7.オルムステッド城
馬車がオルムステッド城に続く橋道に入ったのか、急に速度を落としはじめた。城門塔の前まで着き、ジリアンが窓から顔を出して王女の到着を告げる間も、クリスティアナは外を見ることができなかった。
門番に姿を見られることが恐ろしかった。馬車から降りれば、否が応でもキャロラインを名乗らなければならないとわかっていても。
クリスティアナが久方ぶりに外の空気を吸ったのは、馬車が城壁の中に入り、広々とした外廓の芝生に下り立った時だった。
――きれい。
赤みを帯びた石が積み上げられ、見上げるほど高い主閣や塔を築いた光景に、クリスティアナは緊張を忘れて見とれた。
自分の育った王城を除けば、これほど大きな城を見たのははじめてだ。マスグレイヴ旧王家の時代には、ケンドリック家はイースデイル家と同格だったという、ジリアンの話を思い出す。
現在のイースデイル王家、ケンドリック家は、かつてはマスグレイヴ旧王家を支える二大領主だった。
黒のマスグレイヴ、赤のイースデイル、青のケンドリック。
この三家がそれぞれ治めていた公国が併合され、新たに一つの王国として成った時、王家に選出されたのは財力でも軍事力でも突出していたマスグレイヴ家だった。他の二家は公国時代の領地をおおむね引き継ぐことで合意し、以来、赤と青の領主は足並みを揃えて黒の王家に仕えてきた。
変動が起きたのは十七年前のことである。当時のマスグレイヴ家当主――今は遊蕩王とも呼ばれるエドウィン三世は、その名の通り享楽と怠惰に耽り、政を放置して奸臣をのさばらせ、直轄領のみならず国全体を荒廃させていた。
クリスティアナの父ジェロームは、個人的にも親しかったオーウェン・ケンドリックと結託し、軍を率いて王都を攻め、マスグレイヴ王家を滅ぼした。そして自らが王位につき、イースデイル王朝を興したのである。
オーウェン・ケンドリックはもう一人の功労者でありながら、王位を盟友に譲り、自らは従来どおりの領主の座に甘んじた。それを十年以上も悔やみ続けて、半年前ついに乱を起こして落命することになった――というのが、王都で囁かれている反乱の真相である。
「王女殿下のご一行でいらっしゃいますね」
礼服に身を包んだ壮年の男性が、幾人かの使用人を引き連れて歩み寄ってきた。
「ケンドリック家の家令を任ぜられております、ロドニーと申します」
「わたくしはジリアン・ローウェル。王女殿下にお仕えし、お輿入れの旅のすべてを取りしきって参りました。ケンドリック公はどちらにおいでです? 殿下が今日ご到着になることは早馬で知らせておいたはずですが」
「旦那さまはお怪我が完治しておりませんので、屋外にお出になることが叶いません。大広間にて王女殿下をお待ちしておりますので、ご案内いたします」
ジリアンがクリスティアナを振り向き、二人の視線があった。
嫁いでくる王女の出迎えにも来ないとは、やはり新ケンドリック公はこの婚姻に乗り気ではないらしい。
「では、案内を頼みます」
ジリアンが居丈高ともとられかねないほど毅然として告げた。
へりくだる必要はない、ケンドリック家はあくまで王家の臣下なのだから――というジリアンの意向に任せ、クリスティアナはついて行くしかない。
内廓を通って大広間の中に入っても、ナサニエル・ケンドリック本人らしき姿はまだなかった。
「どういうことでしょう。王女殿下をお待たせするなど、無礼ではありませんか」
ジリアンが大広間を見まわし、ロドニーを叱責する。
「申し訳ございません、旦那さまは脚にお怪我をしておいでで」
「歩くのが困難だとしても、それならば早めに位置につき、王女殿下をお迎えするのが礼儀ではございませんか。お怪我というのも真実であるのかどうか――」
がらんどうの広間に響くジリアンの声を、近づいてくる物音と人の気配が遮った。
足音は複数。それを先導するように、何か細いもので石を叩くような、鋭い音が小刻みに響いてくる。
「――ああ、参られました」
ロドニーがほっとした様子で、広間の一角を見つめる。
クリスティアナたちが通された出入り口とは別に、そこには城の別の部分に通じる扉があるようだった。開け放されたそれの向こうから複数の人影が現れ、その先頭の人物がクリスティアナのほうへまっすぐ向かってきた。
「これはどうもお待たせを――赤の姫君」
従者を引き連れた二十歳くらいに見える若者が、この城の主だということはすぐにわかった。彼が現れた瞬間から、クリスティアナの目はその足もとに釘づけになっていた。
ナサニエル・ケンドリックは、長い脚の片方を半ば引きずり、杖をついてクリスティアナの前まで歩いてきたのである。