蝶の羽根を持った虎
今日も僕は夢から覚めた。長くて多い、素敵な夢。キラキラとしていて、それでいてフワフワな心地が頭の中に余韻している。その余韻から、少しでも確かな筋を手繰り寄せるために、僕は集中しようと深呼吸する。
けれど、記憶の海に潜り込んでも、見つかったのはブツ切りの印象だけ。形ある物語はおろか、その切れ端さえ思い出せなかった。
次の呼吸は溜め息になった。目線を横にやると、朝の空を切り取った窓に、雲が美しく並び広がっている。
叢雲だ。
あの美しさは、雲が綺麗に連なっているからこそ感じられる。と、僕らは思い込んでいる。よく見れば、雲の形も結構いびつで、向きが大雑把に揃っているだけのブツ切りだったりする。全体で印象を捉えるから、その歪みも含めての味となり、美しさなのだと、こうして眺めていると実感する。
ま、それを言うなら雲そのものが、ただの微小な塵と水のつぶつぶか。
僕の夢の美しさも、どうやらあの叢雲と本質的に変わらなかったようだ。というか、この部屋の窓は、空と同じ波長の光を出しているだけの壁面はめ込み型LEDなので、二重に意味が被っていた。
つまり、どちらも巧妙にデザインされただけのハリボテに過ぎないってこと。
さて、そろそろ徒労めいた述懐を止めて、本能の上から教育によって後付けされた習慣に従うとしよう。
僕は先に顔を洗い、それから柔軟体操を始めた。
長時間の横臥で硬く縮んでいた体が、深呼吸で取り入れていた酸素を乗せて、勢いよく血流をポンピングする。気怠げに淀んでいた、意識の濁りが洗い流されていくのを感じる。
全身を包む寝間着の内側で、ドッ、ドッ、ドッ、と脈打つ鼓動が、心臓の存在をクリアに主張していた。
ノン・アラート。ここまでの十数分間、何も部屋の管理機構は訴えを出してこなかった。
我が身の健康状態に異常なし、だ。さすがは育ち盛りな10歳児の肉体である。頼もしいね。
「良い朝」
「良い朝」
廊下を通って洗面所から居間に出ると、父がいた。
既に起きていて、居間で柔軟をしている。動きながら挨拶するものだから、挨拶のリズムが軽く弾んでいた。この朝の挨拶、昔はおはようだったらしい。
変なの。
僕が物心つくまでの間に上書きされてしまった、その頃の世界観を想像すると、胸とお腹の間あたりでもやもやした違和感が出てきた。
仕方ないので、今との違いをヒラいてみる。
おはようございます。早くから働いてますね、という労いの言葉なのか。
ふうん。
労働の概念が何層かに分かれている現代では、どうにもしっくりこない感性に基づいているなあと、僕なんかは捉えてしまった。
だって、起きている間しか働いてないなんて、そんな怠け者ってある?
「良い朝ね」
「良い朝ー」
母だ。自室からあくび混じりで出てきて、居間と廊下の境目で突っ立っている僕に引っかかり、後ろで立ち止まった。
家族が立てていた毎朝のルーティンの物音につられて起きてきたのだろう彼女にも、現代基準の挨拶を返してから、僕は押し出されるようにして台所にそのまま直行した。
起きてからする、一番目の仕事に取り掛かる。朝食作りだ。
子供の体に許されている労働は少ないので、僕は張り切って挑む。
並んで響く、夫婦の仲睦まじい体操の音をBGMに、冷蔵庫から食材たちを引き出していく。
さあ、こいつらを、どんな料理にしてやろうか。
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その日は車に乗って図書館へと出かけた。好奇心のままに、知識という名の系統樹の枝葉を育て、幹を太くする作業に取り組むためだ。自宅とは異なる環境が、良い刺激となって僕を育ててくれる。
合間、合間で外に出て、みんなに混じって体を動かした。時には椅子で呼吸を整えながら、互いの見識を広げあい、生身での貴重な交流を深めた。関心の先も、根っこも、それぞれに違っているからこそ、生でそれらを触れ合わせるのが心地よい。
「このところの施策は随分良いね」
「いやあ、相変わらず意図が良く分からないよ」
「けど、数字に結果が出ている。ほら、ここ」
「その項目はヒラいてなかったな。なるほど……」
「いい着眼点! どうやってたどり着いたの?」
「最近夢で見てね」
「どの星で見たの? 教えて……ありがとう!」
「どういたしまして」
公共施設は設備が整っているから話が早い。ちょこちょことリアルタイムで寝る人なんかもいて、コミュニケーションがとても手軽だ。
