Last.Terminus to the Beyond
泡のような世界だった。
少し刺激を与えてやれば弾けて消えてしまう、不確かな世界。
現実的な話をすれば一般的なゲームと同じ、電力供給を断てば終わる世界。
そんな不安がいつもどこかに横たわっていて――そして、今日。
それは現実となる。
『アストラル・アリーナ』は終わる。
それが変えようのない現実。少女一人がどう足掻いたところでそれは変えられない。
変えるには、あまりにもいろいろなことが起き過ぎてしまった。
笑えてしまうほどに不確かで、儚い世界だ。
しかし、ここで築いた繋がりはこれ以上ないほど強く確かなものだった。
胸に抱くのは数々の愛しい思い出たち。
楽しいことも辛いことも一緒くたに。
胸を掻きむしるような郷愁には――やっぱり泣きたくなるけれど。
(だからこの一瞬に)
わたしは全てをかけるのだと。
この一瞬を駆け抜けると決めたのだ。
銀の槍が降り注ぐ中、ミサキとフランは落下を続ける。
「きゃああああっ!」
錬金術士の悲鳴が響く中、ミサキは冷静に解除していた装備を再装着することで最高速度より安定を取る。
同時に銀の槍を足場として中継し、安全に高度を下げて地面に降り立った。
「…………」
見上げれば慌てふためき落下するフラン。
あのままだと落下ダメージで即死だ。
しかしミサキは一切の油断を持たない。彼女が懐から何らかのアイテムを取り出したのが目視出来たからだ。
それは赤い宝石が輝く金色の指輪だった。
「【ゴールデン・エルドライド】!」
途端、黄金の奔流が生み出される。
周囲の銀槍すらも呑み込んだ流体の黄金に乗ったフランはまるでサーフィンのように表面を滑り、黄金を津波のように操った。
「なんだこれ!?」
迫る黄金の津波をとっさに飛び越えたミサキだったが、流金は形を変え、なおもミサキに襲い掛かる。
「《賢者の石》。ピオネと戦った時に使った試作品じゃなくて、改めて作り直した完全体よ――【ゴールデン・エルブレイド】!」
フランの周囲にたゆたう流金が形を変えると10本の剣となり襲い掛かる。
その軌道は鋭く速い。思考を回避から防御へと切り替えると、ミサキは白いブーツを振り下ろして全力で地面を踏みしめた。
「【六花氷晶】!」
叫ぶ声に呼応し、冷気が迸る。
爆発的に広がった白い靄は黄金の剣たちを包み込むと完全に凍結させた。
だが。
「無駄よ。それくらいじゃ止まらない」
氷塊がぶるぶると震えたかと思うと、跡形も無く砕けて剣が解放される。
自由を手にした剣の群れはあらゆる角度からミサキを切り裂いた。
「ぐっ……!」
躱しきれなかった。
卓越した敏捷性によって致命傷こそ免れたものの、ダメージは深い。
これが《賢者の石》。
《錬金剣ファントム・ラピス》によって生み出された流銀をはるかに超える出力だ。
これが彼女が――錬金術士がたどり着いた境地なのか。
「でも負けない! ここで強くなったのはわたしも同じなんだから!」
ミサキの両腕が蒼炎に包まれる。
腕に装備した《シリウスネビュラ》の効果だ。
単純な火力アップ――力には力をぶつけるのみ。
「だったらこれで……【ゴールデン・エルオウド】!」
流金は無数の腕へと変形する。
間髪入れず黄金の拳はミサキに殺到し、ミサキもまた真正面から応戦する。
「だあああああっ!」
金属音と打撃音が連続する。
ミサキの拳と、それぞれがミサキの身体と同程度のサイズを誇る黄金の腕が目視が不可能な速度で激突を続ける。
押しているのは――信じられないことにミサキだった。
蒼炎が飛び散るたびに黄金も飛散する。
力も速さも凌駕している。
その姿に驚愕しながらも、フランは薄く笑っていた。
(――――初めて戦った時もそうだった。がむしゃらな時のこの子が一番怖い……!)
