318.ここにいる
「がはっ!」
顔面に殴打を受け、床を転がるフラン。
その頭を白いブーツの足が踏みつける。
見下ろすのはミサキのセーブデータを奪い、ミサキそのものの姿になったウロボロスだ。
「勝てるわけねえってわかってるくせに、なんで戦うんだかな。俺にはわかんねえよ」
「……あなたなんかには一生わからないでしょうね」
ぎり、と踏みつける足の力が増し、フランが短い悲鳴を上げる。
力量差もあるが、そもそもフランは満身創痍。立っているのが不思議なくらいの惨状だったのだ。
ウロボロスの言う通り勝てないことはわかっていた。それでも立ち向かわねばならないと思った。
ここで倒れては、ミサキの戦いに意味が無くなってしまう。
「もうあいつはこの世界にいねえ。戻ってくることも不可能だ。諦めて俺とひとつになるのが賢い選択だと思うがな」
「じゃああたしは馬鹿でいいわ」
「ハッ、”賢者”が聞いて呆れるぜ」
「肩書きなんてどうでもいいの。例えあたしが作られた存在だったとしても、この世界に来るまでの記憶が全て偽物だったとしても……ミサキたちとの思い出だけは信じられるから」
今になってわかった。
最初から信じるべきだったのは、ミサキたちと過ごした時間だったのだ。
確かに存在したその”現実”こそがフランの築いてきたものなのだから。
仲間たちと今まで関わってきた中で生まれた感情。培った関係――それらが無に帰すことはない。
何もかも無かったことにはならない。
嘘じゃない。虚構じゃない。だってこんなにも心を揺さぶるものが、確かにここに在るのだから。
弱々しく震える手で、フランは懐から何かを取り出す。
「なんだそりゃ」
「《繋憶の懐中時計》」
それはフランの手に収まるサイズの懐中時計だった。
蓋を開くと、星図のような時計盤には何本もの針が取り付けられており、それらは思い思いの方向・速度でぐるぐると回り続けている。およそ時計の役割を果たしているとは思えない代物だった。
「このアイテムを使って、あたしの軸になってる仲間たちの記憶を起点に、その源であるみんなと時空を超えてリンクを繋ぐ。……ミサキも含めてね」
「それで何ができるって? 繋いだから何なんだ。お喋りでもするのかよ」
硬い音が響いた。
懐中時計を握りしめたフランの手が踏みつぶされた音だ。
しかし時計の音は止まらない。
フランの手には激痛が走るが、時計はびくともしていない。
不快感をあらわにしたウロボロスは何度も何度も足を振り下ろすが、それでも傷ひとつつかない。
「……ぐっ……無駄よ。この時計には周囲とは別の時間が流れてる。だからあなたには干渉ができない……」
かすれ声で呟いたフランの首が掴まれる。
ウロボロスは感情の凪いだ表情で、
「もういい。このままお前の解析を始め、そして食らう。それで全部終わりだ――人間も、このクソッタレな世界も、お前も!」
「この懐中時計で……ミサキを連れ戻してみせる。世界の壁なんて超えて、あなたを倒しにやってくるわ」
「無理だって何度も、」
「無理を通すのが錬金術士よ。あたしは”都合の良い存在”――なんでしょう?」
錬金術の始まりは卑金属を金へと変性させようとしたこと。
つまり、不可能を可能にしようとしたのが錬金術士だ。
フランはただ祈る。
《繋憶の懐中時計》を握りしめ、心を繋いだミサキの仲間たちにただ呼びかける。
ミサキを呼び戻すために……お願い、応えて――と。
かち、かち、かち。
時計の音に乗せて、泡沫の世界に想いが走る。伝播する。
時空を超えて。ミサキと強い繋がりを持つ者へと。
――――お願い。ただ叫んで。
――――ミサキへの想いを。あなたが戦っている理由を。
――――お願い。
波紋のごとく声は広がっていく。
ホームタウン。
巨人マリスと戦う翡翠たちは頭の中に響いた声に顔を上げる。
「…………聞こえましたか!?」
「ええ!」
「おれにも聞こえたぞ!」
