80.影浸す覚悟
「――――――――界到!」
無敵のモンスター『マリス』と戦うための外装、マリシャスコートの起動コードを叫ぶと、首元のマフラー……《ミッシング・フレーム》がひとりでに膨張し、ミサキの周囲で渦を巻き全身に装着される。
肌は白いボディスーツに覆われ、その上から真っ黒なベルトのような拘束具が巻き付いていき、最後に宇宙にも似た色をした兎耳フード付きのジャケットが着用された。
以前とは少し違う姿。
特に頭から直接生えていた兎耳が無くなり、代わりにジャケットが追加されている。
「前より安定してる気がする」
前回装着した時のような、全身を駆け巡る痛みも、荒れ狂う精神の揺らぎも無い。体内に鎮座している、拍動する黒核は変わらないが、かなり穏やかな状態でいられる。
少し前にフランが改良してくれると言うので《ミッシング・フレーム》を一時預けたことがあったが、ここまでに仕上げてくるとは思わなかった。
「…………心配、かけちゃったな」
だからこそ、これ以上心配させないようにもっともっと強くならなければ、
遠くにその巨体を構えている火山竜のマリスを見据えると、視線がぶつかった。ミサキを『沢山いる獲物のうちの一匹』ではなく、明確な敵として認識したようだった。
「ゴォアッ!」
マリスは大きく開いた口から赤黒い火炎弾を発射する。
草原の地面と平行に、ミサキへと一直線。
しかしミサキはそんな攻撃を鼻で笑うと、膝を曲げることもなく、助走をするでもなく、直立した状態から空高く跳躍して回避する。
上空へと舞い上がったミサキのその足元に、真っ黒でのっぺりとした不定形の”影”が渦巻いている。
ミサキの纏う外装――マリシャスコート『シャドウスフィア』の能力は影を物体として自由自在に操ることと、それを使った無限の空中ジャンプである。
「まずは向こうのみんなを確認しないとだ!」
ミサキはくるりと体勢を変え、前傾姿勢になったかと思うと、トトトトトン! と連続で虚空を蹴り、前方へ向かって爆発的に跳躍した。
空中ジャンプとはつまり空中を蹴るということ。その力を上手く使えば擬似的な飛行も可能になる。
砲弾のように射出され、一瞬で加速したことで描画速度が追い付かず、黒い彗星のようになったミサキはあっという間にマリスの頭上を越え、最初にいた北側のエリアとはマリスを挟んで反対側、南側のエリアに到達する。
「よっと」
再び体勢を変え、進行方向とは反対側に虚空を蹴り減速、そのまま軽い空中ジャンプを繰り返し滞空する。遠視のスキル【スコープアイ】で上空から確認する限りマリスの近くにプレイヤーはおらず、遠くに逃げていくのが確認できた。よく見るとそれを先導しているのはフランだ。
このイベントが始まったときにはぐれ(というより見捨てられ)、会いたかった相棒の姿はなんだか懐かしく思えた。
だが呆けている場合ではない。
びりびりという空間の震え――それを感じたミサキはマリスへと向き直る。
するとマリスは背中に背負った火山の火口から、無数の熱線を発射した。数十本、ないし三桁に届きそうなほどの数の熱線がミサキを狙う。
「そういうの、わたしには効かないから!」
影を纏う脚を振るうと、扇形に影が膨張し、襲い来る熱線をまとめて薙ぎ払った。
だが――そこで気づく。熱線のうちの半分ほどはミサキには目もくれず、遠く離れたフランたちを狙っている。
「最ッ悪!」
膨張した影のサイズを戻し、再び跳躍。熱線を追い越し、逃げ惑うプレイヤーたちの前に着地すると間髪入れずに影を盾のように展開し、熱線を受け止める。
「ミサキ! 大丈夫なの!?」
着地してすぐ聞こえた声に反応して振り向くと、そこにはフランがいた。
いつものローブはあちこちぼろぼろで、ここに来るまでの戦いの激しさがうかがえる。
「いろいろあとでね! とりあえずあいつボコボコにしてくるから、このまま避難誘導よろしく!」
