#1 最悪の出逢い
この物語は『ゴーストパラダイス』の続編になります。
この世界には幽霊がいる。
死んだ人間が、生前の未練を果たすために、この世に留まってしまうのだ。
幽霊になってしまったほとんどの人は、生前の記憶を無くしてしまっている。
それでも—–それでも幽霊たちは、なぜこの世に残ってしまったのか、なぜ成仏することができなかったのか、答えを求めて彷徨い続ける。
生きる希望はなんですか? たとえ死んでも叶えたい夢はありますか?————
黒色の空は澄み渡り、星々が綺麗に輝いている。その空の下、東京の街では赤と緑の電飾が煌びやかな光を放ち、人々はまだ賑わっていた。至る所にあるスピーカーからは、ジングルベルの音楽が軽快に鳴り響いている。
そんな街中を灰色で膝丈ほどのキルティングコートを纏った一人の女性が、セカンドバックを脇に抱え、赤髪のツインテール揺らしながら走っていた。その女性は黒色のキャップをかぶり、レンズの色が薄いサングラスをしている。
赤髪の女性がビルの角に差し掛かった時、角から二人組の男性が出てきた。一人は髪の毛をピシッと整えたヒョロヒョロの男。もう一人はスキンヘッドでサングラスをかけた厳つい男。二人とも鼠色のスーツを着て、キラキラとした装飾品を身に纏っていた。
「見つけたぞ! 嬢ちゃん」
「やば!」
二人の男に見つかった赤髪の女性は、九十度方向転換をして人の間を縫うようにしながら再び走り出した。
赤髪の女性の名は北山美波。数日前に応募した配送業のアルバイトを行なっていたのだが、どうやらヤクザによる密輸に加担させられていたらしい。
『荷物を指定の場所まで運ぶ簡単なお仕事』という文言での募集だったのだが、いざ仕事を始めると、荷物の受け取りは人気の少ない路地裏を指定された。その時点で怪しいと感じていた美波は荷物を受け取ったのち、ショッピングモールのお手洗いでこっそりと受けとったセカンドバックを開いてみた。そこには案の定、拳銃が入っていたのだ。「やっぱハズレのバイトだったか、はあ」とため息をついた彼女は、警察に見つけてもらえるような場所に拳銃を放置しようと考え、ショピングモールを出る。そこで三人組のいかにも一般人ではない男に声をかけられたのだ。
「お嬢ちゃん、川崎組の人から何か渡されてたよね。それ、こっちに渡してもらえないかな?」
美波は、彼らが自分を雇った人たちと敵勢力のヤクザであると一瞬で理解した。
ここでこれを手渡してしまえば、私は楽に逃げ出せるかも。
美波の頭にはそんな考えもよぎったが、彼女の正義感がそれを許さなかった。拳銃が彼らの手に渡ってしまえば、ヤクザ同士の抗争に発展してしまうかもしれない。そう考えた彼女は逃げるように走り出した。
そして今に至る。
「元陸上部の脚力を舐めるな!」
二人に追いかけられている美波は細い裏路地へと入っていった。
「クリスマスイヴの夜にどうしてこうなるかな!」
明らかに怪しいバイトになぜ彼女は応募したのかと疑問に思う者もいるだろう。こんなバイト、世間に疎い人間か切羽詰まった人間しかやらないだろうと。そう、彼女は切羽詰まっているのだ。
半年ほど前まで彼女は警察官だった。警察官と言っても少し特殊な組織である『幽霊対策局』(通称:GH)に所属し、幽霊を狩る仕事をしていた。しかし、殺人の罪で捕えられていたある青年の脱出を幇助したことで、今では組織から追われる身となってしまっている。今までネットカフェなどを転々とし、身を隠しながら生活をしていたが、そうするとやはり、資金面での問題が降りかかってくるのだ。匿名でできる仕事も限られてくる。当然こういった危ない仕事に出くわすこともあるのだ。
ここを抜けてもう少し進めば交番がある。交番にセカンドバックを投げ込んで後はひたすらに逃げ続けよう。
そんなことを考えていると、目の前にちんちくりんなヤクザの男が立ち塞がった。ショッピングモールから出た時に声をかけてきた三人組のうちの一人だ。
