#28 遭遇
屈強な男——鏑木剛は、とあるトンネルの中を歩いていた。全長三キロメートル、横幅十メートル、高さ八メートルほどの、どこにでもあるようなトンネルである。
「トンネルはあまり好きじゃない。あの時のことを思い出す」
哀愁を帯びた雰囲気の剛は、等間隔に設置されたオレンジ色のライトに照らされながらトンネル内をゆっくりと進んでいく。すると、奥の方から唸るようなエンジン音が聞こえてきた。
「む?」
こちらに向かって一台のバイクが走ってくる。ライダーが着用している真っ黒なフルフェイスヘルメットとネイビーのライダースーツは、青と黒のカラーリングのバイクにとても合っていた。
夕方のツーリングを楽しんでいる人だろうか。否、彷徨うゴーストライダーである。バイクに跨る人は微かに揺らいでいた。通報にあった、トンネル内に不気味に響くバイクのエンジン音は、おそらくあれが原因なのだろう。
「神器発動」
剛は斧の神器を顕現させるとバイクとすれ違う瞬間、その朧げな車体にバットをスイングするかのように斧の刃を打ち込んだ。
「ふん!!」
「うわあああ!!!!」
バイクは転倒し、ゴーストライダーはそのまま地面に倒れ込む。倒れたバイクはゆっくりと消滅していった。どうやら、バイクもこの人の思念によって創造された産物だったようだ。
「おい、何するんだあ!?」
怒り声をあげる男のゴーストライダーに向かって、剛は斧を片手にゆっくりと近づいていく。
「ま、まさか、これで俺を殺す気か!? ……おい、なんで何も答えない。やめろ、やめてくれ!!」
さしずめこの男はバイクの事故で死亡したのだろう。自分が死んだことにすら気がついていない悲しき亡霊。そんな幽霊に向かって、剛は斧を振り上げた。
「うああああああああああ!!!!」
「やめてあげてください」
突然横から声がして、剛は目を見開きながらそちらの方を見た。黒パーカー姿で黒い天狗の面を被った男が、剛が振り上げている神器の斧を掴んでいる。
いつの間に現れた?
剛は慌てて斧を振り下ろそうとした。しかし、斧はぴくりとも動かない。
「逃げてください」
「……誰だか知らないが、助かった。ありがとーー!!」
男のゴーストライダーは黒天狗に礼を言うと、自らの足で走ってトンネルの向こうへと消えていった。
「……お前さん、そろそろ離してくれはしないかい?」
「ああ、すみません」
黒天狗が斧を離すと、剛はすぐに黒天狗に向かって斧を振り下ろした。黒天狗は後ろに軽く飛んでそれを躱す。
天狗の幽霊? 本物か? まさか、局長ではなく、俺の方が先に出くわしてしまうとは、と剛は顔を引き攣らせた。
「ったく、ついてるんだか、ついてないんだか。まあいい、お前さんは俺がここで除霊してやる」
剛が斧を構える。
「相手してあげます。来いよ」
黒天狗は拳を構えた。
「ああ、いくぞ!」
剛は黒天狗に向かって行くと、重い斧を力いっぱいに薙ぎ払った。何度も何度も。それを黒天狗は後ろに下がりながら避けていく。何度か避けたところで、黒天狗は剛の斧を持つ手を掴んだ。
「いっ」
黒天狗は剛の腕を少し捻ると、逆の手で剛の腹に正拳突きをした。
剛は「うおっ」と呻き声を上げながら、突き飛ばされて数メートル後退したところで止まった。
今の動き……それに先ほどからの彼の構え。これは武道? それも空手か? と剛は考えを巡らせる。
そんな考えに一瞬意識を向けた隙に、気づくと剛の前から黒天狗は消えていた。
あれ? どこに——
いつの間にか黒天狗は剛の真横にいた。黒天狗は体を捻らせ、剛に向かって鋭い回し蹴りが飛んでくる。彼は慌てて斧を構えて、その刃の平で蹴りを受け止めた。衝撃で斧の刃にヒビが入る。
「何!? 神器が傷ついただと?」
そこで剛は改めて目の前にいる黒天狗のことを、恐ろしい化け物だと認識した。そしてもう一つ。