全ての金腕が破壊され、風穴を開けるようにはじけ飛ぶ。
その中心を力強く踏みしめ、フランの目前にミサキが迫った。
「届けええええッ!」
蒼炎が黄金を燃やし、その拳がフランを捉えた。
鈍い音とともに錬金術士は吹き飛ばされ、地面に転がる。
「……まだよ! まだ終わってない!」
「そうこなくっちゃ!」
ミサキの身体から黄金の闘気が迸る。
グランドスキル発動の準備が整った。
仲間に支えられ、導かれ、やっと習得したミサキだけのスキルが。
対するフランも飛散した流金を錬金剣に集め、その切っ先をミサキへ向けると、辺りの空間から虹色の光粒がその剣へと収束を始めた。
「――――この手に宿るは創星の輝き」
万感の想いを込めてミサキが呟く。
空に出現した宇宙が右手に収束すると、濃縮された純白のエネルギーへと姿を変える。
大地を、空を、世界を揺るがす――解放の時を待つ超新星の力を携え、ミサキは駆け出した。
「いいわ、これで決着をつけましょう……【アルケミア・アーク・マグナ】」
剣の切っ先から放たれた虹色の光芒が、その莫大な規模でもってミサキを迎え撃つ。
「う――あああああっ!」
虹色と白色の光が激突する。
あたりに目も開けられないほどの輝きを撒き散らし、なおも拮抗を続ける。
光の中。
ミサキの脳裏に去来したのは――これで決着なんだ、という寂しさ。
どちらにせよこれで終わり。そう思うと、なんだか満足でもあって。
結果がどうあれお互いに全力を出し切ったのだからそれでいい。
「な、わけない……! 勝つ、勝つ、勝つ! 勝あああああああつ!!」
喉が破けんばかりに絶叫する。
そうだ。ここまで来て負けや引き分けなど、そんなもので満足できるわけがない。
あの時最強になると誓った。ならばここでフランに負けるなどありえない。
右手に宿った白光が全身に行き渡る。
規格外の力が溢れ出す。
「フラン……!」
虹色を押し返す――いや、突き破っていく。
拡散し後ろへ流れていく光の向こうに、フランの顔が見えた。
「…………ミサキ」
笑っていた。
ミサキもまた同じ表情を浮かべていた。
虹を貫いたその身に最後の力を込める。
もう言葉はいらなかった。
最後の拳がフランに直撃し。
極大の爆発を巻き起こした。
「まさか負けるなんて思わなかったわ」
ロッキングチェアに揺れるフランは不満そうに唇を尖らせている。
「いやあ、順当でしょ。正面切って戦ったらわたしが勝つって」
ソファに腰かけだらっと手足を放り出したわたしは思わず笑ってしまう。
そうは言っても危ない勝負ではあった。
勝てるかどうか最後の最後まで怪しかったし――勝敗を分けたとすれば、勝ちたいという気持ちの大きさか。
勝ちたかった。
どうしても。
そうすればリベンジという、また会う理由ができるかもしれないから。
そんなちっぽけな理由でも作っておきたかった。
わずかな繋がりでも保っておきたかったのだ。
ああ――ダメだ。
もう彼女を引き留める手持ちは無い。
祭りの後はいつもこんなふうに、胸に空白ができたみたいで泣きたくなる。
そんなわたしを見透かしたように、フランは微笑した。
「……もうそろそろ行かなくちゃね」
「えっ……でももう少し」
「あなたももうすぐ時間でしょう?」
思わず喉が詰まる。
そう。この世界に続けて居られるのは三時間が限界で、それは最後の日も変わらない。
あいさつ回りと最後の試合で時間はもう残り少なくなっていた。
できることはもう何ひとつない。
あとは見送るだけだ。
じんと熱くなる目の奥を悟られないように下を向いていると、木の板を踏む足音が近づいてくる。
「ミサキ」
優しい呼び声に顔を上げると、フランがわたしの頬を両手で包む。
そうするとわたしは自然と上向きになって、見下ろしてくる空色の瞳と視線が絡み合った。
流れ落ちる金色の長髪に左右を閉じられ、どこか静謐な空気が流れる。
