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瞬間 ~そして彼女は一歩踏み出した~

作者: 四方志保

せわしなく通り過ぎていく人混みの中を、白い花束を抱えた志保(しほ)はゆっくりと歩いていた。

照りつける太陽と息の詰まるような交差点。

空を見上げただけで志保は軽いめまいを覚えた。

早くこの息苦しさから解放されたくて、志保は細い横道に入った。

低めのヒールをコツコツいわせながら、志保は足早に進んでいた。


「お嬢さん。」

不意に聞こえたその声に、志保はちょっと立ち止まった。

「少しだけ、見てみてはどうかね?」

振り向くと、古ぼけた小さな店の前に人の良さそうな老人が腰掛けていた。

「急いでいますので。」

そう言い返したものの、なぜか志保の足は止まったままだった。

老人はまぶしそうに目を細めながら、手にしていた万華鏡のような物を志保に差し出した。

「・・・万華鏡、ですか。」

一歩後ろにさがりながら、志保はそれを受け取った。

それから、にこやかに見守る老人の前で、ゆっくりとそれを目に近付けた。

「・・・・・・・。」

中は、真っ暗だった。

くるくる回しているうちに、奥の方から小さな光が段々と近付いてきた。

光が大きくなるにつれて、その中央の人影が、はっきりと見えてきた。

「あっ・・・。」

思わず、志保の口から声が漏れた。

「まさか・・・。」

“その人”が志保を見つめて微笑んだ。

「・・・(しょう)・・・。」

無意識に差し伸べた志保の手を、万華鏡の奥の少年が握った。

次の瞬間、志保はいつの間にか彼の前に立っていた。

「どうしたんだよ?」

「・・・え?」

呆然としている志保に、将がちゃかすように笑った。

「やっぱり、お前がいなけりゃ負けちまう、とか思ったわけ?」

相手の心を見透かすように深く澄んだ黒い瞳。

垂れてくる前髪を無造作に掻き上げる長い指。しっとりと響くバリトンの声。

志保は目の前の少年を食い入るように見上げていた。

「・・・将・・・。」

思わず呟いたその名の響きに志保は涙が溢れそうになった。

「志保?おい、どうしたんだよ?」

青いユニフォーム姿の将が、そんな志保を驚いたようにのぞき込んだ。

「・・・ほんとに、将・・・?」

「当たり前だろ。」

くったくの無い将の笑顔に、涙を堪えながら心底嬉しそうに志保が微笑んだ。

その笑顔にほっとして、将も微笑んだ。

だが、次の瞬間、志保は将の姿にハッとして、恐る恐る口を開いた。

「・・・将、もしかして、これから、決勝戦・・・?」

「何言ってんだよ。そのためにここにいるんだろ~が。」

「!!」

志保の全身がギクッと揺れた。信じられない思いに頭の中が目茶苦茶になりそうだった。

「将、もうすぐ始まるぜ。」

通路の向こうから現れた部員の方へ、将はくるりと振り向いた。

「ああ、今行く。」

それから志保に向き直ると、ちょっと目を細めて笑った。

「じゃ、後でな。今日は絶対優勝するぜ。」

ポン、と志保の頭に片手を置いてから、将は仲間のほうへ走って行こうとした。

「・・・将!」

その後ろ姿にハッとして、思わず志保は呼び止めた。

「うん?」

振り向いた将の全身を、通路の先に広がるグラウンドから差し込む光が包んだ。

「・・・頑張って・・・ね。」

「当然。」

まぶしい笑顔だけを残して将の広い背中が遠ざかっていく。志保は肩を震わせながらその場に膝をついた。

「まさか・・・。」

志保の脳裏に遠い思い出がよみがえってくる。将は県の選抜メンバーに選ばれるほどのサッカー部のエースだった。出る試合ごとに必ず点を入れ、見事、県大会の決勝戦にまでチームを導いた。サッカーのうまさに加えて将の端正な顔立ちは、試合の度に見ている女子の心を惹き付けて、毎回すごい騒ぎだった。歓声はあがるわ、プレゼントはくるわで、すっかり志保は気を悪くしていた。その事で口げんかになって、志保は二度と試合なんか観に行かないと宣言したのだった。