巨人の猛攻をしのぎながらカーマに翡翠、くまはお互いに顔を見合わせる。
フランの声だ。
ミサキがいなくなった。
連れ戻すためには自分たちの力が必要だと。
「全く、世話のかかる子ね!」
「そうですね。私はそんなところも好きですよ」
「翡翠さんはブレないな……」
激しい戦いの中、翡翠たちは自分を見つめ直す。
なぜこうして戦っているのか。
それは彼女たちにとって、あえて問い直すまでも無いくらい簡単なことだった。
「おれは彼女に救われた! 元いたパーティから追い出されそうになったとき、新しい道を示してもらった! だからおれは――――」
振り下ろされた巨人の拳を、くまは巨大化させた盾で防ぎ切り、弾く。
その脇から入れ替わるようにカーマが飛び立った。
「あたしはあいつのことが放っておけないから! ひとりにしたら簡単に折れちゃうような奴だから、誰かがそばにいてやんなきゃダメなのよ! だからあたしは――――」
カーマが全霊の力で振り抜いた大鎌が、マリスの全身を切り刻む。
ここでマリスは初めてたじろぎ、やまびこのような悲鳴を上げた。
「私は……ただひとつ。神谷さんのことを愛しているからです。だから私は――――」
翡翠の構えたスナイパーライフルから超音速の弾丸が飛び出す。
螺旋状に回転する鋼の塊は、巨人のマリスに見合う巨大な風穴を開けた。
リアルも現実も関係なく。
人と人とが繋いだ想いは加速していく。
燃える村の中、赤い空を見上げるスズリは。
「私はミサキに肯定してもらった。例え”スズリ”が作り物だろうと私が信じているならそれは本物だとあの子が教えてくれた。だから私は――――」
ありふれた公園で、カンナギは。
「僕はミサキさんに誰かのために戦う強さを教えてもらった。そしてそんな彼女に勝ちたくなった。だから僕は――――」
闇の広がる墓地で、リコリスは。
「私はあいつらに妹と関係を繋ぎ直すきっかけを貰った。あの時の戦いが無ければ、今も私たちは断絶したままだっただろう。だから私は――――」
洞窟の大空洞で、ルキとフェリは。
「私たちは、憧れを教えてもらった……」
「新しい世界に踏み出すきっかけと」
「……たくさんの喜びを貰った」
「「だから私たちは――――」」
そして。
悪意に囚われた死霊術師は。海賊は。魔法少女は。
「……親身になって接してくれた。お姉ちゃんと、また仲良くする勇気をくれた。だからライラは――――」
「あいつはずっとアタシのライバルでいてくれた。全力で戦ってくれた。だからアタシは――――」
「私は、あの人のことが好きです。先輩には、恋を教えてもらいました。だから私は――――」
いくつもの想いが繋がり、共鳴し、ひとつの指向性を得る。
それぞれの想いはバラバラで、しかしこの瞬間想う相手はただひとり。
現実世界にて。
医療センターに電話をかけ終わった北条は神谷の部屋に踏み入り、そこで信じられない物を見た。
「おい、大丈夫か! 今救急車を呼んで――――え?」
部屋はもぬけの殻だった。
窓からは月光が差し込み、照らされたVRゴーグルだけがぽつんと置かれている。
その近くには小さな血だまりがあり、それがミサキの残したものだということだけはわかった。
「どこに……行ったんだ?」
極彩色の穴の中を、神谷はひたすらに落ちていく。
ここがどこなのかはわからない。
響き渡る自分を呼ぶ声と、自分が落ちていくのとは逆に次々浮かび上がってくる泡のような記憶の欠片に従ってひたすら落ちる。
身体の苦しみは消え失せていた。
声がひとつ響くたび、記憶の欠片がこの身に触れるたび計り知れない力が宿っていく。
「みんながいる……みんながわたしを待ってる」
加速する。
神谷沙月は落ちていく。
境界を超えて、ありのまま。
そんな時。
自分のものによく似た、懐かしい声を聴いた。
『――――頑張れ、沙月』
その声に一瞬だけ振り返って。