「もう逃げられないぞ」
ちんちくりんが不快な濁声をあげる。
後ろから追いかけてきた二人も美波に追いついた。最悪だ、挟まれてしまった。
「さあ、そのバックを渡してもらおうか」
スキンヘッドの男がゆっくりとこちらに手を伸ばしてくる。
「くっ」
美波はキルティングコートのポケットに左手を突っ込んだ。
中には虹色の指輪、神器と呼ばれる武器を顕現させることのできる指輪がある。ここなら他の人の目はない。このヤクザたちを無力化させてしまおうか。
そう考えていると、突風が吹き込んできた。
「きゃ」
「うお!」
あまりの風の強さに美波は腕で顔を覆った。強風がしばらくの間吹き荒れる。
ドサドサ
風が止むと美波はゆっくりと顔を上げた。先ほどまで生き生きとしていた三人のヤクザが倒れている。どうやら意識を失っているようだ。
「何が起こったの?」
美波が辺りを見回すと、路地の向こうから誰かがこちらをじっと覗いている。顔が黒く、黒い布切れのような服を着た天狗がこちらを覗いていた。
「天狗!?」
美波は顔を青ざめさせた。
天狗の面をした幽霊。GH創設のきっかけにもなった幽霊である。GH局長の芦屋道竹が今まで遭遇した幽霊で唯一除霊できなかった存在。話によると天狗の幽霊は白い面をしていると聞いていたが、悪霊だから黒色にもなるのだろうか。まさか、こんな所で出会してしまうとは。
黒天狗はこちらのことをしばらく見つめていると、彼は突然スッと消えてしまった。
「あっ!」
美波は慌てて、黒天狗のいた方へと走り出した。裏路地を抜け、少し開けた場所に出る。さっきの煌びやかな街とは違い、街灯の少ない薄暗い場所だ。
美波が辺りを見回すと、交番の方に黒天狗は立っていた。またこちらをじっと見つめている。
美波は黒天狗を少し睨むとポケットから取り出した虹色の指輪を右手薬指にはめた。
美波は黒天狗を追いかけた。美波が黒天狗に近づくと奴は消えて、再び少し先の方に姿を表す。その繰り返しだった。美波はなぜだか、黒天狗からは敵意がないように感じた。
拳銃の入ったセカンドバックは交番前に置いてきた。『すぐそこの路地裏に人が倒れています』というメモ書きを添えて。
黒天狗を追いかけ続けた美波がある廃墟の前にたどり着くと、黒天狗はそこで完全に姿を消した。元はショッピングモールだったのだろうか。大きな建物の中に入っていくと太い柱がいくつも聳え立った場所に出た。ここは立体駐車場だったのだろう。
美波はそこを散策した。もしかしたら、どこかに黒天狗が隠れているかもしれない。なぜ、私の前に現れたのか問わなければ。
「えっ!?」
美波は見つけた。黒天狗の幽霊ではなく、死装束の格好をした少女の幽霊を。シュッとした鼻筋に艶やかな唇、髪は長く美しい黒色だった。死装束の幽霊は眠ったように倒れている。彼女の手足からは微かに黒いモヤのようなものが浮かび上がっていた。
「悪霊!? でもこの幽霊って……」
死装束姿の少女の幽霊。美波は以前その容姿の幽霊のことを耳にしていた。半年ほど前、同僚の大輝と対峙した幽霊。GH本部に乗り込んできた幽霊。そして従弟の達海が大切に思っていた幽霊。
彼女が『レイ』と呼ばれていた幽霊なのだろうか。
美波は彼女のことを覗き込んだ、その瞬間。死装束の幽霊は大きな目を開いた。美波の右手を目にした彼女はみるみると険しい顔になっていく。
「……GH!!」
「あっ!」
死装束の幽霊は、体を捻らせると美波に向かって蹴りを繰り出してきた。美波は両腕でそれをガードするも、後方へと少し蹴り飛ばされた。なんて威力だろうか。
死装束の幽霊はその勢いのまま立ち上がり、美波のことを睨みつける。
「GH……許さない! 殺してやる!!」
彼女の表情は憎しみに満ちているようだった。
美波は咄嗟に弓の神器を顕現させて、それを死装束の幽霊に向かって構えた。
