311.ドラマツルギー
扉の先は研究所の一室のような場所だった。
しかし通常のそれと違うのは、広さ。
白い天井、白い床、白い壁――ファンタジーの世界観にそぐわない現実的な景観がだだっ広いスケール感でミサキの前に広がっている。
広さに対して機材はほとんど存在しない。
いくつかのパソコンが点在していたり、床にコードがのたうっているものの、スペースに余裕がありすぎる。
まるで元々存在する部屋を広さだけ引き伸ばしたかのような違和感がある。
だが違和感と言うならば、まず最初に言及しなければならないものがあった。
「あれって……」
部屋の中央に鎮座する、巨大な円柱型の培養槽。
その中は薄黒い溶液で満たされていて中は良く見えず、目を凝らしながら歩み寄ろうとした時だった。
『よく来たな! 歓迎するぜ――ここまではるばるご苦労さん』
この場の空気にそぐわないほど明るく滑らかな合成音声が響く。
姿はない。どこから襲い掛かって来てもおかしくはない――ミサキは最大限の警戒を全身に宿らせる。
すると空中にホログラムのモニターが展開され、そこには見たことの無い少年の姿が映っていた。
白い短髪に赤く鋭い瞳。理知的な顔立ちには嘲るような色が見て取れた。
ミサキを――全てを見下しているかのような瞳。
あれが白瀬たちが復活させようとしている少年、蛟地。
いや。
「ウロボロス……!」
『哀神から聞いてたんだっけか? そう、この俺が。俺こそが世界最高の究極AI……ウロボロスだ』
この少年がウロボロス。
彼のためにこの世界は……『アストラル・アリーナ』は存在する。
そしておそらく彼こそが、この事態を引き起こした元凶。
運営チームを洗脳し、マリスを生み出し、今もプレイヤーたちを苦しめている。
「フランはどこ?」
『初っ端それかよ、つれねえなあ――もっと楽しいお喋りとかしようぜ』
「しない。早く返して」
ウロボロスは肩をすくめる。
煙に巻くのは無理だと判断したのか、頭上を指さした。
『愛しの錬金術士ちゃんならそこだぜ』
倣って上を見る。
すると真っ白でのっぺりとした天井がうねり、歪み、垂れ下がって――繭のような形になる。
不自然なほど真っ白な繭からは意識を失っていると思われるフランの首から上が覗いていた。
「フラン!!」
「…………ん……」
ミサキが思わず叫ぶとフランは一瞬だけ眉間に皺を寄せるとじわじわと目蓋を開く。
すると自分の置かれている状況に気が付いたのか、一気に目を見開くと身体を揺らし始めた。
「ちょっ、ここどこ!? あたしどうなってるの!?」
『お目覚めか。さっきはよくもやってくれたな』
「あ、あなたもしかしてピオネの中にいた……あたしが勝ったんだから素直に負けておきなさいよ!」
『最初からまともな勝負なんてしてやるつもりねえっつうの』
わずかな嫌悪を滲ませるウロボロス。
しかしそれはすぐになりを潜め、肩を揺らして笑い始める。
『ほんとはすぐに吸収してやりたかったんだがな。どうにも消化に悪いらしいから、きちんと解析した後分解して飲み下してやるとするぜ』
「あたしは離乳食か! くっ、この繭頑丈ね……!」
そんなやり取りを見つめながら、ミサキは動けないでいた。
それは思考にリソースを取られていたからだ。
なぜフランを狙っていたのか?
その理由を尋ねようとした。
しかしそうするとほぼ間違いなくフランが何者なのかということに言及しなくてはならなくなる。
まだ本人には明かしていない真実を、今ここで明かすべきなのか。
ミサキは未だ迷っていた。
しかし。
悪意の塊であるウロボロスはそんな煩悶を鋭敏に感じ取る。
『そうだ、どうして俺たちの”本命”がこのティエラだったのか……教えてやるよ』
「待って……!」
ミサキのとっさの制止を無視して続ける。
その真実を。
『フランは言わば自然発生した心を持つAIだ』
「え?」
ぽかんと口を開けるフランに、ウロボロスはニヤニヤと悦楽に歪んだ笑みを向ける。
『人間に限りなく近く、同時に俺と同じ存在とも言えるこいつを取り込めば、俺は完全なる進化を遂げられる――そう判断したのさ。人間からちまちま集めるよりこいつをまるごといただく方がいい。果汁だけ搾り出すより果実そのものをもぎ取って食っちまうほうが早いだろ?』
ウロボロスが人間に……蛟地になるために不足だったのは心だ。
それを補うために、心を持つ電脳生命体であるフランが必要だった。
だからフランが消えた時、運営は大掛かりなイベントまで開催して協力した。
それは理解した。だが……。
当の本人にそれを明かしてよかったのか。
(良いわけない、だってそんな事実……)
動揺するミサキに構わず、あくまでも滑らかにウロボロスは真実を告げる。
『なあ錬金術士。お前はな、『アストラル・アリーナ』で生まれたんだよ。このゲームのプレイヤーの集合的無意識から生まれた、言ってしまえばみんなにとって都合のいい存在だ』
フランとミサキはそっくり同じタイミングで息を呑んだ。
ミサキは……ウロボロスの語る事実に、納得してしまっていた。
都合のいい存在。
その表現には頷かざるを得ない。
強力なアイテムや装備を提供してくれる相棒――その存在にどれだけ助けられたかわからない。
他のプレイヤーだって客としてフランにお世話になっていた者は多い。
フランがアイテムを作り出す力を持っていたのはそのためだった――――?
