5.はじめての決着、そしてはじめての〇〇
圧倒的なミサキのスピードを見た観衆はにわかにそのボルテージを上げる。
このVRMMOという『新しいもの』に飛び込んできた者たちはほとんどが新しい物好きであり、いま目の前で展開している戦いも彼らにとっては同じであった。
それはシオも例外ではない。眼下で駆けるミサキから、目が離せなくなっていた。このゲームに抱いていたマイナスな感情が僅かにほどけていくのを無意識のうちに感じていた。
――――だが。
そんな大勢とは別の視点でこの戦いを見物している人物も存在する。
「…………あいつ、使えそう!」
そんなことはつゆ知らず、ミサキとエルダの戦いは続いている。
動き回るミサキが攻撃を加え、それにエルダが追いすがる――そんな構図だ。
「はああっ!」
急接近したミサキの拳が2発連続で叩き込まれ、カウンターで振り下ろされたエルダのカトラスが空を切る。攻撃の直後、すでに距離をとっているのだ。
「がっは……てめえ、またクリティカルかよ……! どんだけ運いいんだ!」
ミサキの攻撃で発生するダメージエフェクトは、ここまで全てクリティカルを示す赤色。ちなみに通常ヒットの場合は黄色だ。
クリティカルが発生する確率は低確率のはずなのにどうして――その当然の疑問に、ミサキは答える。
「……わたしには武器がないし、スキルもない。だからそのままだとすっごく低火力だったんだ。だから考えた。必死で考えた」
ミサキは悩んだ。
最初のうちは苦労なく雑魚モンスターを倒すことが出来ていたのだが、程なくして火力の低さを痛感したのだ。ボスでもないただのモンスターなのに、倒すのにやたらと時間がかかる。それも当たり前だ、武器を装備していることが前提の調整をされているのだから。
このままではいけない。そうは思ったが、答えの見つからないままミサキはひたすら低効率の狩りを繰り返していた。
そんなミサキに転機が訪れる。
あれはこのゲームを初めて3日ほどたったあたりだっただろうか。とあるダンジョンの最奥で、ロックゴーレムというボスに出会ったのだ。その名の通り岩の身体を持つモンスターで、高い防御力を誇るその敵にはミサキの攻撃がろくに通じなかった。
それでも諦めずに殴っていると、ある時クリティカルが発生し、ロックゴーレムに大ダメージを与えることが出来た。その戦いには結局負けてしまったのだが、ミサキはデスペナルティを補って余りある情報を得ることが出来た。
このゲームのクリティカルとは、ただ単に威力を上げるだけではなく、相手の防御力を無視してダメージを与えるのだ、とミサキは気づいたのだ。
そこからは、念の為余らせていたSPを【クリティカル率ブースト】【クリティカル威力ブースト】などのパッシブスキルにひたすらつぎ込み、クリティカル率を上げてくれる装備を探しに探し、結果今のスタイルが完成した。
そうしてあらゆる方面からクリティカルに特化した今のミサキのクリティカル率は――100%だ。
「だからわたしのほうが強い!」
猛然と突進するミサキ。
最短距離での接近に対し、考えている暇はないと考えたエルダはスキルを発動させる。
「舐めてんじゃねえ! 【カタラクト】!」
カトラスが閃き、そのまま高速で振り下ろされる。
【カタラクト】は上から下へと真っ直ぐに切り下ろす片手剣の初期スキルのひとつ。
その剣閃は体勢を低くしたミサキを捉えようとし――ぎりぎりで肩を掠めた。
直後、紙一重で攻撃を回避したミサキの右足が鞭のようにしなり、その爪先がエルダの腹部にクリーンヒットする。
「ぐあ……!」
赤いエフェクトを散らしながらよろめく。
スキルは非常に強力だが、使用直後に硬直時間が発生する。初期に習得できるスキルならさほど長い硬直ではないのだが、この接近戦、かつ相手がミサキであることが災いし、その隙を突かれてしまう。実際の戦闘において隙というのはたった1秒でも致命的だ。
「まだまだあ!」
ミサキの飛び蹴りが炸裂し、さらに後退したエルダの顔面にもう一発拳が叩き込まれ、跳ね飛ばされたように地面を転がる。
「くそ、畜生!」
「さすがにしぶといね……!」
レベルが高いなら、耐久力もそれなりだ。
これだけ攻撃を続けてもまだ倒せないのはさすがと言うべきか。