「待ってください! 私はもうGHではありません。あなたが大人しくしてくれれば危害を加えるつもりもありません!」
「人殺しの組織のことなんて信用できない!」
美波の弁明を無視して、死装束の幽霊が美波に向かって走り込んでくる。
「ああ、なんでこうなるかな……最悪だよ」
美波は死装束の幽霊の足を狙って、何度か矢を放った。しかし、幽霊はそれを左右に交わしながら美波に近づいてくる。死装束の幽霊の拳が美波の顔に届く直前に、美波はガードするように矢を構えた。それを見た死装束の幽霊は「くっ」っと声を出しながら後退りする。神器は幽霊にとって触れただけでも大ダメージを受ける危険なものなのだ。
美波は再び弓を死装束の幽霊へと向けた。
「あなたは悪霊なんですか。市民へ危害を加える可能性があるなら、私はあなたを除霊しなければいけません」
「他の人なんてどうでもいい! 私はGHを許さない。私から大切な人たちを奪ったあんたたちを許さない!」
ああ、やっぱり彼女はレイなのだ。美波はそう確信した。
「……達海のことについてはごめんなさい。彼のこと守れなかった。私の力じゃどうにもできなかった。きっと私のせいで彼は死んでしまったんだと思います」
美波の言葉にレイがピクッと反応する。
「あんた、達海に何をしたの?」
「達海のことを逃しました。あなたに会いたい、守りたいって彼は必死だったから。でも結果的に彼を死なせてしまった」
美波はレイから目を逸らして話した。
「達海からあなたたち幽霊について教えてもらいました。成仏したいんですよね。でも、この様子だとあなたは悪霊になりかかってるんじゃないですか」
「そんなことどうだっていい!! 私の邪魔をする奴は、私から大切なものを奪う奴は、皆んな皆んな消えてしまえばいい!!」
レイは再び美波に向かって拳を振りかざした。しかし、美波はレイの顔をまっすぐに見ると、神器を横に投げ捨てた。レイの拳が美波の顔の目の前で止まる。
「何……してるの?」
「あなたに危害を加えるつもりがないことは本当です。私のことを殺すつもりならここで殺せばいい。でも、もし今のあなたを達海が見たらどう思うでしょうか。必死に守ろうとしていたあなたがこんなんじゃ、達海が報われません」
美波が睨みながらレイに言った。レイは我に返ったように、黒いオーラを放つ自分の拳を見つめる。
「あ……あ……ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
レイは泣き喚きながら蹲った。そんなレイの姿を美波は少し悲しい表情で眺めていた。
「落ち着きましたか」
少し経って、顔を上げたレイに美波が問いかける。レイは美波に向かってこくりと頷いた。
「私、これからどうすればいいんだろう……」
暗い顔でつぶやいたレイに向かって、美波は大きくため息を吐いた。
「あなた、生前の記憶は?」
美波からの質問にレイが首を横に振る。
「それじゃあ、生前の記憶を思い出す努力をすればいいんじゃないですか。未練をなくして成仏する、それが幽霊にとっての悲願なんでしょう?」
「そうだね……」
レイが静かに返事をした。
「達海だってきっとそうしてほしいはずです。ほらシャキッとしてください! ……私があなたの成仏の手伝いをしますから!」
美波の言葉を聴いて、レイが驚いたような表情で美波を見返した。
「どうして君がそこまでしようとしてくれるの?」
自分も大変な状況でどうしてそんなことを言ってしまったのだろうと、美波自身も少し驚いていた。くだらない正義感からだろうか。達海を死なせてしまった後ろめたさからだろうか。……いや、それもあるだろうが、きっと見届けたいのだ。彼が命を張ってでも守ろうとした者の行く末を。
美波は手を伸ばしてレイに握手を求める動作をした。
「私は北山美波。達海からあなたのことは聞いています。あなたの協力をさせてくれませんか、レイ」