2.婚姻の発表
クリスティアナが広間に入っていくと、食卓のまわりで歓談していた人々がにわかにざわついた。いつも質素なクリスティアナが着飾っているのが珍しいのか、品評するような視線が集まってくる。彼らの目から逃れるようにうつむきがちに歩き、自分の席に向かった。
クリスティアナが席の側に立って間もなく、国王夫妻が三人の子女を連れて広間に現れた。
最後尾を歩くキャロラインは、見覚えのある深紅の衣装を身につけている。古い型ではないし似合ってもいるが、不服に思っていることが表情に出ていた。
「晩餐の前に一つ発表がある」
細長い食卓の中央に着いた国王ジェローム――クリスティアナの父が、居並ぶ廷臣たちを前に切り出した。
「我が娘キャロラインの婚姻が決まった。ケンドリック家の新当主ナサニエルに嫁がせる」
広間のそこここで、人々のささやく声が広がった。多くは隣りあわせた者と視線や言葉を交わしているが、一部はすでに知らされていたのか表情も変えていない。
クリスティアナは斜めに目を動かして妹を覗き見た。
話題の主役であるキャロラインは、このことを知らされていなかったほうに入るらしく、父の言葉に顔色を変えて凍りついている。
キャロラインが青ざめるのも無理はなかった。
ケンドリック家は王家であるイースデイル家と国土を二分する大領主だが、その前当主オーウェン・ケンドリックは、半年前に王家に対して反乱を起こし、その戦闘の中で命を落としていた。
新当主ナサニエル――父が娘の夫に指名したのは、そのオーウェンの息子である。
「ナサニエル――新ケンドリック公は、この縁組を承知したのでしょうか」
重臣の一人がためらいがちに尋ねた。
クリスティアナも疑問に感じていた。ナサニエル・ケンドリックは、父親の反逆の罪にもかかわらず家督と領地を継ぐことを許されたが、王都に参じてイースデイル王家に忠誠を誓えとの命令には、反乱の際の負傷を理由に頑として抗っていた。
ケンドリック領は王国のほぼ西半分を占めているが、かつてはイースデイル領と同等の公国だった歴史もあり、領民ともども自治意識が強い。だからこそイースデイル王家も、前当主を反逆罪で裁くことはできても、ケンドリック家そのものを滅ぼすことはできなかったのだろうが、新当主ナサニエルはその立場を利用して、父の仇である王家に再び乱を起こそうとしているのではないか――そんな噂が、王城で暮らしているクリスティアナの耳にも届いていた。
「承知した」
廷臣たちの困惑をよそに、国王ジェロームは平然と答えた。
「反逆者の嫡男であるにもかかわらず領地を継がせてやったばかりか、王女を娶らせてやるのだ。これ以後は娘婿としてもイースデイル家に仕えてもらう」
「キャロライン王女がお輿入れになれば、ケンドリック家には王家の血が入り、子孫は王位継承権を有することになります。それはケンドリック家にとって名誉なことでしょうが、後代まで禍根を残すことになりはしませんか」
「そうならないよう、娘が女主人としてしっかりと務めを果たせば良い」
父に視線を向けられ、キャロラインの身がびくりと震えた。普段より地味な装いでいるせいもあってか、全身が小さく縮こまって見える。顔はまだ青ざめたままで、言葉を発することもできない。
「ナサニエル・ケンドリックは今年で十九、娘と年もあう。夫に仕え、婚家と王家のために尽くすよう、キャロラインには王妃がよく言い含めてくれる」
「陛下、そのことですけれど」
甲高い女性の声が広間に響き渡り、クリスティアナは思わず身をすくめた。
それまで沈黙を守っていた王妃イザドラが、この場ではじめて口を開き、隣にいる夫に話しかけたのだった。
「お忘れではないでしょう。陛下には娘が二人おありだということを」
イザドラはゆっくりと顔を動かし、細めた目をクリスティアナに向けた。
顔だちはキャロラインによく似た、鋭利な印象の美貌だが、瞳の動かし方がどこか蛇のようで、クリスティアナは義母に見られるたびに恐怖を覚える。
イザドラの言葉が号令のように働き、広間にいるほとんど全員がクリスティアナに視線を向けた。国王ジェロームのもう一人の娘に。
「王の娘を妻にする名誉であれば、この娘でも充分ケンドリックに与えることができます。この娘のほうが年長で、婿君と年も近い」
口もとに薄い笑みを浮かべたまま、イザドラは夫とクリスティアナの間で瞳だけを左右に動かした。
「ご覧なさいませ、陛下のご息女のお美しいこと。ケンドリックの嫡男もきっとこの娘に夢中になって、王家に楯つく気など失せてしまうことでしょう」
広間中から寄せられる視線に耐えかね、クリスティアナは身を隠したくなった。イザドラがなぜ今日に限ってクリスティアナを着飾らせたのか、ようやく理解した。
イザドラは隣国の王家の出身だが、娘のキャロラインも異国に嫁がせて王妃にしたいと以前から望んでいた。王家ではなく国内の領主、それも反逆の可能性のある家に娘をやるなど、断じて許しがたいことなのに違いない。
「――ケンドリック家に庶出の娘を嫁がせるわけにはいかない」
国王ジェロームは顔色ひとつ変えず、妻の突然の提案を退けた。
「この婚姻の目的は、ケンドリック家に名誉を与えることだ。嫡出の王女でなければ意味を成さない」
「庶子であっても、臣下にとっては陛下の娘であることに変わりはないはず。マスグレイヴ旧王家の時代には、庶出の子孫が王位を継いだこともあったというではありませんか」
木板を叩く大きな音が響き、王妃はもちろん、国王に近い席にいた者が本能的にのけぞった。クリスティアナも離れた席で身を震わせた。
国王ジェロームは常に冷静で、怒りをあらわにすることは稀なのだが、いったんこうなると誰の取りなしも寄せつけない。
「キャロラインを嫁がせる」
「あ……あなたは、自分の娘が愛しくないのですか!」
イザドラは夫の怒りに怯んでいたように見えたが、自分を奮い立たせるようにして言葉を繋いだ。
「ナサニエル・ケンドリックが父親のことで王家を恨んでいるのは明白です。そうでなければ、上洛せよとの命に頑なに背く理由があるでしょうか。そんな男にキャロラインを嫁がせればどうなるか――ケンドリックが再び反逆を企てたとしたら、わたくしの娘は恰好の人質ではありませんか!」
「そうならないよう、夫の手綱を握って王家に従わせるのが娘の役目だ」
「ですから、その役目はあの淫売の娘に負わせればよろしいでしょう。殿方を誑かして意のままに操るのは母譲りのお家芸でしょうから!」
ジェロームがとうとう椅子を蹴り、食卓に背を向けた。
王妃の剣幕に気圧されていた人々が、その物音に驚いて我に返る。
「陛下――お待ちになって!」
イザドラも裾を翻し、悲痛な声を上げて夫の後を追う。
国王夫妻のどちらも、食卓に残される者たちのことを気に留めてもいないようだった。話の核心だったキャロラインはまだ青白い顔をして立ちつくし、そのかたわらでは二人の弟たちがきょとんとしている。
クリスティアナは父と義母の背中を見つめていたが、その時ジェロームが不意に振り向き、一瞬だけ視線があった。愛情も憐憫も感じられない目が向けられるや否や、すぐに背かれて見えなくなった。