やっぱ一筋縄ではいかないっすね。…………俺は平気で殺せるっすよ。犬も猫も。多分、人間も」
「お前、さっきから何が言いてーんだ?」
「子供の頃、近所で鳴き声のうるさい野良猫を殺した。でも、なんとも思わなかったんすよ。まあ、いいことしたな。くらいにしか。……それから、何回も野良猫、野良犬を殺してみたんす。その度に、なんとも言えない愉悦のような感覚が俺の体を駆け巡ったんすよ。でもそのうち、親にバレて精神科医に連れて行かれたんすよね。そこで初めて気がついたっす。俺はおかしな奴なんだって」
そう言って、圭はヘラっと笑ってみせる。
「俺もっす。いや、むしろ俺の方が危険な奴なんすよ。なのに、こんな俺が警察組織で働いている。俺だけじゃない。斉藤さんや姫川さんだって。この組織には何処か頭のネジが外れてる奴らが何人もいるんすよ。ほんと、笑っちゃうっすよね」
「……楽しいのか? この仕事が」
大輝は怪訝な顔で圭に問いかけた。
「ええ! それはもう楽しいっすよ! 幽霊をボコボコにしてもなんのお咎めもなしで、寧ろ賞賛されるんすからね。俺にとって天職っすよ。天職」
「そうか、それじゃあ。尚更、ここでお前は止めねーといけないな」
大輝は圭のことを睨みつけた。大輝の体からは黒いオーラが溢れ出してくる。
「来いよ如月さん。抵抗された方が、こっちとしてもやり甲斐があって楽しいっすから」
二人は槍と棘棍棒を撃ち合った。どちらも引けを取らず、激しさは増していく。
「あはは、如月さん。幽霊になって弱くなったんじゃないっすか? 本当に落魄れたものっすね!」
「うるせえ。こんな攻撃、屁でもねえよ!」
すると、激しく突き出された槍が大輝の棘棍棒を持つ腕に突き刺さる。患部からは、煙のようなものが立ち昇り、大輝は「くっ」と呻き声をあげた。
「ほらよ!」と圭はその槍を雑に引っこ抜くと、大輝の傷口はさらに抉れて、煙のようなものは一段と濃さを増す。
「ほうら、昔のアンタならこんな攻撃、当たらなかったっすよ」
「あがっ、うっ、おちうけ……おいうっ!!」
大輝は呻き声を上げながら、上半身を前に倒した。彼の身体は次第に立ち込めた黒いオーラに包まれていく。そして、オーラに包まれ体長が三メートル超となった彼のその姿は、さながら巨大な黒鬼のようであった。
「ありゃりゃ、第二形態っすか?」
「オエアウア!!!」
大輝から剛速で棘棍棒が振り下ろされる。圭は両手で槍を構えてそれを防いだ。先ほどの攻撃よりも何倍もの衝撃が圭の腕に伝わってくる。
「嘘でしょこれ、こんな力隠し持ってたんすか」
冷や汗をかきながら糸目を少しだけ見開かせた圭に向かって、二度目の打撃が飛んでくる。
「やばいっすね、これは!」
圭は振り下ろされた棘棍棒を、右足を軸にして回転しながら避けると、飛び上がって、その勢いのまま槍を大輝の首目掛けて薙ぎ払った。
しかし、大輝はダメージを受けながらも、その槍を左手で受け止めた。
「化け物すぎるでしょ。流石に冗談きついっすよ」
大輝は掴んだ槍を振り下ろすと、槍ごと圭を地面に叩きつけた。「ぐはっ」と圭が嗚咽を上げる。
地面に仰向けで倒れた圭に向かって、すぐに大きな棘棍棒が振り下ろされてきた。
——ああ、俺はここで死ぬんすね。でも、これでいいのかもしれない。この俺を……この俺の危険な衝動を……止めてほしいと、心の何処かではずっとずっと願っていたのかもしれない。もうそれも今日で終わ……。
振り下ろされた棘棍棒は、圭に叩きつけられる直前で静止した。圭の目が見開かれる。
「どうしたんすか? なんで殺さないんすか! 如月さん!!」
大輝の黒いオーラは発散していき、彼の姿は額から二本の黒い角だけが生えた元の如月大輝の姿へと戻っていた。
「俺の目的は……お前を殺すことじゃねーからよ」
大輝がはあはあと荒い息遣いで答える。
「でも、俺なんか生かしておいても陸なことにならないっすよ!」
圭は少しだけ体を起き上がらせて、大輝に向かって叫んだ。
「どうしたんだよ、いきなり自分を卑下するようなこと言って」
「だってそうじゃないっすか! 俺はきっと、人を殺してもなんとも思わないような、そんなひどい奴なんすよ! どう考えたって、俺なんて生きてちゃいけない人間だ……」
「いねーよ、そんな人間」
大輝の言葉に、圭は固まった。
「生きてちゃいけない人間なんて、この世にいねーよ」
大輝が呆れたような顔で、圭に言う。
「ははっ、何……綺麗事なんて言ってるんすか」
「綺麗事……か。確かにそうかもしれないな。でもよ、誰かを思い、思われている人間が、不要な人間のはずがねえんだ」
「俺は! ……別に誰かを思っている訳でも、思われてる訳でも」
「今、殺されたいって思ってたんだろ。自分が生きてても他人に迷惑かけるだけだから。そう思ってる時点で他人のことをちゃんと思てるじゃねーか。……お前は、少し変わった思考の持ち主ってだけで、それをどうにかしたいって気持ちはあるんだろ? だったらいいじゃねーかよ。それに……」
大輝は圭に近づくと、彼の横に腰をおろして胡座をかいた。
「それに、お前にも協力してもらうことになるかもしれねー。万が一の時は戦力が要る。俺たちがお前を必要としている。きっと天職だぞ。天職」
ニヤリと笑う大輝を見た圭は、目を細めて、吹き出して笑った。
「あっはは、そうっすか。こんな俺が必要っすか。……なんか、丸くなったっすね、如月さん」
圭の言葉に、大輝は一瞬目を丸くしたが、すぐにその顔は優しく穏やかな顔に変化した。
「丸くなったか。……誰に影響されたんだかな」
大輝も圭の横で仰向けに寝そべる。
二人は、穏やかな笑顔で天を仰ぎ見た。




