50.ガールズ・ダブルミーツ
その日はなんだか少しだけ嫌な予感がしていた。
珍しく寝坊するし、そういう時に限って食堂のコンロの調子が悪くなるし、慌てて寮から飛び出せば雨に振られるし、学校ではやっぱりしつこい後輩に絡まれるし、帰りに黒猫が目の前を横切ったかと思えばまた通り雨に遭う。
ここまでくるとさすがに笑ってしまいそうになってしまった。
とはいえ冬の雨は痛いくらいに冷たくて、寮に帰ると真っ先にシャワーを浴びて身体を温めた。
勇み足で廊下を歩き、途中すれ違った園田にこれからVR世界に行くことを伝え、自室に入るとすぐさまベッドに飛び込んだ。仰向けに。
「アクセス!」
目を閉じて一秒後、五感が消し飛んだ。
現実でどんな不運に見舞われてもゲームの中にはきっと楽しいことが待っているはず――そんな漠然とした想いを抱いて電脳へと旅立つ。
ミサキはログインするとまずフランのアトリエへと向かう。例え用がなくとも。
犬が飼い主のもとへと戻ってくるように、帰巣本能じみた習性がミサキには宿っていた。
ただ留意しておかねばならないのが、フランのアトリエはたまり場になっている友達の家ではなく、万人に向けて開かれている店だという点だ。なので意気揚々と訪ねたはいいが先客がいることもたびたびあり、その際はまたあとで訪れるようにしている。
そして、この日もまた”先客”がいたのだった。
「…………」
ぺたり、と入口のドアに耳をくっつける。
中からはくぐもった話し声が聞こえてくるが、その内容まではわからない。ただ、客はひとりではなさそうだった。
仕方のないことではあるが、最近はこうして客が来ていることも多くなった。繁盛している証拠なのでいいことではあるはずなのだが、それでも一抹の寂しさは感じてしまう。
まあ、それはそれとして嬉しいという気持ちも間違いなく存在するので、邪魔しないように今日も時間を潰して来ようとドアから身体を離し――――
『だからさっさとミサキってやつを呼べって話だろ!』
その怒鳴り声にミサキの動きが止まる。
さすがに大声だと外まで内容がはっきり聞こえてしまう。なんでわたしの名前が、動揺するも、固まっている場合ではなさそうだと気を引き締めドアを勢いよく押し開く。
「わたしはここにいますが!」
中にいたのは五人。
驚き目を見開いているアトリエの主、フランと、来客らしき四人組。女ひとりを三人の男が囲っている形だ。
「ミサキ」
「わあ、手間が省けましたね」
甘ったるい声色。
知らないはずなのに、聞いたことがあるような気がした。こんなプレイヤーは会ったことないはずなのに。
「姫、こいつ」
「うん、そう。やっと会えましたね」
つかつかと歩み寄ってきたその女プレイヤーはとにかくピンクだった。
ピンクのツインテールに、瞳もピンク。着用しているのはピンク色のミニスカドレス……というよりは魔法少女と言った方が近いだろうか。全身ピンク色の、なかなかに奇抜な外見の少女だった。
「えっと……誰?」
「才能というのは隠せませんよねえ。この世界でも、リアルでも――あなたは絶対に誰かが見つけてしまう。ですよね、先輩?」
賞賛にからかいを一割ほど混ぜたような声色は途轍もなく甘い。角砂糖にメープルシロップを嫌というほどかけたようなその声……最後の『先輩』という単語の発音の仕方で、ミサキはやっと気付いた。
「まさか君って、」
「ストップです。あまり他の人がいるところでする話じゃないでしょう?」
そう言われれば口をつぐむしかない。
ならそもそもこんなところに来るな、と言いたくはあったが、アトリエに来るのがミサキを探すうえで一番の近道であることは間違いないだろうから、彼女がここに足を運ぶことは至極当然のことではある。
ミサキはそれなりに有名人なのでこのアトリエに入り浸っていることは少し調べればわかってしまうのだ。
ため息をつく。
どうやら面倒なことになってしまったらしい。
ピンクの少女と連れ立ってアトリエを出ていく際、驚きに目を見開くフランの顔が嫌に印象的だった。
「そんなに警戒しなくても大丈夫ですよ。ウィスパーチャットなので周りには聞こえませんし、みんなには席を外してもらいましたから」
「……わかってるよ」
ピンクの少女は甘い声色で囁く。
『みんな』というのはさっきいた取り巻きたちのことだろう。屈強だがどことなく汗臭い感じの男たちだった。
「姫野さん、だよね。このゲームやってたなんて知らなかった」
「もう、桃香って呼んでくださいよう……なーんて。ここではラブリカですけど」
ラブリカと名乗るピンク少女。彼女は後輩の姫野桃香だ。
バスケ部のマネージャーをやっているらしく、この間の球技大会から執拗にミサキを勧誘してくる。
初めてゲーム内で出会うリアルの知り合いがこの子になってしまうなんて……と内心で肩を落とす。
「ちなみにラブリー☆モモカでラブリカです」
「聞いてない」
「いけずぅ」
ミサキはこの子が苦手だった。
単にしつこいというのもそうだが、なんだか話していると口に角砂糖を突っ込まれている気分になるのだ。悪い子ではないと思うし、嫌いなわけではないのだが、できればあまり関わりたくはない。
というかそのネーミングセンスはどうなのか。