輪に混じっていた40代の人が、交わされたやりとりに目を細めながらつぶやく。
「こうしている間も自分が働いているなんて、なんだか奇妙な気分だ。たまに、それこそ夢なんじゃないかって思う瞬間があるよ」
「蝶のこと?」
僕の隣にいた女の子が、携行用ボトルの細太い吸口から唇を外して訊ねた。
すると、訊ねられた側は、散歩の途中で思いも掛けない景色に行き当たったみたいに目をゆっくりと見開いていき、それから目つきを穏やかなものへと変えていった。
「そうだね。僕は、きっと蝶なんだ。昔は虎に成り果ててしまったと、そう信じ込んでいたのにね」
「羽根ある虎になれたのよ」
そうか、と、その人は深く頷き、もう一度同じくらい深く頷きこんでから、自分も飲み物に口をつけた。
近くの自販機で買い込んだのだろう、外気との温度差で表面に水滴の目立つボトルを呷り込んでから、またしても、そうかと言葉を繰り返し、その場にいるみんなの目を、ぐるりと見回してくる。
たまたま並びの最後にいた僕は、通り過ぎずに立ち止まったまなざしの中に、青い空の映り込みを見つけていた。
僕らの頭上に浮かぶのは、屈託もなくのびやかに広がっている本物の青空と叢雲だ。
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「僕のイメージしていた翼とは、随分格好が違ったな」
蝶の話をした人は、苦さ半分の笑顔でそう言い残すと、別れの挨拶を告げてから立ち去った。
なるほど、鳥の翼で想定していたんだなと、隣と納得の視線を交わしあう。話は続いていく。
胡蝶の夢という説話がある。蝶になった夢を見た、いや、夢を見ていた自分こそが蝶なのではないか?と、惑った人のお話だ。
この説話は、昔って今とはやっぱり違う物の見方をしていたのだなという意味で、よく、談義の種になっている。
僕の隣の女の子が、ボトルを親指と人差指の間に挟んだまま椅子に手をついて身を乗り出し、胡蝶の夢に対する、現在における代表的な見解を述べてくれた。
「だって、夢はただの夢でしょう?
どこまで突き詰めても、立った位置の差に過ぎない。
そんなの、どっちも自分の見ている世界でしょうに」
虎は、これは小説から出ている。自尊心ばかりが傲った李徴、虎になり、かつての友と再会する。
あの人は、現代の技術が描くようになった夢に救われて、ただの虎でいることを止めたのだろう。
僕らが暮らす2045年の世界観は、人間が年齢に関係なく学び、その知性を育てる前提で成り立っている。でも、10歳の僕にとって当たり前の日常は、40代のあの人にとっては、未だに見慣れない、どこか遠くにあったはずの非日常なのかもしれない。
そんなような取っ掛かりから、その場にたまたま居合わせたみんなで、現代を支える技術について、おさらいのように知識の確認をやった。
工学的見地。通信技術の順当な発達と、通信速度と量を活かすために、それを上回る速度で発達していった微小なセンサー群、今も着ている、その仕組み。
社会的見地。真綿を締めるように立ち現れた、何とかなるだろうと思い込まれていた地球環境問題の何ともならなさと、解決策に向き合うまでの政治的な歴史と、僕たちの立ち位置。
経済的見地。人間という有限なリソースを、いかに「良くも悪くも」の振れ幅大きいまま活かすかという問いに、実質的なベーシックインカムを噛み合わせての解法が提示された経緯。
これらが人類に与えられた翼となって、先程の人のような虎の背中に植わっていったのだ。そう、常識的な見解が、異口同音に出揃っていった。
胡蝶の夢。奇しくも、説話の中心として取り上げられた、その夢こそが、人に与えられた羽根だったのだから。
「付け加えるなら」
と、さらに後から加わってきた60代の人が補説する。
「彼や私や、その他大勢の人たちが夢見ていた虎の翼とは、2020年代以前でいうところのAIのことだったんだよ。
AGIとも、呼んでいたが」
「汎用人工知性…が、ですか?」
僕は瞬時に用語をヒラきながら合いの手を入れた。
なるほど。人間と同じくらい柔軟な思考と判断力を持ち、人間よりも遥かに多く、そして速く働ける、学習型の知性か。
そんな、人間の延長線上でしかないものが、人間の問題を解決してくれるだなんて、どうして当時の人たちは信じられたんだろう?
