08.モヘジマーケット
「え!?ここってガルシア領なの!?」
言われてみれば、私が逃げ出したのは護送三日目。もう既にガルシア領土の中に足を踏み入れていても何らおかしくはなかった。
しかも、これから行く街はジオンって人が住む屋敷のお膝元だっていうじゃない。でも、だからといって今更魔女の家を手放すのも気が引けるし……。用心するに越したことはない。私はフードを深く被り直した。
「思ったより賑やか…!」
「西デ一番栄エタ街ダカラナ」
クロウが言う通り林を歩けば街へと繋がる道があった。昨日あんなに森を彷徨っていた私はなんだったんだろうと悲しくなるぐらい近い。
(異世界にきたぁ〜〜って、かんじ!)
古めかしい赤茶レンガの街並み。一階を店としている建物が多く商店街のようだった。お花屋さんにパン屋さん。宝飾店に、仕立屋。
(そうだ、下着の洗い替えは欲しい…!)
入るか迷ったけど、ずっーと同じ下着でいる方が辛い。勇気を出してお店の扉を開ける。からんころん。扉の音が鳴って来客を知らせた。
「あら、初めて見るお客さんだね?」
「あっはい」
恰幅のある陽気な雰囲気の奥さんが出迎えてくれる。お店の中には色とりどりの綺麗な洋服が並んでいて、魔女のクローゼットとは大違いだ。
「あの…下着が欲しくて…」
「下着ね?ラピッドがいいかしら、ベアーがいいかしら?」
ラピッド?ベアー?首を傾げてみると、奥さんが指差していたのは、ショーツに描かれた刺繍だった。うさぎとくま……こ、これって子供用パンツじゃ…。
「おっ、大人用のくださいっ!」
「まあ!オマセさんね!」
きゃっ!と笑った奥さん。オマセもなにも、こう見えても二十二歳なんだけどな。
おばさんが「レースはまだ早いわ。これぐらいにしておきなさい」と持ってきてくれた薄ピンクのショーツをとりえず2枚買った。ベルガ銀貨一枚だった。
「腹ヘッタ!」
「従魔のご飯は私の魔力なんじゃないの?」
「魔力ハ生命ノ維持!肉体ノ維持ハ飯イル!」
「従魔燃費悪いな」
クロウが我慢できないってカァカァ騒ぐので、とりあえず美味しそうな匂いがしたお店でウィンナーパンを二つ買うとすぐに頬張った。
「おいし〜い…!」
焼きたてで、ふわふわのパン。ぷりっとした肉の食感に思わず笑みがこぼれる。
「でも、ひとつ銅貨一枚かぁ…」
「魔女様ハ自分デパン焼ケタ!」
「え!パン焼けるの!?」
「パン窯キッチンニアル」
たしかにキッチンの壁に扉がついていたのは覚えてる。ただ、あの家は魔女の家だ。何が飛び出してくるか分かったもんじゃないから開けるの躊躇ってたけど……あれパン窯だったのか。
「そうと決まれば……」
街を見回し、お目当てのものが売っていそうなお店を探す。
「あ、あの店にいこう!」
大きな看板のある開けたお店。店の名前は「モヘジマーケット」クロウは文字も読めるそうで、こっそり教えてくれた。
マーケットというだけあって品揃えはいい。棚に並んだ品と値札を見て物価は元の世界とあまり変わらなくてほっとする。
瓶に入ったミルクを四本、大きな紙袋に入った小麦粉、パン作りには欠かせない瓶入りのドライイースト。卵にバターあとベーコン。艶々した美味しそうな林檎も三つ。
品を持って帰るための大きなバスケットも買うことにした。
「お、嬢ちゃん!お使いか〜?」
椅子に座って新聞を読んでいた男の人が顔を上げてニッと笑った。口元には爪楊枝。つるぴかハゲで、マーケットの店主というより鍛冶屋の親父と言った方がしっくりくるほどいかついおじさんだ。
「ちゃーんとお金持ってんのか〜?」
「なっ!持ってますっ!」
「ハハ!悪りぃな!ん…?そういや、嬢ちゃん初めて見る顔だな。最近、越してきたのか?」
「はい」
「へえ。どこから?」
「あーっと……王都…かな……?」
「ふうん、王都ねえ……」
そう呟いて、ジッと私を見る。その視線にドギマギとして慌てて晒した。
ど、どうしよう……、異世界人だってバレたら。それを誤魔化す為に着た魔女さんの服だけど、そもそも魔女って大丈夫なのかも分からない。
「最近多いんだよなぁ……王都からこっちに流れてくるの。嬢ちゃんも王都じゃ苦労したんだろ」
「まあ……はい。色々と」
異世界に召喚されたり、牢屋に入れられたり。思わず苦虫を潰した顔を浮かべた私におじさんは同情するように頷いた。
「英断だったと思うぜ。女神様が召喚されて、また王都は税率も上がるっていうしよ。これからどんどんお仲間がこっちに来ると思うぜ」
「女神様が召喚で税が?」
気になるワードに思わず聞き返してしまった。
「ああ。女神様っていうのはとにかく金がかかるらしいからな。俺から言わせりゃ、なーにが平和の象徴だ。四方の辺境が魔獣との均衡を保ち、何百年も戦争も起きないこの国で必要なもんか」
「じゃあ…なんで召喚したの?」
「王家のしきたりなんだろう。噂じゃ王家に金がなくて税率上げる為にも女神様召喚したって話だぜ」
改めて、女神様になんかならなくて良かったと思った。
言うなれば、女神の存在って王宮のマスコットみたいものだ。客寄せパンダのようにお金を市民から巻き上げる為の道具にされる、その為の召喚だったんだ。
「でも、安心しな。ソレに比べたらここの領主様は立派なもんだ。ジオン様が王太子だったら国も安泰なんだけどなぁ。おっと!こりゃ不敬すぎた。嬢ちゃん黙っててくれな」
ニィと笑って、人差し指で口元を抑えるおじさんにつられて笑う。
「俺ァ、モヘジだ。よろしくな」
「マコです。引っ越してきたばかりなので、また色々教えてください」
「それじゃあ、これは黙っててもらう賄賂だ」
私の手に飴玉を握らせて、おじさんはウィンクした。もしかして魔女っていうより……貧乏な家の子供に見られてる?良いのか、悪いのか。異世界人と気づかれるよりマシだろうと自分を慰めた。
街に出て気づいたことはいくつか、ある。
純日本人の平凡顔代表の私からみて、めちゃくちゃ綺麗な人が多かった。モヘジさんですら綺麗な色の瞳をしていた。
あと、みんな背が高くてデカい。仕立屋のおばさんも私と比べて随分と背が高く、百七十以上はあると思う。そんな人たちから見れば、日本人の平均身長程の私なんか子供に見えてしまうのも無理はない。
何よりホッとしたのは、女神が召喚された噂はらあれど、もうひとりの異世界人が逃げ出したという話は一切聞かなかったこと、だ。もしかしたら、二人召喚されていることを市民たちは知らないのかもしれない。
(……いい街だったな。)
行き交う人の雰囲気とか、穏やかな笑みを浮かべた店主たちも。みんながそれなりに暮らしてる感じが平凡な私にしっくりきて、とても居心地がよかった。
「クロウ、また行こうね!」
「カァ!」
重たくなったバスケットを抱えて、林の中の帰り道を歩いていく。私の棲家である、魔女の家へと帰るために。