最後の晩餐とかおバカかにゃん?
スーパーの半額シールが貼られた薄いローストビーフのパックが7パック。よく分からないが高そうな焼き肉用の国産牛が沢山。とっても合いそうな缶ビール5本。それを味わうでもなくガツガツ食べて飲んでいる斎藤タカシという男。ファウストの存在に気づいていないようだ。
金の右目が情報を探る。
彼は親元を離れて一人暮らしをしているようだ。両親からは、「ちょっとでもしっかりするように」と、仕送りもされていない。つまりは、全部自腹で高級な食べ物を購入していたのである。
――しかし、告白に失敗したというくだらない理由とはいえ、死にたいと思っている男が、どうしてこんなに豪華な食事をしているのだろうか。
(おいしそうにゃー)
ファウストはそう思いながら、しばらく様子を伺っていた。タカシは最高に美味しそうな食べ物を、吐きそうになる寸前まで食べきった。「ぷはーッ!」っと顔を真っ赤にして、手に持った缶ビールをテーブルに強く叩きつけた。跳ねる飛沫。
「ちくしょー! 俺のバカヤローッ!」
タカシの酒焼けした情けない声が聴こえる。散らかったテーブルを掃除することもなく、タカシは天井に括った、頼りなさそうな自殺用の縄とみられる物に手を当てて、滝のような涙を流した。台に上って、輪っかに首をはめる。
「くそぅ、死んでやるー!」
勢いよく台を蹴っ飛ばすタカシ。普通なら首が締まるはずだが、緩かったのか簡単に縄が解けて、尻餅をついた。酔っていることもあって、状況を理解するまでに時間がかかったようだ。彼の視界に毛づくろいをしているファウストが映る。
「このマヌケー」
「ふぇ、猫ぉ?」
よろよろとファウストに近づくタカシ。金と銀のオッドアイの黒猫。幻覚でも見ているのだろうか。そう思った彼は、実際に触ってみることにした。ふにふにと顔を弄ったり、尻尾をふさぁっと撫で上げたり……。
「馴れ馴れしいにゃ」
モフモフ。ぱちくりお目目が怒った。
「はははは。酔いもまわれば猫も喋るってか。なぁ、黒猫さん。俺の話聞いてくれよー」
「ファウストにゃ」
「それって名前? まぁいいや。俺彼女に振られてさー」
ファウストの頭を少し強引に撫でながら、再び思い出したように泣き声を上げるタカシ。彼がこれから話すことは全て金の右目がお見通しだ。死神猫が知りたいのは、彼の本心。
(コイツ。本当に死にたいのかにゃー?)
そこで、銀の左目の登場である。対象者の死にたい度を数値化してくれる優れものだ。これは、ファウストのような死神猫にしか視ることが出来ない。
「ん、どうしたんだ? そんなに見つめて」
死にたい度を測っているファウストに語りかけるタカシ。
(死にたい度……0.3%)
「おーい」
もしあの時、自殺に成功していたとしたら、とんでもなく、くだらない数値だ。衝動的に人が起こすことは死神猫には理解が出来ない。たかが1人の人間に振られたぐらいで死のうと思うのか。
「馬鹿にゃー」
呆れたように、ファウストがタカシに言う。
「なんだとー。俺の何がわかるって言うんだよぉ……うっぷ!」
「にゃっ!?」
急に立ち上がり地鶏足で、御手洗いへと向かうタカシ。食べ過ぎで、胃が苦しくなったのだろう。勿体ない話だ。高価な物を食べて吐くなど。しかも本人の死にたい度は極めて低い。
このような馬鹿者があっちの世界へ逝ったら閻魔の手間が増えるだけだ。冥界では、間接的に動物を殺した罪も、食らった罪も裁かなくてはならない。そのうえで、死人を天国逝きか地獄逝きか決めるのだ。閻魔の仕事というのは、ただ尺を持っているだけではないのである。
「あぁー気持ち悪い」
青ざめた顔でタカシがフラフラと帰ってきた。ファウストは手っ取り早く問題を解決させる方法があることを教える。それは、彼の彼女だった、小野村チカの所在について教えると言ったものだ。多分、謝ったら解決するだろう。そうファウストは思ったのだ。
「何だって!? 俺は酔って、頭まで可笑しくなったのか」
コツンコツン、と自分の頭を小突くタカシ。その間に、金の右目でチカの居場所を探るファウスト。彼女は、タカシの住むアパートから近くの公園で1人泣いていた。コンビニで買った肉まんをぽちゃぽちゃした指で掴み、頬張りながら。
(だから太るのにゃ)
ファウストがチカの居場所を伝えると、タカシは上着を着て、鍵をかけることも忘れて駆け出した。その様子を見て、この問題は解決した。そう思ったファウストだったが――
「へっへっへ、金目のモノはねぇかー」
包丁を持った泥棒がタカシの家に侵入してきたのである。このまま2人が戻ってきたら、どうなるか。そう、冥界に逝く者が増える。本末転倒だ。
(ホント馬鹿にゃー)
とりあえず、泥棒には出て行ってもらおう。ファウストは、部屋をあさる得体のしれない男に語り掛けた。猫語で。
「おっ、珍しい猫じゃねぇか!」
男はファウストを強引に抱きかかえると、品定めをするかのように見つめた。毛並み。目の艶など、色々調べられて心底気持ち悪いと思った。
(死神猫をナメるにゃー)
ファウストは普通の黒猫ではない。死神猫。冥界の遣いだ。口から青白い炎くらいは吐ける。ビックリした男は、その場から逃げていった。
「ひえぇー、化け猫だぁ!」
そう叫んで。
入れ違いでタカシとチカ。【タカチカ】が戻ってくる。
「うわっ! 鍵かけ忘れた!」
「ええっ、部屋荒らされてるよ!?」
2人に寄っていくファウスト。【タカチカ】は、警察に連絡した後、現場の証拠写真をスマホで撮っていた。そして、タカシは大切なことに気づくのだ。
「婚約指輪が無い!」
「え、婚約……!?」
きっとさっきの泥棒が持っていったのであろう。しかしそんなことはどうでもいい。【タカチカ】の仲は戻ったのだ。もうファウストの任務は完了したのだ。
「なぁ黒猫! 無くなった婚約指輪を探してくれ~」
(にゃにーッ!?)
その場ですってんころりと転ぶファウスト。
「もう仲直りしたにゃー」
「あー死にたいなぁー。猛烈に死にたいなぁー」
わざとらしく頭を抱えるタカシ。初めての任務に、どうしてこんなくだらない事をしているのだろう。考えてみればくだらない理由で死にたがる人間を食い止めるのが役目。
「どうしようかにゃー」
「喋る猫ってすごーい! ター君この猫に芸でも仕込んだの?」
「ファウストは、死神猫にゃ!」
チカが丸っこい手でファウストのあごの下をちょちょいと撫でる。脂肪のぷにぷに感。癖になるほど心地が良い。もしかしてタカシが言った、「ぽっちゃり」には底知れぬ魅力があるのでは? そう思うファウストであった。
「仕方ないにゃー」
ぷにぷにお手てのお返しだ。ファウストは、【タカチカ】のために、泥棒が持っていった婚約指輪を探すことにした。