しばらく見つめ合っていると、フランはおもむろにその桃色の唇を開いた。
「ねえミサキ。あたしね、寂しい。あなたと別れるのが本当に寂しいの」
全く想像していなかった言葉だった。
フランはずっと爽やかに別れを受け入れていて、跡を濁さず去っていくものだとばかり思っていたから――ああ。
震えているのだ、わたしは。
溜め込んだものを必死に抑え込んで。
「い、言わないでよこんな時に、そんなこと……」
苦し紛れに吐いたその言葉を。
まるで跳ね返すかのように雨が降った。
いや、違う。
これは涙だ。
フランの体温と同じ温かさを持った涙がぽたぽたとわたしの顔を濡らす。
それが限界だった。
「ミサキ、泣いてるの?」
「泣いてるのはフランじゃん……」
雨が落ちる。
涙が流れる。
この世界についぞ実装されることのなかった涙が――存在するはずのない雫が混じり合い流れ落ちていく。
「ミサキの泣いたところ、初めて見たわ。最後の勝負はあたしの勝ちね」
「勝負じゃないでしょこんなの……!」
後から後から溢れ出す涙を拭うこともできず必死に声を上げる。
ずっと我慢してきたのに、こんなのってずるい。
ずるいよ。フランはずるい……。
「今までいっぱい泣きたい時があったんだ」
「うん」
「でも、もう泣き虫は卒業しなきゃって……強いわたしにならなくちゃって思ってたんだ……」
「知ってる」
柔らかく、暖かく、フランの腕がわたしを抱きしめる。
花のような香りに顔を埋め、わたしは声を押し殺して泣いた。
「ありがとう。頑張ったわね、ミサキ」
フランの落とした温かい涙がわたしの頬を伝う。
このかけがえの無い時間がいつまでも続けばいいのにと願って――しかし。
そんな夢みたいなことはやっぱり起こらなくて。
「さて!」
ことさらに明るい声色のフランは身を離す。
これ以上こうしていたら離れられなくなっていたかもしれないから胸を撫で下ろした。
それでもやっぱり寂しさは変わらずわたしの胸に傷を残す。
フランはまだ涙の残る目を伏せて、その手から指輪を引き抜いた。
「あなたにこれを預けておくわ」
「これって……《賢者の石》?」
赤い宝石の嵌まった金色の指輪。
それはフランの到達点とも呼べる代物だったはずだ。
こんなものをわたしに?
「これはあたしとあなたを繋ぐものよ。絶対失くさないように!」
「でも――――」
この世界はもうすぐ消えてしまう。ならこの指輪だって消えてしまうのではないか。
そんな言葉をわたしは飲み込んだ。
消えない。
世界は消えても、託されたこの指輪だけは。
そうでなければわざわざ渡しはしないだろう。
「――――うん、わかった」
「よし」
頷いたフランは懐からタブレット型のアイテムを取り出す。
《タブラ・スマラグディナ》。別の世界へと旅をするためのアイテム。
フランがその表面に手を置くと、金色の光が彼女の足元から溢れ出した。
「これでお別れ。言い残したことはある?」
「そんなの数えきれないくらいあるよ」
本当に。
話し足りないし、遊び足りない。
しかし惜しめば惜しむほど、自らの手で再会を遠ざけてしまうような気がするのもまた事実。
次がある。
そう信じる。
だから。
「欲しいのは別れの言葉じゃない。またねって言ってほしい。フランならきっと、どれだけ遠くてもまた会いに来られるって信じてるから」
「もちろんよ! 錬金術の可能性は無限なんだから」
「ううん、わたしが信じてるのは錬金術じゃなくて――フランの、だよ」
その言葉にフランは目を見開くと――泣きそうなくらいに笑って。
わたしのほうへ小指を差し出した。
そこに自分の指を絡ませて軽く振る。
名残惜しくてほどき難かった。
「じゃあミサキ。また会いましょう」
「またね。絶対に」
これが最後。
でも、最後じゃない。
また会える。信じてる。
それでもやっぱり寂しくて――だけど別れは再会の約束だから。