それでももう相手のHPはほとんど残っていないはずだ。ならば最後にして最大の一発を食らわせなければ。
ダン! と観客席まで響く凄まじい音を響かせミサキは走り出す。
先程のように真っ直ぐではない。立膝をつくエルダの周囲を高速で回り始める。
「このガキ、今度は何を……」
その意図にはすぐに気づく。
凄まじい脚力で舞い上げられた砂煙が、竜巻を作り出しエルダを閉じ込めているのだ。そしてそれに隠れて走り続けるミサキの姿は全く見えない。
「おい見えねえよ!」
「なにが起こってんだ!?」
巻き起こった砂塵は観客席まで届き、その視界を隠す。アリーナで、今どういった状況なのか――彼らにはわからない。
「……てめえには」
腹の底から響くような低い声。
それはエルダのものだった。砂嵐の中、ゆっくりと立ち上がる。
「てめえみたいなガキに負けるわけにはいかねーんだよおおおおおっ!」
ここまで一方的にやられて、それを我慢できるエルダではない。
彼女にも一端の矜持がある。ギルドを率いる長としてのプライドが。
腰だめに構えたカトラスの刀身が紺碧の光を放つ。
「【スプラッシュ・サークル】!!」
片手剣上位スキル【スプラッシュ・サークル】。
水属性を纏った刃は、全方位の広範囲を一瞬で薙ぎ払う。
水飛沫と斬撃が同時に拡散し、砂塵をまとめて消し飛ばした。
「てめーがどれだけ速かろうとこの全方位の攻撃には……あ?」
いない。
周囲を走っていたはずのミサキの姿がどこにもない。
今の攻撃で確実に仕留めたはずだ。なのに何故――?
困惑するエルダに影が差す。差し込んでいた太陽光が、電脳の雲によって遮られたのか……そう思った。
だが。
「おいあれ!」
観客のひとりが指差したのはエルダの頭上。
それに反応し、エルダ本人もまた天を仰ぐ。
そこには――自分に向けて落下する、ミサキの姿が。
「砕け散れえええええッ!」
エルダは動けない。スキルの硬直時間により、半秒ほど停止を強いられている。
そこに向かって、まるで宇宙から飛来した隕石のような拳がエルダを捉え。
視界の左上に表示されたHPゲージを全損させた。
「――――――――」
静寂が流れる。
倒れているのは、押しも押されもしない強豪PKギルド『パイレーツ・キングダム』のリーダー、エルダ。
立っているのは無名プレイヤー、ミサキ。
試合前には全く予想されていなかった光景に、大衆の理解が追いつくまでに時間がかかった。
「船長が……負けた……?」
観客席で試合を見ていた『パイレーツ・キングダム』のメンバーのひとりが、静かに呟き。
同時に、試合終了を表すブザーが響き渡った。
「あいつP・Kのリーダーを倒しやがったああああっ!」
歓声が巻き起こる。
予想外のジャイアントキリングに、アリーナ中が歓喜で満たされた。
そんな中、横たわるエルダの元へ、ミサキはおぼつかない足取りで近づいていく。
「……いい勝負だったね」
「クソ、どこがだよ……情けねえ」
「そんなことないよ。これ見て」
ミサキが指差す足元に、ゆるゆると視線を投げたエルダは目を見開く。
ミサキの左足の、足首から先が無くなっているのだ。
「最後のスキル、避けきれなくて。あとその前にも剣が掠ったせいで、実は死にかけなんだよね」
あはは、と笑いながら虚空に指を動かすと、HPゲージが表示される。その残量は2割にも満たず、赤く点滅している。
ミサキはGPをSPDに6割以上、ATKに3割ほど振り分けている関係で耐久関係がほぼ伸びていない。だから少し攻撃を食らっただけで窮地に追い込まれていたのだ。
「うーん、こうして戦ってみて思ったけどここまでSPDばっかり伸ばす必要あるか微妙かも」
「……は、お前イカれてるぜ」
腕組みして悩み始めるミサキを見ていると思わず笑いが漏れる。
初めて出会ったときから変なやつだとは思っていたが、ここまでとは。
「……あーくそ、悔しいな」
「どう? 勝って当たり前の相手と戦うより、丁度いい敵と戦うのもけっこう良いでしょ」
「うるせーガキ。……次はアタシが勝つ」
悪態をつき、続けてそう言った。
敗北宣言だ。完膚なきに負けた。ごまかすことは出来ない。
「うん! またやろうね」
笑顔でそう返した小さな少女を見上げながら、エルダは吐き捨てるように「ムカつく」と呟いた。
