冥界の遣いにも礼儀ありにゃ!
男女2人の警察官がタカシのアパートに来た。現場検証をするために。【タカチカ】は、警察官に事情を話して盗難届に被害日時や場所を記し、その場で提出していた。一部始終を見ていたファウスト。
(たった1人の罪人を見つけるのに人間は何人も出動するのにゃー)
目当ての人間を探すのは、死神猫にとっては朝飯前のこと。もちろん盗まれた婚約指輪もどこへ行ってしまったかぐらいはすぐにわかる。泥棒の内情も。
ただ、わかったところで人間の法では裁けない。善か悪か決める者は裁判官。閻魔ではない。本来なら冥界の遣いであるファウストの出る幕は無いのだ。
「あとはこちらに任せてください」
2人の警察官が、揃って礼をして帰っていく。暇だったファウストは、フローリングにふわふわと尻尾を滑らせながら、片方の女性の内情を金の右目で盗み見た。
どうやら警察としての仕事よりも、今は自分の子どもの面倒を見たいらしい。小学6年生の母。中学受験を控えている。上司には怒られてばかりの日々。銀の目を光らせてみる。
彼女の死にたい度は……37%だった。
(何だかにゃあー)
タカシのように、くだらない理由で死のうと考える者もいれば、名もなき警察官のように、役職と母という肩書のもとで毎日を必死に生きている者もいる。人間は、何がキッカケで死のうと思う気持ちが抑えられなくなるのだろう。ファウストにはそれが分からなかった。
ましてやタカシのような恋愛などの話。星の数ほどいる人と人との交流の一つにしか過ぎないではないか。駄目だったなら、次にいけ、次に。死神猫はそう思っていた。
もう片方の男性警察官については、調べる前に去って行ってしまった。
「ふぅ、戻ってくると良いなぁ。婚約指輪」
「ねぇ、ター君。婚約指輪。私のために用意していてくれたの?」
「あっ! バレちゃったなぁ」
ここからはノロケである。非常に詰まらない。こんなもの、猫でも食わない話だ。
(退散、退散にゃー)
その場からゆっくり逃げようとするファウストの尻尾をガシッと掴んできたのは、ぷにぷにお手てのチカだった。その握力たるや……魑魅魍魎の類だ。
「ねぇ、死神猫」
「にゃ、にゃんですか?」
ビクビクしながら応えるファウスト。チカは満面の笑みで、「早く犯人見つけてよ」と冷静な声で言った。金の右目で内情を探ろうとするも、目つぶしのような脅しを受けるファウスト。
「ま、待って待ってにゃ」
「出来るんでしょ。私とター君の、愛の証を探しなさい」
半ば怖がりながら見てみぬふりをするタカシ。酷い。命を救ってやった恩猫であるのに、この仕打ちとは! ファウストが足をジタバタさせて抜け出そうとするが、毛を毟り取られる勢いで尻尾を引っ張ってくる。
「いたいいたい、わ、わかったにゃ! 今すぐ探すにゃッ!」
「お願いね」
解放される尻尾。血が通ったような心地だった。
(タカシは、こんな妖怪のどこが好きで付き合ってるにゃあ)
ぽちゃぽちゃで、良い所は整った顔ぐらい。茶色い瞳で肩まで伸びた黒髪。なぜか体系は、ぽっちゃりだが、顔はシュッとしていた。結局の所、顔の良し悪しで選んだのだろう。人間なんてそんなものだ。でなければ、こんな暴力的で太っている女性と付き合いたいと思わない。
(早く終わらせて次へ行くにゃ)
ファウストは一刻も早く【タカチカ】から離れたかった。頼りなく衝動的に死にたがるタカシと、この愛くるしい死神猫にも容赦しない暴力ぽっちゃり女。いわゆる地雷カップルである。
【タカチカ】は、喧嘩のことも忘れて、呑気に今日のことを話し合っていた。そもそも、このカップルの何が悪いかというと……、
「ター君。あそこのパスタ、マジで美味しかったよね」
「うんうん。食べてる君が魅力的だったよ」
「もー、ター君ったら♪」
食わせたがりな彼氏と、そんな自分を可愛いと思っている彼女だ。確かにチカの顔は可愛いの部類である。しかし、金の右目でこっそり、【タカチカ】両方の内情を探ると、彼女が太っているという自覚は2人の共通認識としてあるらしい。もし本人に堂々と「デブ」なんて言ったとしたら……。
ファウストは、尻尾を丸めて怯えていた。
「それじゃあ、探すにゃ」
「頼むよ。大事な俺たちの愛の証。必ず探し出してくれよな」
タカシが神様に頼み込むように手を合わせた。
(ファウストは死神猫にゃ……)
どんな奴であれ、交わした約束は守る。それが死神猫ファウストのモットーだ。自己紹介もまだだが、とりあえず婚約指輪の在りかを探すことにした。
(……む、にゃんだこれ)
スマホが見える。あらゆる角度で撮影される婚約指輪。結婚式のような高級感のある赤色の敷物の上に、蓋の開いた青いケースに入ってる、小さなダイアモンドの指輪。心なしか輪っかのサイズが大きい。ポッと送信ボタンを押す犯人の指。
ファウストが見たまんまを、【タカチカ】へと話すと、
「それ【ウルカイ】だわ!」
そう言ってスマホを取り出すチカ。中古品を売り買い出来るアプリ。その名も【ウルカイ】。因みにアイコンは、緑の背景にトナカイのシルエットをしている。要するに、売られたのだ。2人の愛の証は。
「もういいかにゃ? ファウストは忙しいのにゃ」
尻尾をピーンと立てて伸びをした。さて、不本意だが、新たなおバカたちを救いに行こう――そう思った時だった。
「逃がさないぞ」
迫りくるチカの声。恐る恐る振り返ると、ファウストの全身をむんずと掴んで離さない。何が目的かが分からなかったファウストは、更なる恐怖を感じた。
「ま、まだ何かあるのにゃ?」
怯えるファウスト。ギュウッと死神猫を抱きかかえながら、真顔で応えるチカ。目元に影が出来ている。怖い。
「分かってないわね。懲らしめるのよ。私とター君の愛の証を売り飛ばした泥棒を地獄に落とすの。そもそもアンタ、死神猫って名前でしょ。死神なら、人の1人や2人ぐらい地獄に落として見なさいよ」
「もうなんか滅茶苦茶にゃあッ!」
ジタバタするファウストを、太い二の腕で大蛇のように締め付けるチカ。タカシはというと、やはり見て見ぬふり。情けない限りである。
「そもそも初対面で失礼にゃ! まず自己紹介するにゃ!」
それもそうだ。
チカは、しっかりとファウストを抱きながら頷いた。まず自己紹介から始めよう。冥界の遣いにも礼儀あり。また、人間界にも礼儀はあるのだ。
「じゃあ、ファウスト。先にお前のことを教えてくれよ」
タカシが尋ねる。
どうしてやってきたのか。そして、死神猫の役目とは何なのか。ここで初めて、人に話すことになる。コホンと咳ばらいをして、金と銀のオッドアイを輝かせながら、その神秘的な黒い毛並みで流暢に語り始めた。