8.花嫁の衣装
「オルムステッド城主ナサニエル・ケンドリックです。王女殿下をお迎えすることが叶い、光栄の極みです」
どこか芝居がかった調子で述べる若者を、クリスティアナは硬直したまま見つめた。
茶色がかった黒髪と、同じ色のより明るい瞳。輝くような目と上がった口角のせいか、聞いていた年齢よりやや若く見える。
背は高く、おそらくクリスティアナより頭一つぶんはあるのだが、今は少しばかり屈んだ姿勢になっている。クリスティアナの前で礼の姿勢をとる際、手にしていた杖を従者に預けたためだ。杖なしでも立っていることはできるようだが、良いほうの脚に体重を傾けているので少し辛そうに見える。
それでも、ナサニエル・ケンドリック――王女キャロラインの婚約者は、人なつこい笑みを片時も崩さなかった。
「イースデイル家のジェローム一世陛下のご息女、キャロライン王女殿下でいらっしゃいます」
ジリアンが宣言するように高らかに告げた。
クリスティアナは、口の中で上下の歯を噛みしめる。
ついに来てしまった。婚家の人々の前でキャロラインの名を騙る時が。
レディング城主に素性を偽るのも胸が痛んだが、今の罪の重さはその時とは比べものにならない。目の前にいるのはクリスティアナの夫となる人である。
「あの……」
クリスティアナは一歩前に進み出て、か細い声を振り絞った。
もっとも抵抗のある名乗りはジリアンに任せるが、その後にクリスティアナも何かしら声をかけるという、ジリアンと馬車の中で打ち合わせた通りに運んでいるのだが――
「わたしにお構いなく、杖をお使いに……いいえ、それよりも、どこかにお掛けになってください」
クリスティアナは用意していた挨拶を忘れ、この場で思ったままを口にした。緊張と罪の意識にとらわれながらも、片脚に体重を預けて立っているナサニエルが気にかかってならなかったのだ。
ジリアンが眉を吊り上げて振り返り、ケンドリック家の者たちは虚を突かれた顔になり、ナサニエルが大げさなほど身を揺らして笑い出した。
「姫君はお優しい――こんな姿でお出迎えすることになり、誠に申し訳ない」
「いえ……」
「ご心配をおかけしていますが、傷はもうほとんど完治しています。あとはこれを手放せるよう、訓練の最中でして」
従者が捧げ持つ杖を指して言うが、クリスティアナの勧めに応じてそれを再び手にする気はないようだった。
ジリアンが視線を前に戻し、ナサニエルの足もとや隣にある杖を無言で見つめている。それを見て、クリスティアナも思い出した。ナサニエル・ケンドリックが王の命に背いて上洛を拒み続けていたのは、父親の反乱の際に負った怪我のためということだった。
どうせ作りごとの口実だろうと宮廷のほとんどが思っていたが――今、クリスティアナの目の前にいるナサニエルは、実際に杖なしでは立っているのがやっとに見える。
「あと二十日ほど励めば杖は不要になると、医師に言われています。婚姻の儀はそれから執り行いたいと思いますので、姫君はその日までこの城でごゆっくりと――」
「そのことですが、ケンドリック公。ご婚儀は今日この日としていただきたいのです」
ナサニエルを遮って口を挟んだジリアンに、若当主を取り巻く従者たちが表情を変えた。
「王女殿下はご覧の通り、イースデイル家の赤を御身に纏ってこちらにおいでになりました。このたびの婚姻に臨むお覚悟は、すでにお出来だということ。この赤のお衣装を花嫁支度として、すぐにでも婚姻を結びたいと、王女殿下はお考えになっております」
クリスティアナではなく、ジリアンが考えたことである。
王都から六日間、できる限り道を急いできたが、クリスティアナの不在に気づいた父が、いつ追手をかけてこないとも限らない。追いつかれて連れ戻され、本物のキャロラインと入れかえられる前に、早めに婚儀を済ませておくに越したことはない。父の追手がこのオルムステッド城に着いた時、クリスティアナがすでにキャロラインとして名実ともに城主の妻になっていれば、王家としてもそれは偽の王女だったとは言えなくなる。
「しかし、今日というのは――祝宴の準備も満足に整っておりませんが」
「祝宴など省いていただいても結構。王女殿下はそのような形式にはこだわらず、あくまでもケンドリック公と誓いを交わすことを大切にお考えです」
渋い顔を見せる家令のロドニーに、ジリアンが有無を言わせず畳みかける。
ナサニエルは二人のやりとりを笑顔のまま聞き届け、クリスティアナに視線を戻して答えた。
「赤の姫君のお望みでしたら、そのように」