「こんな事って・・・。」

そして、決勝戦の日。家でやきもきしながら待っていた志保の元に突然掛かってきた電話。すぐさま飛びついた志保の耳に入った報告は、優勝と、将の死、だった。

「・・・将・・・・!」

立ち上がり、将の元へ駆け出そうとした志保は、沸き起こった歓声と、試合開始を告げるホイッスルの音に全身をこわばらせた。

「そんな・・・!」

ガクガクと足が震えた。揺れる足取りでスタンドに入った。

外の光がまぶしかった。歓声が、耳に痛かった。

「将・・・。」

志保はギュッと手を握りしめ、瞬きをする間も惜しく将を見詰めた。

もう二度と見ることの無いはずだった姿がそこにある。

いる事が出来なかった瞬間にいる事が出来る。

例えこれが夢であっても、絶対に将が存在していた最期の瞬間まではさめないでいてほしい・・・。 

必死に志保が祈る中、前半は将たちの圧倒的有利で終わった。

そして、後半戦。

前半の厳しい攻撃の反動で将のチームの足取りが崩れてきた。

じりじりと相手に攻め込まれ、同点に追い込まれた。

動きが鈍くなった仲間たちに将の懸命な掛け声が響く。

相変わらず、志保の周りではそんな将に対する大声援。

将が一心にボールを追いかける。

相手のガードが固くてなかなかボールが奪えない。

残り時間もあと僅かになっていた。

誰もが必死だった。

志保は息を潜めて立ち尽くしたまま・・・。

ふと、一瞬、駆け抜ける将の視線が大観衆の間を抜けて、迷う事なくまっすぐに、志保に向けられたような気がした。

直後、将が相手のボールに飛び込むようにスライディングした。

持ち主を失ったボールが宙を舞う。

すぐさまそれをキープした将のチームが一斉に敵陣へ突っ込んだ。

さらに大きく湧き上がる歓声。

味方のパスを受けてシュートを打った将のボールがペナルティーエリアを抜けて一直線にゴールへと吸い込まれていった。

「将っっ!!」

ゴールを示すホイッスルに続いて試合終了のホイッスルが鳴り響いた。

どよめく観衆。

そのままゆっくり倒れ込む将。

「将っ!」

審判員や部員たちが将に駆け寄って行く。

志保は夢中でスタンドを駆け降りると、タンカで運ばれていく将の後を追った。

「将、将っ。」

駆けつけた志保の声に、将が重いまぶたをゆっくりと開いた。

「勝ったぜ・・・俺、お前がいると、強い・・・。」

つぶやいた、将の声。低く響いた優しいバリトン。

「やだ、将、いかないでっ。」

志保を見詰める将の瞳。

何億万個の星が輝く、深い広い宇宙のように。

暗く、暗く、光が遠ざかる。

どこまでも、どこまでも、闇が辺りを覆い尽くして・・・


「見れたかね?」

その声にはっとして、志保は万華鏡から目を離した。

そのとたん、突き刺すような日の光が視界に飛び込んできた。

「・・・・・・。」

しばらく立ち尽くしたまま、志保は辺りを見回した。

薄汚れたガラスの古い店。

その前に腰掛けている小さな老人。

「・・・わたし・・・?」

揺れる瞳のまま見下ろす志保に、老人は肩をすくめてちょっと笑った。

「これを覗くとな、その人が一番会いたい人に一瞬だけ会えるんじゃよ。」

「一瞬・・・?」

どこかでセミの鳴き出す声がした。

志保は手中の小さな万華鏡を少しの間黙って眺めていた。

「わしの知り合いもみんな先に逝ってしまってな。こうして毎日ちょっとだけ会うのが楽しみなんじゃよ。」

「・・・そうですか。」

微笑んで、志保はゆっくりと万華鏡を老人に手渡した。

それから改めて、手にしていた花束を持ち直した。

「どうも、ありがとうございました。・・・今日、命日なんです。」

親しげな笑みを交わし合った後、志保は再び歩き出した。

まだ新しい将の姿を心の中に抱きしめたまま、まぶしい空に目を細め、しっかりとした足取りで、将の眠る地へと進んで行った。


お読みいただき有難うございました。

これが初投稿です。お気に入りに入れていただけたら幸いです。

今後もよろしくお願いいたします。

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