アリーナのエントランスに戻ってきたミサキのもとに、背の低い少女が駆け寄る。
「ミサキさん!」
「あ、シオちゃん。勝ったよ」
こともなげに頷くミサキ。
シオは少し深呼吸した後、口を開く。
「……あの、ミサキさん。私はこのゲームのことを怖いと思っていたのです」
「…………」
シオはエルダたちにログイン早々PKされた。
ミサキはその光景を見たわけではないし、経験もしていない。
だから想像することしか出来ないが……それは、本当に恐ろしい体験だっただろう。
「でも、ミサキさんが戦ってるのを見て、面白いって思えました。この世界ではこんな事ができるんだって。自由なんだって」
ここはゲームで、バーチャルの世界だ。
だから普通は出来ないことだって、ここでは許されている。
「だから私はもうしばらくこの世界にいようと思います。それで……それでもし、楽しいと思えるようになったら……」
「うん、遊ぼう」
ミサキの差し出した手を、シオは慌てて握った。
現実だろうとバーチャルだろうとひとりの人間に変えられるものはごく限られている。
しかし――この日。確かに一人の少女の心は変わった。
……実のところギリギリの勝利だったことは言わないでおこう、とミサキは心に誓った。
年下相手にカッコつけたいというのもまた、人の心である。
場所は変わって、とあるギルドハウス。
廃屋にも見えるここは、PKギルド『パイレーツ・キングダム』の根城である。
「あんな奴との約束なんて守ることないですよ船長!」
「そうだよ、しょせん口約束なんだから反故にしちまえばいい!」
ギルドメンバーが口々に擁護する。
確かに、契約書などを交わしたわけではない。あの酒場で結ばれただけの話に拘束力はない。
「そもそも負けたのだってなんかの間違い…………」
「これ以上アタシに恥をかかすんじゃねえ!!」
部下の言葉を大音声が遮った。
沈黙するギルドハウスに、天井から釣られたランプが揺れる細い音だけが響く。
「もうPKはやらねえ。それにこのギルドも解散だ」
その宣言に騒然とするメンバー。
当たり前だ、そんなことまでは約束に含まれていなかったのだから。
「は!?」
「なんでですか船長!」
「意味わかんねえって!」
「…………アイツを見てたら、なんか馬鹿らしくなっちまったんだよ」
エルダはハウスの入口のドアを開ける。
落ちつつある陽の光が弱々しく差し込み、空を藍とオレンジの二色に分けている。
後ろではメンバーの騒ぐ声。それらの未練を引きちぎるように、エルダは一歩外へ踏み出す。
「あんなにまっすぐ向かってこられたら……アタシもそうしなきゃって思っちゃうだろうが」
エルダは新しい道へと足を踏み出す。
その道程がどのようなものかは、彼女自身も知る由のないことだ。
「んーっ!」
街並みを歩くミサキは勢いよく伸びをする。
バーチャルのアバターは身体が凝ったりすることはないが、気分的な問題だ。
「楽しかったあ……けど、今度は気ままに戦いたいな」
必要にかられて――というわけでも無かったが、やはりしがらみ無く戦えるならそれが一番だ。
明日からはトーナメントに参加するのも悪くないかも……そう思っていた。
だが。
人生、なかなか思い通りにいかないものである。
「へいそこの可愛い彼女ー!」
「ん?」
反射的に振り向いてしまった。
この時の行動を、ミサキは後に深く深く後悔することになる。
そこにいたのは、これまた少女。
ウェーブしつつ広がる長い金髪に、青い瞳。
頭には黒い三角帽をかぶり、全身を丈の長いローブで包んでいる。
有り体に言ってしまえば、魔女みたいな格好だった。
その魔女っ子が、ささっとミサキに駆け寄る。
「ねえねえ君、あたしと組む気はない?」
「く、組む? っていうか誰?」
言葉の内容が唐突すぎて、思わず質問。
直後、無視して逃げればよかったと後悔した。どう考えても怪しすぎる。
「あたし? ああ、自己紹介が先かしら」
そう言った魔女っ子はこほんと咳払いをしたかと思うと、長い木の杖を取り出し、三角帽を少し傾ける。
「あたしは天才錬金術士のフランちゃん! よろしくぅ!」
錬金術士を名乗るその少女は、盛大にウインクを決める。
……いや、どこからどう見ても魔女、なのだが。




