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#35 賀茂雷明

「雷明? どったの?」


 雷明は、友人である安倍あべの明親あきちかに声をかけられてはっとした。


「なんだよ?」


「だから、どうしたんだって聞いてるんだよ。ぼうっとしちゃって」


 緑が揺れる土手の上で、ツンツン頭でやんちゃな見た目の明親は、寝転ぶ雷明に向かって好奇心旺盛に尋ねた。


「……恋をした」


 雷明が口をゆっくりと開いて、腑抜けた声で呟く。吹き抜けた冷たい風が雷明の白髪と明親の黒髪をそよがせる。


「……は? こ・い・お・し・た?」


「だから、好きな人ができてしまったのだ」


「……おう、まじか」



 今年、十九になった雷明は、出先で悪霊から助けた一人の生娘のことが頭から離れなかった。

 おかっぱ頭の美しい黒髪にキリッとした大きな目。鼻筋はシュッとしていて唇は艶やかにとても柔らかそうであった。

 とても美しかった。これが一目惚れというやつか。

 雷明は空を見上げながら再びぼうっとし始めた。


「あの堅物雷明が……。しかも、この様子だと相当重症だな」


 面白がって笑う明親をよそに、雷明は何も言わずに空を見上げ続けた。




 彼女は助けた時、軽くお礼を言ってからすぐにどこかに行ってしまった。彼女の周りに居た数人の町奉行たちは、雷明に対してあまり良い顔をしていなかった。無理もない、陰陽師と町奉行たちの親玉である橘の家系はあまり関係が良くないのだから。

 それにしても、町奉行をあんなに引き連れて京の街を散策だなんて、どこかのお嬢様だろうか。叶うことならばまた会いたい。会って話を聞いてみたい。彼女のことを知りたい。

 そんな雷明の願いはすぐに叶うこととなった。数日後、彼女自身が陰陽寮を訪れたのだ。

 寮母から客間に通された彼女と雷明は対面した。


「あの時、しっかりとお礼ができなかったから。無礼を許してほしい。何か私にして欲しいこととかないか?」


 ちゃぶ台を隔てて、緊張気味に座る雷明に向かって彼女は優しく笑顔を向ける。


「では…………それでは私とお付き合いを——」




「ギャハハハハハ、ばっかじゃねーの! いきなり告白するやつがあるか」


「そんなに笑うなよ、明親」


 寮の庭で顔を真っ赤にして俯く雷明に向かって、明親は腹を抱えて笑った。明親はさらに雷明に問いかける。


「雷明は真面目なのに、少しだけどっかのネジが外れてるよな。……それで、どうなったの?」


「は?」


「告白した後、どうなったのって聞いてんの! 彼女からの返事は?」


「すぐには難しいって……でもまた会いにくるって」


 雷明からの返答に明親は目を丸くした。


「また会いにくるだぁ? あんた、それって……脈ありってことじゃねーの?」


「そう……だよな」


 口元を僅かに緩ませる雷明に明親は飛びかかった。


「俺なんて……俺なんて女の子から嫌厭されてるのにどうして……どうしてあんたは……この裏切り者ぉ」


「やめろって、まだ付き合えるかどうかもわからないんだ」


「でも、また会いに来るって言ってたんだろ」


「ああ」


「べっぴんさんなんだろ」


「ああ」


「このやろおぉおぉ〜」


 明親は涙を流しながら雷明の襟元を掴んで、わしわしと揺らした。「お前にもいい人が見つかるって」と雷明は宥めたが、それを聞いた明親はさらに雷明のことを揺さぶった。

 


