自己紹介は基本中の基本にゃ! 【ダイエット前夜祭】
「ファウストは人間の死んだ先にある冥界という所で暮らしていた、人間界ではアヌビスみたいな存在にゃ。にゃん? それはエジプト神話で犬じゃないかとにゃ? 細かいことはどうでも良いのにゃ。そして、死神猫の数は星の数よりも多いにゃ。数えたことにゃいけどにゃ。ファウストは黒猫だけど、中には真っ白な奴。ぶち、茶トラにゃど、様々な姿をして世界中の……タカシ――そう、お前のようなおバカな理由で死のうとする奴を止めに来たのにゃ。閻魔様の命令にゃ」
ひとしきり言い終えると、「ふぅっ」とひと息つくファウスト。「おバカ」と言われて、ムッとするタカシ。チカは、彼が自殺しようとしていたのを知って動揺していた。まさか自分の平手打ちと別れの言葉がタカシを死にたくなるまで傷付けていたなんて……と。
「ごめんね、ター君。私が悪かったわ」
「いやいや、いいんだよ。もとはといえば俺が余計なこと言ったから」
「ううん、必ずダイエットして見せる! だから最後にタピオカ飲みにいこうよ。もちろんLサイズね」
「無視するにゃー!」
まるでレッサーパンダが威嚇するかのように、両手を挙げて存在感を出そうと試みるファウストだったが、【タカチカ】の周囲には、近寄りがたいピンクのオーラが見える。お手てとお手てを繋いで、見つめ合う2人。ファウストは大きなため息をついた。
(ちゃんと、自己紹介したにゃん……)
とても詰まらなそうに尻尾をビタンビタンとフローリングに叩きつける。痺れを切らしたファウストは、タカシの足元に近寄って、そのフサフサな尻尾をこれでもかというほどモフモフと当てつけた。くすぐったそうに死神猫のことを見るタカシ。
「ちゃんと自己紹介したにゃん。次はタカシ。お前の番にゃ」
ご機嫌斜めのファウストは、金と銀の目を少しギロリとさせて、「早く言うにゃ」と催促した。
「ああ、そうだなぁ……えっと、俺は斎藤タカシ。22歳。身長187㎝。体重73㎏。好物は牛肉。チカの彼氏で未来の夫だ。今は高卒で派遣してる。いろいろやってきたけど、一番やりがいがあったのは、介護かな。面白い話がいっぱいあるんだ。例えば、夜中に徘徊する人が歌ってる曲が今時風のロックだったりとかさ。それ聞いて、みんな起きてくるんだ。面白いだろ?」
「ふーん」
「なんだよ」
正直なところ、タカシの仕事事情などどうでもいい。だが謎は1つ解けた。彼の最後の晩餐が牛肉だらけだったことだ。タカシは好物をたらふくビールで流し込んでその勢いで死ぬつもりだったのだ。ああおバカ。ファウストはそう思った。
「次は私ね。私は、小野村チカ。19歳。身長152㎝。体重は……見かけよりも軽いのよ? 好物はサクサクした甘じょっぱい物ね。例えば、チーズハットクとかね。でも流行りの物は何でも好きよ。今は大学で国文学について勉強してるわ。まぁ、国語の先生になるとかいう目標はないけど。毎日友達と遊んだりして楽しいわ。サークルには入ってない。だってそれじゃあ、ター君と一緒に居られないじゃない?」
「チカ……!」
「ター君ー♪」
ぎゅうぅっと抱き合う【タカチカ】を見てげんなりするファウストは、目を細めて天井の方へと頭を上げる。
(タカシ……手がまわって無いにゃー)
見ていられない。このバカップル。気を抜けば勝手に、彼らの世界に入っていく。閻魔の命令とはいえ、こんなくだらないおバカたちのために、どうして自分が出動しなくてはならないのだと思った。
そして、他の死神猫たちも同じような思いをしているのだろうかと、勘繰ってみたりもした。もしかしたら、地雷を踏んでいるのは、ファウストだけかもしれない。
「じゃあ、自己紹介も済んだし、ちゃちゃっと部屋を片付けて、寿司でも食うか!」
「あら、良いわねー」
あんぐり。
開いた口が塞がらない。
タカシは出前のチラシを持ち出してメモを取っている。チカの注文が異常に多い。彼女曰く、「サーモンはさっぱりした油で体に良いからカロリーゼロ」らしい。イカやタコも沢山噛むから虫歯になりにくいのだそうだ。
(ダイエットになってないのにゃ……)
「ファウストー、お前も何か食うか?」
特別何か食べなくても空腹や死ぬことも感じない死神猫。しかしチラシを見せられると、色とりどりの海鮮が並んでいて――綺麗だった。特に、ひときわ輝いて見えたのは、
「イクラ……?」
「あら、高いの頼むのねー、てっきりマグロかと思ってたわ」
「よし、イクラだな。シャリが食えなかったら俺が食ってやるぞぉ」
「にゃ?」
よく分からないが、イクラが食べられるらしい。所詮人間界の食べ物だ。知れているだろう。そう思いつつも、どこかそわそわした。あんな宝石みたいな赤いつぶつぶが食べ物だなんて。一体どんな味なのであろうか。
考えているうちに部屋の掃除が終わり、宅配が来た。
(便利にゃ)
買いに行かなくても、お金があれば知らない人が食べ物を届けに来る。面白いとまじまじやり取りを見ていた。自然と弾む尻尾。
「よーし、今日は仲直りとダイエット前夜祭だぁ!」
「イエーイ♪」
次々パックが開かれていく。それにしても、量が多い。全部食べられるのであろうか。椅子に座って、すでに食べ始めているチカ。「いただきます」を食べながら言う人の部類だ。行儀が悪い。タカシは、ファウスト用の小皿を棚から取り出し、イクラの軍艦巻きを二つ並べた。
置かれたイクラは、あまりにも綺麗で……、
(ベテルギウスみたいにゃー)
ファウストの心を鷲掴みした。冥界の者が見てきたモノは、見苦しいのが多い。どうにか天国に逝くために、閻魔の前で嘘をついたり逃げようのない道を逃げようともがいたり……。
それに比べてイクラ。なんと美しく、一粒一粒の個性が出ていて素晴らしいのであろう。山のように盛られたその存在は、ファウストにとって、キラキラ赤く輝く星に見えたのである。
――ぺろりっ
器用に舌でイクラを舐めとる。幾つか零れたが、プチッとした食感に驚いたファウスト。その次に塩味。そして残る磯の香。
「美味しいにゃあー!?」
「そうだろそうだろ」
ファウストの恍惚とした表情を見て、笑顔になるタカシ。
「これだけ奮発したんだから、頼むぞ」
「任せろにゃんッ!」
若干興奮気味でガツガツイクラを食べるファウストであった。婚約指輪を取り戻すことと、それを売った泥棒を懲らしめること。死神猫にとっては、朝飯前だ。
しかし今は、このことは忘れて、心ゆくまで食べようじゃないか! イクラという地上の星を。ベテルギウスを‼
▼ファウストからの一言▼
死神猫は普通の猫とは違って、【酢やチョコレート、ネギ系】なども食べられるにゃん。決して飼い猫に与えちゃダメだからにゃ!ファウストとのお約束にゃー!