322.デリケートガールブルー
ミサキとフラン、最後のあいさつ回り。
最初に訪れたのは『ブレイブクルーズ』のギルドハウス前だった。
「やあ」
ハウスの壁に寄りかかっていたカンナギが手を挙げ、こちらへ近づいてくる。
今日も変わらず爽やかな王子様スマイルを浮かべている……が、今日に限ってはわずかに翳りが見えたような気がした。
わずかに視線を彷徨わせると、何とかといった調子でカンナギは口を開く。
「あー……えっと」
「珍しく言いよどむじゃん、カンナギ」
ここぞとばかりにからかうミサキに苦笑を返す。
カンナギは少しだけまごつくと、真剣な表情でフランに向き直った。
「……フランさん」
「なあに?」
「僕と付き合ってくれないかな」
「ごめんなさい」
ぺこりと頭を下げて即答したフランに、カンナギは項垂れる。
両方頭を下げているのがなんだか面白くてミサキは笑いをこらえていた。
「やっぱりダメだよね……」
「フランとは今日でお別れなんだから仮に付き合いたくても無理じゃない?」
「わかっていても挑まなくちゃいけない時はある。君になら理解できると思うけどね」
ぐ、と言葉に詰まる。
それを言われると何も言えない。
ミサキも敵わない相手に立ち向かったことは幾度もあった――それこそ、このカンナギとの戦いもそうだった。
「フランさん。君と出会えたことは僕にとって人生の宝だ。この先、君を忘れることは決してないだろう」
「ありがと。でも忘れた方が楽だと思うわよ」
「いいんだ。例え苦しくても、そっちの方がいい」
カンナギはそこまで口にすると、ミサキへ視線を投げる。
「君にも感謝しているよ。いろいろなことを教えてもらった」
「……そーですか」
その言葉を真正面から受けるのがなぜか悔しくて唇を尖らせたミサキは首を振る。
最後まで子どもじみた意地を張るのは、違うだろう。
地面に落としていた視線を上げ、カンナギの瞳をまっすぐ見つめる。
「……ううん、ありがとうカンナギ。あなたとの戦いは楽しかったし、仲間として戦ってくれたのも心強かった」
「そうかい……」
「あたしからも。あたしが消えた時や最後のイベントで一生懸命戦ってくれてありがとう……あなたがいなければどうなってたかわからないわ」
「…………っ、ああ」
驚きに目を見開いたカンナギはくるりと背を向ける。
その肩は小刻みに震えていた。
「カンナギ?」
「……さあ、そろそろ行くと良い。僕以外にも声をかけるべき相手がいるんだろう?」
その震えた声に顔を見合わせたミサキとフランは頷き合う。
「わかった。さよなら、カンナギ」
「ありがとう。さようなら」
踵を返した二人は歩いていく。
その足音が離れていくのを聞きながら、カンナギは深い息をひとつ落とした。
「…………さようなら、僕の好きなひと」
その微かな呟きは誰にも届かず消えた。
カンナギと別れて、二人はタウンのメインストリートを歩いていた。
「さて、次は……うわあ!?」
「ミサ、きゃあ!」
ミサキが路地裏に引っ張り込まれて声を上げ、それに驚いたフランは突き飛ばされるようにして同じ場所に押し込まれた。
狭い暗がり。誰かに襲い掛かられるような謂れは――あるかもしれないが、それにしてもタウン内でとは。
街中では他のプレイヤーに攻撃できないから襲われるようなことは無かったのだが、いったいどこの誰が……と狼藉を働いてきた者の姿を確認すると、目出し帽のようなもので顔を隠した小柄な二人組だった。
「もしかしてルキちゃんフェリちゃん?」
「……バレた」「えっへへ、あたりー!」
すぽっと目出し帽を外すとよく似た顔が二つ現れた。
赤い天使のような姿のルキと、青い悪魔のような姿のフェリ。
ミサキとフランのファンである双子だ。
「びっくりしたじゃない」
「ごめんなさい」「最後にびっくりさせたいってルキがね」
いやフェリちゃんでしょ、ルキが先だったよと仲良く小競り合いを始める双子を微笑ましく眺めつつ、この子たちにも本当にお世話になったなあと感慨深くなる。
タッグトーナメントで戦ったのが初対面。そしてカンナギと同じ、幾度となくミサキたちの味方をしてくれた仲間だ。
そんな双子の片割れ――ルキはおずおずとフランへ向く。
「あ、あの、フランちゃん」
「ん、なにかしら」
「えっと、その……いなくなっちゃうんですよね」
今にも泣きそうなルキを見て、フランは困ったように笑う。
「そうね。たぶん、会えるのはこれで最後」