わたしたちの顔に浮かんでいるのはやっぱり笑顔だった。
光がその輝きを増す。
眩しくてフランの姿が見えなくなっていく。
そのまま目も開けられなくなって――最後に、ぽつりと。
「大好きよ、ミサキ。あたしの――――」
鐘のような轟音と共に光が止む。
おそるおそる目を開くと、そこにはもう誰もいなかった。
悲しくて、また泣きたくなって。
でもわたしは嬉しかった。
だって、やっとちゃんと別れられたから。
望まない別れじゃなく、再会を誓って自ら手を離したのだから。
だからわたしの胸の内は快晴の空のごとく澄み渡っていた。
次元も世界も越えて、きっとあなたとまた出会う。
どんな存在だろうと関係ない。なぜなら…………。
「わたしはここにいるんだから!」
『アストラル・アリーナ』が終焉を迎え、翌日。
わたしは自室のベッドにぐったり横たわっていた。
そんなだらしない姿を横目で見つつ雑誌をめくるアカネが些細な疑問を吐いた。
「そう言えばフランってどうして生まれたのかしらね。プレイヤーたちの精神が集まって……とは聞いたけど、さすがにそんなことであんな子が生まれるのかと思っちゃうんだけど」
「そうだね。……ちょっと考えてたんだけど、もしかしたらわたしから生まれたのかも」
そんな答えに、アカネの近くでポテチを食んでいたみどりが首を傾げた。
「どういうことですか?」
わたしは緩くみどりに視線を投げかけつつ考える。
ウロボロスの言う通り、フランの存在は都合が良かった。
誰にとって一番都合が良かったか?
それはきっとわたし――いや、ミサキだ。
「あのゲームを初めて起動したとき、みどりもアカネも一緒じゃなかったでしょ?」
「たしかに私はあの時βテストに落ちていましたし、当時のアカネちゃんはそもそもプレイする気がなかったですよね」
「うん……わたしね、あの時すごく心細かったと思うんだ。だから一緒にいてくれる誰かを強く求めた結果、フランが生まれたんじゃないかな」
わたしの手で輝く黄金の指輪を撫でる。
最後の日、あの世界から帰ってきた時わたしの手の中にあったものだ。
彼女とわたしを繋ぐものは、やっぱり消えはしなかった。
「そう考えると沙月さんたちは母娘ってことになるんでしょうか」
「ええ、やだよ。まだこの歳で子持ちになりたくなーい!」
「じゃあなんだって言うのよ」
自分とフランの関係は何か。
改めて問われると――ちゃんと考えたことは無かったように思う。
母娘ではない。
姉妹でもない。
友達という言葉に収まる関係でもない。
利害関係の一致から始まり。
友人を経て、たどり着いたのは。
(……ああ、そっか。あるよ)
そうだ。
たったひとつ。
わたしたちを表す言葉があったはずだ。
「――――相棒、かな」
部屋の窓から空を見る。
今日は雲一つない快晴だ。
あの抜けるような青に浮かぶ太陽がいつだって思い出させてくれる。
魔女のような姿。
金色の髪に、空色の瞳。
破天荒でがめつくて、でも友達想いな錬金術士を――フランのことを、わたしはきっと忘れない。
いつまでだって思い出すだろう。あの、目も眩むような黄金を。
どこかの世界。
とある錬金術士が港町へと続く街道を歩いていた。
ふと立ち止まると、夜空に浮かぶ満月を見上げる。
「また会いましょう、神谷沙月。あたしの……最高の相棒」
錬金術士は旅を続ける。
あの世界を共に駆け抜けた最愛の相棒と、いつかまた出会うまで。
閲覧いただきありがとうございます。
これで本作は完結となります。
ここまでお付き合いくださった方々や、これが初めましての方々も、本当にありがとうございます。
たくさんのブックマークや感想、評価のおかげで最後まで書ききることができました。
良ければまたお会いしましょう!
前作にあたるガールズ・ゲーム無印もありますので良ければそちらの方も……。