「で、なにが目的なの。身バレはできればやめて欲しいんだけど」
「み、身バレ!? いえいえそんなつもりは……」
ぶんぶんと勢いよく顔の前で手を振るラブリカ。
驚きようからするとそういう発想は無かったらしい。てっきり脅迫まがいのことをされて無理矢理バスケ部加入くらいのことは覚悟していたのだが、杞憂だったようだ。
よくよく思い出せば、彼女は足しげく会いに来るもののしつこくはない。引き際を心得ているのだろう。だからこそミサキも強く拒絶することができずに、ずるずる引っ張ってしまっているのだが。
「えと、もちろんバスケ部には入ってほしいですし、今日もお願いするつもりではあったんですけど……私、知り合いにこのゲームやってる人っていなくて。だから先輩がやってるってわかった時嬉しかったというか」
「…………」
ラブリカは、見る限り普通に恥ずかしがっていた。
彼女の気持ちは少しわかる。知り合いと共通の話題ができるというのは嬉しいから。
しかしこれはいったいどうなのだろう。しおらしい態度で懐柔しようとしているのか、それとも素か。普段から茶化すような態度の彼女からは判別がつきにくい。
「どうやってわたしがこのゲームやってるって気づいたの?」
「ミサキのことは結構前から知ってたんですよ。というかファンクラブ会員ですし。で、球技大会で神谷さんを見かけた時、あれ? って思ったんですよ。その時はまだわからなかったんですけど」
「ふーん……いやちょっと待ってちょっと待ってちょっと待ってさすがに聞き流せない。ファンクラブってなに!?」
「ファンクラブはファンクラブですよう。ミサキファンクラブ。もしかして知らなかったんですか?」
「いや全然……え、ええー……ほんとに? ほんとにあるのそんなの」
端末を呼び出し検索。するといくつかヒットした。ファンサイトなんてものまである。
「ミサキってちっこくて可愛いじゃないですか。それに強くて目立つとなれば……まあそうなりますよね」
「知りたくなかった…………」
さめざめと顔を覆って泣く……ことはできない。このゲームに泣くという機能は無いから。
知らないうちにそんなことになっていたなんて。これからはエゴサとかした方がいいのだろうか。ファンサービスの仕方も考えなければいけないのか、なんてところまで思考が飛ぶ。
「まあそんなことはいいんですよ。で、何となく見覚えあるなーと思っていた私は昨日先輩が出てたアリーナの試合で確信を得たというわけです」
「そんなことではないけどね!?」
とんでもない話の飛び方をした。この子といると振り回されっぱなしだ。
というかやっぱりアバターがリアルの外見と同じというのは問題なのではなかろうか。実際こうして身バレしているのだし。
「はあ……まあいいや」
「先輩のそういう『まあいいや』でなんだかんだ受け入れてくれるところ好きですよ。バスケ部入りません?」
「入らない」
「頑固ですねえ」
「お互いさまでしょ」
「あはは……でも、本音ですよ。先輩っていやそうな顔はしますけど、邪険にはしないじゃないですか」
「うーん、めんどくさいとは思ってるけど嫌いじゃないんだよ。嫌いじゃあないんだけどね……」
この後輩が諦めない限りはまっとうに仲良くすることはできないだろうな、とは思う。
勧誘されて、断って。そんなことを毎回続けていればおそらくは向こうの方が疲弊してしまう。
それとも、いつかそんなやり取りが形骸化して、当たり前になる時が来るのだろうか。
それとも――神谷が折れるなんてことも、ありうるのだろうか。
そんな考えを、首を横に振って打ち消す。
やっぱり彼女の誘いに乗ることはできない。
「やっぱり先輩に入ってほしいんですよ。うちの部員たち、みんな全国行くんだって一生懸命で、毎日遅くまで練習してて……だから、だから先輩が必要で」
「…………」
後輩の瞳は真剣そのものだった。
部員のことを大切に思っているのが伝わってきたし、神谷が欲しい理由もわかった。
だが、だからこそ気になったことがある。
「そんなに言うなら、ラブリカもマネージャーじゃなくて選手として参加すればいいんじゃないの?」
口に出した瞬間、あ、と思った。
空気が凍ったのがわかって、次にラブリカの頬が張り詰めているのに気づいた。
やらかしてしまったのはわかったが、どこの地雷を踏んでしまったのかが皆目見当もつかなかった。
「…………そうできたらよかったんですけどね」
「ぁ…………」
できるならとっくに――そんな意味が込められているのがわかった。
考えてみれば当たり前だ。どうして彼女がわざわざマネージャーをしているのか。それだけ熱心なのになぜ、というのは考えていたのに。
もちろんマネージャーの仕事を好きでやっている可能性だって十分ある。
しかし、そうでない可能性にも目を向けるべきだった。バスケをやりたくてもできない何らかの事情があるからマネージャーで我慢している可能性――それがあってもおかしくは無かった。
ラブリカはおもむろに立ち上がる。
「……ごめんなさい、今日はこれで。また学校で会いましょう」
去って行くピンクの瞳は一度もミサキを捉えることはなく。
苦い後悔の味だけを残して行った。