「……お前さん、幽霊じゃないな」
そう言って剛は眉根を顰める。
剛は黒天狗のことを幽霊ではないのではないかという考えに至った。彼がそう考えたのには理由がある。黒天狗には幽霊特有の揺らぎが一切見られなかったから。そして、神器に触れても苦しむ様子が見られなかったからだ。幽霊であれば神器に触れれば、多少なりともダメージを受けるはずである。
「お前さん、生者か? ……いや、何者だ?」
黒天狗は剛からの問いに何も答えずに、攻撃を続けた。蹴りに突き、所々に荒々しさはあるものの、まるで達人に近い動きだ。相当な訓練を積んでいるのだろう。剛は必死になって防御をする。
しばらく攻撃を防いだところで、剛は斧を地面についた。彼の体力の限界が近づいていたのだ。はあはあ、と息を上げながら、黒天狗のことを睨みつけた。
ここで負けてしまうかもしれない、殺されてしまうかもしれないという考えが、剛の頭をよぎる。しかし、剛はここで死ぬ訳にはいかなかった。剛が自分の左手に残った大きな傷跡を見つめる。
「俺はな……昔、悪霊に家族を殺されたんだ。……その時約束したんだよ。死んだ家族の分も生き続けると」
剛の言葉を聞いて、黒天狗の動きがピタリと止まる。
「あいつらの分も!!」
剛は斧を振り上げた。
十八年前、剛は家族旅行に出かけた際、トンネル内で悪霊に家族を殺された。
目的地に向かって車を走らせる。車内では、妻と息子とたわいのない話で盛り上がっていた。向こうに着いたらまずは何をしようか。夕飯には何を食べようか。そんな幸せな空間は突如として終わりを告げた。
あるトンネルを走行中、突然車の窓ガラスに無数の手形がペタペタと貼り付いた。その物々しい出来事に驚いた剛はハンドル操作を誤り、車を壁に激突させた。
事故の衝撃で意識が朦朧とする中、何者かに首を絞められている感覚に襲われた剛は、必死に妻と息子の名を叫ぼうとした。けれど、うまく声が出せなかった。腕も硬く掴まれたように動かすことはできなかった。
遠くの方から「おい大丈夫か! 急急如律令、悪霊退散!」と言う男の声が聞こえてくる。その記憶を最後に剛は意識を失った。
剛が目覚めると、病院のベットの上だった。横には初老の男とお嬢様のような幼女が座っている。
「あら、結構早く目を覚ましましたのね」
「よかった、気がついたな」
剛を助けた初老の男——明宏の話によれば、どうやらトンネルの中で悪霊に襲われたそうだった。剛はたまたま通りかかった彼らに助けられたのだ。しかし、妻と、まだ幼かった息子は死んでしまっていた。窒息死だった。
剛は初め混乱した。車の事故で窒息? 悪霊? しかし、目の前にいるお嬢様のような幼女によって、剛の中で幽霊の存在は肯定されてしまった。今まで、自分に幽霊が見えることを剛は知らなかった。気づいていなかった。
剛は悲しみのあまり、自死することも考えた。そんな考えを、恩人である明宏に打ち明けると酷く叱責された。馬鹿なことは考えるな、あんたは家族の分も生きなきゃいけない、と。
その時、剛は誓った。家族の分も生き続けると。生きて生きて、生き続けて、あの世に逝った時に笑顔で家族に再会すると。そのために幽霊を退治する仕事にも就いた。胸を張って家族に会うために、、、
だから……だから、こんなところで簡単にくたばる訳にはいかないのだ。
「麻友! 葵! 俺は!!」
剛が放った快心の一振りは、黒天狗の面を掠めた。黒天狗の面にヒビがはいる。
「君は……とても素敵な父親だと思います。きっと、君の家族は幸せ者だったでしょうね」
黒天狗の面は真っ二つに割れて落ち、面の下が露わとなった。
面の下の顔を見た剛は顔を青ざめさせた。
「…………まさか、どうして……、だってお前さんは、死ん——」
ドサ!
警察庁幽霊対策局所属の鏑木剛は、怪奇現象の報告があった現場へと調査に出向いた後、消息不明となった。