返答を聞く気はない。
大地を蹴り、マリスへ向かって再び跳躍する。
すると再びマリスの背負う火口が輝き、大量の熱線を吐き出した。先ほどのような強いホーミング性能は見られない、超広範囲をカバーする拡散射撃だ。
回避は難しく、仮に成功したとしても熱線は逃げ惑うプレイヤーたちを襲うだろう。さきほど熱線を防いだ扇形の影や盾でも防ぎきれない。
ならば、と脚に纏っていた影を右腕に移動させる。
「全部撃ち落とす!」
ぎゅるり、と影が渦巻く右腕を、パンチを繰り出す要領で振るう。すると濡れた腕を振って水滴を飛ばすかのように、漆黒の影の弾丸が散弾銃のごとく放たれた。
熱線の数をはるかに超える影弾は、ほぼ壁のように赤黒い熱線を襲い、空中で無数の小爆発を引き起こした。
まだマリスへは遠い。空を蹴って飛行し、入道雲を思わせる白煙を突き抜ける。
そうして視界が晴れた先では、火山竜のマリスがその両前足を高く上げていた。
振り下ろす先は大地。半径何メートルあろうかという巨大な前足が草原を叩くと――そこかしこから溶岩の柱が噴き上がった。
「あっち、あちちちちち!」
運良く直撃はしなかった。
しかし赤黒い飛沫がかかり、HPが少し削れた。当たらなかったとしてもこの熱だ。
溶岩柱はマリスの半径三キロほどの範囲にまんべんなく発生したようで、ミサキの行く手を遮っている。無視して直進すれば焼死……の前に溶けて死ぬ。
だがこんな溶岩は一気に飛び越えてしまえばいい。
そう考えたミサキは膝を曲げ、力をため、一気に跳躍し――直後、その動きが止まる。
「ぐっ…………あああああっ!」
左足に激痛。跳躍が止められたことと合わせて混乱が頭を染めるが、とっさに足元を見る。
すると原因がわかった。溶岩の柱が意志を持つ触手のように左足に巻き付いている。直にその高熱を食らい、HPゲージが減り始めているのが見えた。
(やばい、このままだと……!)
空中でもがくミサキをマリスは見逃さない。
その大口を開き、巨大な火炎弾を放つ。
逃げられない。拘束を剥がせない。そうして足掻いている間に火炎弾は接近し――直撃。大爆発を起こした。
「…………ぁ…………」
黒煙を上げるミサキは焼け付く草原にぼてりと落下した。
身体が動かない。霞む視界の端に映るHPゲージはほとんど残っているように見えず、このままでは死んでしまう。
横たわり、おぼろげな目をなんとか閉じないように保つ。閉じてしまえばその瞬間終わってしまうような気がした。
そうやっても抵抗してもなお遠のいていく意識の中で、体内で脈打つ黒い核だけが存在感を放っていた。あわよくば乗っ取ってやろうとでも考えているのだろうか。
「なんでこんなに……弱いんだ……」
誰も悪くない。
フランは最高のものを仕上げてくれた。
この《ミッシング・フレーム》は――マリシャスコートは、最高の装備だ。
だから誰が悪いのかといえば、自分の弱さが悪かった。
「フラン…………」
この倒れている自分を、フランは見ているだろうか。
どう見えているのだろうか。
『心配だったのよ』
『不安だったの。あんなことの後だったから…………』
以前のやりとりがフラッシュバックする。
いつも笑顔で、胸を張って生きることを生業としているようなあの子に、あのような沈痛な表情をさせてしまった。
きっと今も。
「……………………やだな」
ならばどうするべきか。
横たわったまま、弱い自分にもできることを考える。
このマリスの力――マリシャスコートを使って、できることは何か。
「いち、立ち上がる。に、跳ぶ。さん、ぶったおす」
簡単なことだ。
その力はこの手の中にある。
自身の中で脈打つ黒い核はこの身体を乗っ取ろうとしている。虎視眈々と侵食を続けている。完全に飲み込まれてしまえばどうなるかわからない。
「どうなるかわからない? だったら」
逆に喰らい尽くしてやればいい。