「そうだね。世界の問題は、世界の側からアプローチする。今はそれが常識となっている。けれど、私を含めた当時の世界中の人たちは、自分たちが作れるだなんて、本気にしてはいなかった」
「何を?」
気がつけば、太陽は傾きをその色であらわにし始めている。ほんのりと赤みがかった光を目に入れた人の、老いを隠せなくなった口元から眩しそうにポツンと吐き出された答え。
「世界」
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入浴を終えて両親との談笑も済み、さて、いよいよ時刻は本格的に寝る時間へと差し掛かってきた。自然光を模した窓型LEDも、薄墨に白銀の光点を細やかに散らした夜間モードへと移行している。
ベッド。この、部屋の中心を占め、また、部屋の中核として機能する生活必需品。
「ハイゼア」
僕はその上に立ち、PLとして呼びかけた。プライベート・ロウ、私的法則の略称だ。
淡いライムグリーンを基調とした寝間着の中につけている、下着型の端末と、ベッド型の総合センサー群、そして部屋の電子骨格とが瞬時に連動して、僕だけの視界に僕だけの世界を展開する。
起動の音声コマンドは自由に変えられるんだけど、今使った基本のものから変えている人は意外と少なく、過半数を割り込んでいる。母国語を使うと、うっかり立ち上げてしまうため、第二言語が初期設定で選ばれているからだ。それで、日本人の僕が「Hi, there.」と英語の挨拶を使ったわけだね。
発音の悪さ、雑さはご愛嬌。挨拶はするのが一番大事だもの。世界に向けてするものは、とりわけ、ね。
右掌の上に数字で表示して、今日のスコアを確認する。うん、異常なし。まだまだプロには程遠いけれど、自動で回しているにしては上出来だ。
「あまり子供のうちから寝てばかりもいられないもんな」
体が物理的に完成していないうちは、脳単体だけでなく、全身を使っての体験が大事なんだ。
これは教えられたから守っているだけでなく、僕の数少ない経験則とも一致している見解だ。
各世界観に展開していた仮想人格群との記憶同期を緩やかに試みるべく、PLの現実干渉度を高めてまどろみに入り込む。
窓型照明から夜が室内に流れ込み、ベッド以外の家具を覆い隠していく。
次に、各人格のシルエットがぼんやりとあちこちに浮かび出す。年格好も性別も様々な影たち。みんな僕に背を向けていて、さらにそれらが向き合っている先の虚空では、明るい光の渦が遠くに見える。
現実の銀河と異なり、渦は、目で捉えられるほどの速さで動いていて、移り変わる色彩のグラデーションを帯状にその軌跡でたなびかせていた。
しばらく陶然となって、視覚化された仮想情報の天体ショーを眺める。
美しい輝きだ。
輝いているから美しいんじゃない。美しいから、輝いている。
この部屋は今、僕の宇宙だ。僕の主観で美しいものだけが輝く。だからこの輝きは、僕の作った仮想人格が赴いた先で観測した、美しい何かの情景だ。
僕の宇宙のほとんどは、現実と同じで、意味を見出だせない闇で満たされているけれど、それでも味わうに足る何かがそこにはある。
光り輝く誰かがそこにいる。
────僕も、誰かにとっての星に、光になれているだろうか?
ふと、強い疼きを胸の内に感じて、そこから自問が生じた。
手を触れたそこは、まるで惑星の地殻のよう。どろどろに解けた岩石が、表には、その熱も光も晒されないまま、溜まり、内部を複雑に駆け巡っている。
スター・プレイヤー。
その仮想人格が描いた人生という名の物語は、追体験するコンテンツとしても、また同じ世界観を生きる上での隣人としても、最高に興奮する。
世界から功績を認められ、贈られた莫大な富と名声を背景に、大勢のスタッフを抱えながら演技する、世界観の看板役者だ。
僕じゃなくても憧れる、理想の生き方の一つ……。
「やめよう」
意思を現実の言葉に変えて、口から強く押し出した。
名前も知られていない有象無象たち。今の僕が蓄えている知識と可能性じゃあ、演じられる人格はそれが精一杯だと思い知っているはずだ。
読み込むことで世界観を静かに耕す、ただの優れた読み手であろう、そうしよう。
古代の神話から最新鋭の企画まで、様々な人達があらゆるメディアを通じて表現してきた架空の作品世界が、今や現代人のもっともポピュラーな勤め先であり、そこに片っ端から挑みかかっては跳ね返された経験から、僕は自分でそう結論付けたはずだ。
年齢や経験は言い訳にならない。僕より幼くてもスター・プレイヤーはいる。
でも、僕はそうじゃなかった。
そこは僕の立つ位置じゃなかったんだ。
昼間にした、虎の話を思い出す。
架空の世界でなら、虎として生きることだって出来る。その生き様が面白ければ、人から認められれば、どんなに傲っていようとも、無様で醜いと自嘲していようとも、価値はある。でも。
「バイゼア」
宇宙の闇がたちまちに溶け、どこにでもあるマンションの一室が再び姿を現した。
量子コンピュータが、人間の脳と言わず全身から人格情報を読み解いて、それを自分で複製してカスタマイズ出来るようになった、この時代には、自分の可能性に対して、積極的に育てていく努力と、活かす道を見つけるための、大量のアプローチが求められている。
10歳の僕なんかは、この生き方が当たり前と信じてやってきたけれども、そうじゃない時代も生きてきた人たちにとっては、
「自分の可能性が人の形になってモブとして生きているのを実際に見るのは、自分一人の世界で虎になることより、つらいことなのかもな……」
虎は、小説では、家族に己は死んだと告げてくれと頼み込んでいた。友に寄るなと乞うていた。
あれはきっと、せめてもの救いとして虎が孤独な世界に閉じこもるために必要な、とても切実な願いだったのだ。
けれども、詩業の大望を志してなった李徴の虎に、蝶の大羽根も生え揃っていたとしたら、彼は一体どうしただろう。
昼間の人の瞳に映り込んでいた、青空と叢雲を思い出す。
あの雲たちは、あれからどこへ流れていったのだろうか。
連載の1話目になるかは分かりませんが、のんびりと世界観を広げていこうかと思います。
話を重ねるごとに整理して、もっとすんなりと伝えられるようになれればいいな。