滲みそうになった涙を振り切り、神谷はさらに落ちていく。
「行ってきます」
眼下に見える黄金の光に手を伸ばす。
落ちて、落ちて、そして。
ウロボロスは得体のしれない感覚に身を震わせた。
その身に蓄えた人間の精神の山から、声がするのだ。
内容まではわからない。
しかし、なにか強い力を持って波動となり体外へと伝わっていく。
「何だこれ、いったい何をしたんだ……!」
フランの持つ《繋憶の懐中時計》からは目を開けていられないほどのまばゆい黄金の光が溢れ出している。
そしてその光は徐々にその輝きを増し続けていた。
「……あたしはただ祈っただけ。あなたが学ぼうとしたみんなの想いが結びついて、世界と世界を繋げたのよ」
フランはゆっくりと懐中時計を持った手を放す。
すると輝く時計は落下することなく、まるで意志を持っているかのように空中を滑り、止まる。
途端、光が爆発し、懐中時計を中心とした黄金の光柱が出現した。
「近づけねえ……! 俺が……俺という存在自体がこの光を拒絶している……ッ!?」
「さあ、道は作ったわ。あとはあなたの番よ、ミサキ――――!」
高らかに抜ける声。
同時に光柱が轟音を響かせ、破裂し、辺りに光の粒を撒き散らした。
漂う光の粒はぴたりと制止すると、一点へと集まっていく。
それは少しずつ輪郭を形成し――人の姿へと。
輝きが収まっていく。
赤熱した金属が冷えて黒ずむように、真なる姿を現していく。
それは小柄な少女だった。
顎のあたりまで伸びた艶やかな黒髪に、黒い右目と金色に瞬く左目。
その身体には”彼女”が通う高校の黒いセーラー服を纏っている。
それはフランが見たことの無い姿。
しかし、一目で理解した。理解できないはずがなかった。
「…………おかえり」
「ただいま」
少女は背後の相棒を振り返り、笑う。
それだけで充分だった。
「っていうかなんでこんな恰好なんだろ」
馴染むけどさー、などと言いつつ制服を引っ張ったりして確かめる黒い少女。
そんな姿を、ウロボロスは唖然と見開いた目で目の当たりにしていた。
「お前は……何者だ」
「神谷沙月」
少女は――神谷はこともなげに答える。
そこにいること自体が不条理の塊である名前を、事実として。
「ふざけるな。そんなことがあり得るわけがねえ。現実の人間がこの世界に踏み入るだと? ブリッジングにバグが生じたのか……いや、そもそもこいつはログインできなかったはず――――」
「こうして存在する以上は、在るんだ。お前もそう言ってたはずだよ。理由なんて大した問題じゃない、わたしたちが願った結果が今のわたしなんだ」
神谷はいつの間にか手に収まっていた《繋憶の懐中時計》を強く強く握りしめる。
バーチャルではない、確かな生身の感触が伝わってくる。
だが、世界がこの身体を拒絶していることも同時に感じた。
フランの作った懐中時計のおかげでこの場所に繋ぎ止められているだけで、これが無ければ磁石に引き寄せられるかのように”向こう”へ戻ってしまうのだろう。
お礼はあとで力の限りしよう。
それには、目の前の敵を倒して全てを終わらせなければ。
「わたしはこの世界でたくさんの人に出会った。たくさんの人に助けられた。楽しいことも悲しいことも数えきれないくらい経験した。お前のことは嫌いだけど、お前の作ったこの世界は大好きだよ」
神谷沙月は笑う。
これまでの全てを慈しみ、そしてその溢れる想いを全てぶつけるために拳を握りしめる。
「わたしを想ってくれるみんなのため。そしてお前を倒すため。だからわたしは――――わたしたちは、」
ポケットにしまった懐中時計に仲間の想いを感じる。
全員、何もかもがバラバラで、それぞれのために戦ってきた。
しかしこの瞬間完全に想いが重なったと確信できる。
そう。
だからわたしたちは、
「ここにいる!!」
全てを終わらせるため。
神谷沙月は電脳の神と対峙する。




