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1.姉妹

 ばさり、と大きな生地が覆い被さってきて、クリスティアナの視界を塞いだ。


「――後はやっておいて!」


 冷たい声と同時に、遠ざかっていく小走りの足音が聞こえる。王女さま、と声を上げながら侍女たちが立ち去る気配も続く。

 被せられた布をどけてクリスティアナが顔を出した時、部屋の中には自分しかなかった。


「痛っ……」


 指先に鋭い痛みを感じて、クリスティアナは顔をしかめる。やりかけの縫い物を投げられた時に針は当たらなかったが、被さっているのを取り払おうとした際に触れてしまったらしい。

 生地が汚れないように、痛まないほうの手でそれを脇にやり、怪我をした指先を見つめる。右手中指の先の柔らかい部分に、ぷくりと赤い玉が浮き上がっていた。


 ――また、嫌がられてしまった。


 王城の一室で、クリスティアナは先ほどまで、一つ年下の妹キャロラインと縫い物をしていた。

 衣服を仕立てるのは王家であっても女の仕事である。クリスティアナもキャロラインも、普段着から夜会の衣装まで、自分の着るものは自分で縫うように育てられた。姉が十六、妹が十五になった今は、姉妹だけで針を手にするのが習慣となっている。


 キャロラインの針の進みが滞っていたことに、クリスティアナは気がついていた。手を貸すつもりで声をかけたが、キャロラインは針がついたままの生地を投げ出し、叩きつけるようにクリスティアナに押しつけたのだった。


 クリスティアナとキャロラインは同腹の姉妹ではない。キャロラインは国王夫妻の長子にして嫡子だが、クリスティアナの母は一介の女官に過ぎず、しかもクリスティアナを産んですぐに世を去っていた。

 王の命で王城に身を置き、王妃を義母と呼び、妹と同じように育てられはしたが、クリスティアナは自分が王家の一員だと感じたことはない。

 キャロラインの母である王妃イザドラは、表向きはクリスティアナを娘として扱うが、本心では自分のことを疎ましく思っていることに、クリスティアナはごく幼いころから気づいていた。あからさまに虐げられることこそ少ないが、それは日常の端々に些細なかたちで表れている。


 子どものころ、キャロラインは両親にねだって三匹の仔犬を飼っていたが、クリスティアナは何も飼わせてもらえなかった。

 果物や菓子を分けあう時、キャロラインはもっとも甘くて大きな部分をもらえるが、クリスティアナは余りものしかもらえず、量が乏しい時はそれすら回ってこない。

 国王夫妻が視察や外交のために遠出する時は、クリスティアナだけが同行を許されず、王城に置き去りにされる。


 いま手もとにある縫いかけの衣装もそうだ。キャロラインのものには真新しい上質の織物が使われているが、クリスティアナは王妃の女官が着古したものを手直しして着るように言われている。


 義母のこうした仕打ちには慣れている。余りものの菓子でも、着古した衣装でも、与えられるだけで感謝こそすれ、不満には思っていない。

 ただ、血の繋がった妹や弟たちとは――特に、同性で年齢も近い妹のキャロラインとは、もう少し打ち解けられないものかと未だに思ってしまう。

 姉妹で過ごす時間は決して少なくないが、自分といる時のキャロラインはいつも不機嫌で、話しかけても素っ気ない言葉しか返ってこない。時々あからさまに舌打ちやため息を響かせ、先ほどのように物に当たることさえある。

 父の庶子を受け入れなければならなかった母親に同情しているのか、身分の低い女から生まれた自分を姉と呼ばなければならないことが気に障るのか。


 クリスティアナは近くにあった端切れで指の血を吸い取り、キャロラインが投げ捨てていった衣装を膝の上に広げた。キャロラインは針仕事があまり得意ではないので、縫い目が曲がっていたりそろっていなかったりする部分がある。

 これを見事に仕上げてやれば、妹は少しは喜んでくれるだろうか。


「――クリスティアナさま」


 ひたすらに針を動かし、ほとんど縫い終えたころに、声がかかった。

 顔を上げると、背の高い中年の女性が目の前にそびえ立っていた。

 クリスティアナは無意識に身をすくませた。王妃の筆頭女官であるジリアンがいるということは、王妃イザドラがここにやって来たのだろうか。


「お衣装は仕上がりましたか」


 しかし、部屋にいるのはジリアン一人だった。

 窓から差し込む陽の角度が変わり、室内がやや薄暗くなっている。


「あ……わたしのはもうできているわ。キャロラインのものも、あと少し」

「いま縫っていらっしゃるのがそうですね」


 返事を期待していない声でジリアンが言った。

 義母の腹心であるこの女官が、クリスティアナはどうにも苦手である。冷静沈着で、あまり感情を表に出さない女だが、主人に倣って自分を蔑み疎んじているように思う。


「今日の晩餐ではクリスティアナさまがそれをお召しになるようにと、王妃さまから仰せつかっております」

「……え?」


 クリスティアナは思わず、手もとにある光沢のある空色の生地と、かたわらに掛けた流行遅れの橙色の衣装を見比べた。


「でも、あの、これはキャロラインが」

「キャロライン王女はお手持ちのものをお召しになります。一番新しいお衣装をクリスティアナさまにと、王妃陛下の強いご要望でございます」

「それは……どうして?」

「仕立てが間に合わないようでしたらお手伝いいたします。それから、着つけと髪結いも今日はわたしにお任せいただきます。必ず王妃陛下の仰せの通りになさいますように」


 ジリアンはクリスティアナの問いに答えなかった。淡々と主人の意向を伝え、疑問や異議を一切受け入れない。


 キャロラインのために生地から選ばせた新しい衣装を、王妃がクリスティアナに着せようとしている。

 わけがわからなかった。この美しい衣装に何かの罠でも仕掛けられているのだろうか。それは自分の思い違いで、王妃は気まぐれの慈愛をクリスティアナに与えようとしているに過ぎないのだろうか。

 クリスティアナとキャロラインは背丈がほぼ同じなので、着られないことはないだろう。どちらも髪は金色、瞳の色は青という点でも、二人は同じものが似合うと言える。

 ――それにしても。


 ジリアンはクリスティアナの疑問に答えるつもりも、部屋から出ていくつもりもないようだった。石のような目線に見下ろされながら、クリスティアナは休みなく針を動かし、妹のものになるはずだった衣装を最後まで縫い上げた。

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