「そういえば、彼女の名前は聞いたのかよ」


 明親が頬を膨らませながら雷明に問いかける。


「もちろん聞いたさ。『桔梗』と言う名前だそうだ。すごく響きの良い名前だ」


「桔梗……、どっかで聞いたことあるような……。町奉行を引き連れているくらいだからどっかの貴族かなんかか? ってか、ここに来た時は一人だったのかよ?」


「ああ、家の者がうるさいから、こっそりと一人で来たらしい」


「へぇー、そうだったのか。俺も会いたかったなー、桔梗ちゃん。今度はちゃんと会わせてくれよ。親友だろ?」


「わかったよ」



 それから数日後、桔梗は本当にまた陰陽寮へとやって来た。そして、雷明に向かって彼女はいきなりとんでもないことを口にした。「ここに住まわせてくれないか」と。

 雷明は二つ返事ですぐに了承した。


 それからは、雷明にとって夢のような生活が始まった。朝になれば彼女が優しく起こしてくれる。生業としている街のパトロールや怨霊退治から帰れば、彼女が温かく出迎えてくれる。

 綺麗な彼女のことを周りの陰陽師たちからとても羨ましがられた。美人でありながら、きっちりとした性格で、家事も卒なくこなす。世の男たちにとってまさに理想の女性像であった。彼女は手際が良く、愛想も良かったため、陰陽寮に住む女性たちからもとても好かれた。

 



「桔梗……有耶無耶にしたままだったが、確認したいことがある」


 ある日の夜、雷明は思い切って桔梗に尋ねた。


「何? 雷明」


「俺と……一つになってくれないか? 君のことが大好きなんだ」


 少し顔を赤らめながら、それでいて真摯に雷明は告白した。桔梗は少し驚いたような顔をしたが、ゆっくりと雷明に近づいて彼の手を握った。


「こんな私で良ければ、これからもよろしくお願いします」




「明親……私は桔梗とつがいになった」


 翌日の昼間、雷明の爆弾発言に、明親は口をあんぐりとさせた。そして、ゆっくりと雷明に近づいて、彼のことを抱きしめ、わしわしと頭を撫でまわした。


「おめでとう。まさか、あの真面目くんが俺よりも先に女捕まえて結婚するなんてな。このやろ」


「ありがとな」


「よし、こうしちゃいられねぇ。酒だ。酒を飲むぞ」


 明親は寮の台所からくすねてきた酒瓶を一本、寝殿造の縁側に置いた。縁側に座った二人は盃を片手に持って酒を酌み交わす。庭では桜の花が綺麗に咲き、花びらを舞い散らしていた。


「結婚か……幼馴染でずっと俺の隣に居たのに、なんだか遠くに行っちまった気がするな」


「そんなことないって、結婚してもお前との関係は変わらないよ」


 雷明の言葉を聞いて、明親は彼の肩に勢いよく腕をまわした。


「俺は良い友を持ったなぁ〜。あんたが幼馴染で本当に良かった」


「なんだよそれ」


 それから二人は、しばらく桜を眺めながら酒を飲んだ。



「それで、桔梗はどこのお嬢様だったんだ?」


「……いや、知らない」


「は? 一ヶ月以上一緒に暮らしていて知らないって、あんた……桔梗をこのままここに住まわせておいて大丈夫なのか?」


「何がだ?」


 呆けた様子の雷明に、明親はため息を吐く。


「だって彼女、初めて会った時は町奉行を引き連れていたんだろ? だとすると、どっかの貴族だったりするんじゃねーの? 家の者がうるさいとか、こっそり来たとか、もしかしたら家出だったりするんじゃねーかと思ってな」


 たしかにそうだと、雷明は意表を突かれた気持ちになった。

 陰陽師が街で出会った娘を寮に連れ込むことは珍しいことではなかった。周りの陰陽師たちや寮母たちが桔梗のことを受け入れたこともあり、すっかりそんなことを考えてはいなかった。いや、考えないようにしていたのかもしれない。


「でも一ヶ月以上、どこからも何も連絡はない。どこかの貴族の娘が行方不明になっていれば大騒ぎになっているはずだろう?」


「だから、何かしら起こるとしたら、そろそろだろうと思ってな。俺の気にしすぎかもしれないが心配なんだよ、あんたたちのことが」


 雷明は桔梗の素性を一切知っていない。桔梗は家族に何も言わずにここに来たのだろうか。雷明は異様な胸騒ぎを覚えた。

 そして数日後、明親の不安は的中することとなってしまう。

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