『このゲームがサービスを開始し、大勢の人間が『アストラル・アリーナ』に足を踏み入れた時、お前は誕生した。他ならぬ彼ら自身の意識――もっと正確に言えば、”願望”から。『こんな奴がいればいいな』という本人たちも気づかない些細な願いだ。しかしその願いが大量に集まり、この特異な世界と結びついた結果お前が生まれたんだ!」
まったく、オカルトじみてるよなあ……と。
そう結んだウロボロスはミサキに目を向ける。
『なあ、どうだった。楽しかったか? ”お人形遊び”はさ』
「…………っ」
『お気に入りの色の布で、大好きな香りのするワタを包んで――出来上がったコイツはさぞ理想的だったろう。そんな奴といるのは何よりも幸せで、そして……都合が良かっただろうな』
彼は似合わない芝居がかった口調で囁いた。
ミサキは動けない。受け入れがたい現実を心から遠ざけようとしているのに、そこから目が離せない。
フランがいて助けられたことは何度もあった。
いや、その程度のものではない。
フランがいないこの世界での道のりを、ミサキは想像できない。
それほどに助けられていた。
いくつもの装備を作ってもらった。
この腕を、脚を、身体を包む全てがフランの作り出したものだ。
それにこの首のマフラー……《ミッシング・フレーム》も。
マリスとの戦いでは必要不可欠だった。
(――――ああ)
それもまた、都合が良かったということなのか。
手も足もでない窮地を魔法のように解決してくれる。
フランはいつもそんな存在だった。
それに。
彼女がそばにいてくれただけでミサキは。
『想いは混ざり、撹拌し、収束し、そいつを創り上げた。まるでプールの中にばらまいた時計の部品が組みあがるみたいにな』
「……そんなのありえない」
か細い声で、ミサキはそれを否定する。
宇宙が創り上げられるようなものだ。それこそ都合が良すぎる。
だがそれはそんな薄っぺらい理論武装の内側にあるものを直視したくないがためにこぼれ出た反論でしかない。
自分たちに都合よく利用できる存在を作り出してしまったなんて――それがフランだっただなんて、信じたくなかった。
もしかしたら自分でも薄々わかっていたのかもしれない。だが、その事実を目の前に突きつけられたことで、自分が醜悪な何かになってしまったかのような吐き気を感じた。
「その通り。こんな事象はまずありえない――『理論上可能』って言葉はつまるところ『不可能』とほぼ同義だ」
そんな反論は想定済みだったのだろう、ウロボロスは間髪入れずに受け入れる。
「だが……見ろ! こいつは確かに存在する。奇跡が起きたのか、それとも別の要素が混入したのかはわからねえが……ここにある以上は実在するものとして扱い、利用するだけだ」
ことここに至っては理屈は大した問題ではない。
そこに存在する。それだけが肝要だった。
しかしこれまで黙りこんでいたフランが焦燥に駆られた様子で声を上げる。
「ふ――ふざけないで! 何が都合のいい存在よ、何なのよAIって……あ、あたしは……あたしにはちゃんと故郷の記憶だって……」
『それはただの設定だ。フランというお前に偶然付与された記憶でしかない。お前には故郷や、両親だってそもそも存在しねえんだよ』
「嘘よ、そんな……だって……」
『ハハ、お前自体が嘘そのものだろうが! 人間みたいなツラしてショック受けてんじゃねえよハリボテ!』
嘲る声に、フランの声はしぼんでいく。
……自分の記憶が嘘だと言われてまともに反論できる者はどれほどいるだろうか。
これまで歩んできた道も、今生きている自分も後付けでしかないと聞かされれば。
当たり前に立っていた地面が崩れ落ちていくような感覚に囚われてしまう。
そんな中、ミサキは静かに思い返してした。
フランは人間ではないと聞かされたのは、今よりも少し前。
フランが消えた時のことだ。
驚きはした。
しかし、ショックではなかった。
それに、
『かなり驚いたよ。でもそこまで重要なことじゃない。少なくとも、僕にとってはね』
そう言っていた男がいた。
ミサキにとっては気に入らない人物だが、その意見に関しては手放しで同意できたことを覚えている。
そうだ。
そんなことは。
「どうだっていいよ」
『ああ?』
「フランがどういう存在かなんてどうでもいい。わたしはお前を倒して、イベントを終わらせて……フランを助けに来たんだから!」
力強い宣言と共に、拳を硬く硬く握りしめる。
頭上を見上げると、瞳を潤ませたフランと目が合った。
――――大丈夫。
そんな想いを込めて頷くと、フランも小さく頷きを返した。
『おっとさせねえぜ!』
だが、割り込んできた声と共にフランとその身体を包む繭は天井と一体化するように姿を隠す。
同時に部屋の中央に鎮座する培養槽にヒビが入った。
『解析が終わるまでまだ時間がある。それまでてめえはこいつと遊んどけ』
槽が割れ、溶液が溢れ出す。
その中から現れたのは、近未来的な黒いボディスーツに身を包んだ男。
その顔には見覚えがあった。
「白瀬さん……!」
『何か月もマリス漬けにした実験体だ! さあ楽しもうぜ、待ちに待ったラスボス戦だ!』
以前起きたマリス事件において黒幕として矢面に立った男、白瀬。
リアルの彼は今も病院で意識が戻らない状態だと聞いていたが……まさか。
あのままログアウトを許されず、ずっとこの世界に幽閉されていたのか。
まるでゾンビのような動きで這いだす白瀬の姿に思わず息を呑む。
邪悪たるAI、ウロボロスの哄笑が響く中――最後の戦いが始まった。