「だったら……その……だ、抱きしめてもらえませんか……!」
一世一代の告白のような必死さで懇願するルキに応え、フランはふわりとその小さな天使を抱きしめる。
フランの胸元に顔をうずめたルキは、声を殺して泣いていた。
涙は流れずとも、泣いていることがわかるくらいに。
「ミサキちゃん。あたしからはこれ」
フェリが差し出したのは、この世界では珍しいメモ用紙だった。
そこには数字やアルファベットの羅列が記載されている。
「これ……もしかして連絡先?」
「うん。あたし、これでおしまいにしたくないから。良かったら連絡してほしいなって……引いた?」
「ううん、嬉しい。ありがとうね」
さっそくもらったメモ用紙を画像データに変換して現実のスマホに送る。
これで消えることは無い。
ミサキたちは改めて双子に――ルキとフェリに向き直る。
「二人とも、本当にありがとう。またね」
「元気でね」
その言葉を聞いた双子は、ぴったり揃った声でこう言った。
「「絶対また会いましょうね!」」
次に訪れたのは『ユグドラシル』のギルドハウス。
大樹をモチーフとした建物の扉を開くと、見慣れた顔たちが待っていた。
「ミサキさん、ようこそ」
ギルドマスターのユスティアが恭しく迎える。
他には氷の魔術師であるリコリスとネクロマンサーのライラックの姉妹。
そしてユスティアの幼馴染のピオネが所在なさげに立っていた。
「ユスティア。もう体調は大丈夫なの?」
「ええ、とっくにね」
ミサキとユスティアは握手を交わす。
彼女は最後のイベント開始前に倒されたことで意識不明になった。
手を下したのはウロボロスに身体を乗っ取られたピオネだったらしいのだが、こうして一緒にいるところを見るとわだかまりのようなものは無いらしい。
そんなピオネ当人は気まずそうな様子で前に出る。
「あ~……その、ごめんねえ……。ボクいろいろえらいことになってたらしくてさ……」
あはは、と乾いた笑いを落とす彼女は未だ吹っ切れていないようで。
だがそんな姿を見たフランは我慢できなくなったように脳天へとチョップを落とす。
「あたっ」
「たぶん色んな子に言われてるでしょうけど、あなたは悪くないわ。ただの被害者なんだから」
「……うん、ありがとね」
小さく頷くピオネを優しげな眼差しで眺めながら、ユスティアは口を開く。
前までのような固い印象は幾分か薄れている。
「『ユグドラシル』を代表して礼を言います。元凶を倒してくれてありがとう」
「こちらこそ。いろいろあったけど、『ユグドラシル』の皆にはほんと助けられた」
一度は敵対しても助けてくれた。一緒に戦ってくれた。
人は変われる。それはユスティアの後ろでぎこちないながらも笑いあえているリコリスとライラックの姉妹を見れば明らかだ。
それは間違いなく、希望の形だった。
ギルドハウスを出たミサキは小さく息を落とした。
思えば繋がりが多くなったものだと、肩に心地のいい重みを感じる。
残念ながら仕事で来られなかったくまや、未だ多忙らしいクルエドロップはいないが、それでも挨拶しておきたい人はあと何人もいる。
「ねえ、次は――フラン? ぼーっとしてどしたの」
「え……ああ、なんでも……」
と誤魔化そうとしたフランだったが、ゆるゆると首を振る。
「なんだかちょっとしみじみしちゃってね。色んな人と顔を合わせてたら今さら寂しくなっちゃったのかも」
「そっか……」
その気持ちはミサキも同じだ。
もしかしたらフラン以上に感じているかもしれない。
本音を言えばこの世界が終わってしまうなんて嫌だ。
もっともっと続いてほしかった――思えば一年も経たずに閉じてしまうことになってしまった。
「ねえ、ミサキ……あたしがいなくなったら寂しい?」
澄んだ空色の瞳が真っすぐミサキを見つめる。
その視線から逸らそうと思って、でも逸らせなくて。
様々な想いを巡らせた末にこう答えた。
「ううん、大丈夫」
「…………そう」
少し低い呟きを落とし、フランは歩き出す。
ミサキの方を振り返らずに。
「あ、待って」
あれは明らかに不機嫌な時のフランだ。
きっと返答を間違えた。
だが、ミサキは彼女に背負ってほしくなかった。
何のしがらみも無く旅立ってほしかった。
どんなしがらみにも囚われず、自由に空を飛んでいるのが似合う彼女だと思ったから。
…………だが。
(ああ――――)
いやだ、いかないでと。
そう素直に泣き叫べたらどんなに良かっただろう。
この世界に涙は無いというのに。




