306.月よりはばたく黄金の鳥
ピオネを無敵たらしめているイリーガルを打ち破る。
フランの切った啖呵に、ピオネは鷹揚に応じる。
「何度でも言おう。僕のイリーガル、『四鳥別離』にはいかなる属性攻撃だろうとダメージを与えることはできない」
「その『できない』を覆すのが錬金術士よ!」
錬金術士は黒い宝石の指輪を前にかざす。
《イミテーション・リンカー》。マリスを倒すために必要な、マリシャスコートを纏うための装備。
だが、
「何をしようって言うんだい? ボクはマリスじゃない。そんなものを使えばますます攻撃が通らなくなるだけだよ」
「――――界到」
遮るように、その軌道コードを口にする。
宝石がはじけ、いくつもの黒い水滴と化し、フランの身体に吸着したかと思うとそれらは薄手のイブニングドレスへと変化した。
マリシャスコート深度2、『トワイライトジョーカー』だ。
「どちらにせよ同じことでしょう。あたしがマリシャスコートを纏ったのは、今から調合を始めるため。あなたを倒すためのアイテムをね」
「調合だって?」
「【アンプ・ミックス】」
ぱちんと指を鳴らすと、目の前の地面に銀河のミニチュアのような光の渦が現れる。
フランのマリシャスコートの力である【アンプ・ミックス】は戦闘中に調合を行うスキル。
あらかじめ持ち込んだ素材だけでなく、その場にあるあらゆるものを使って新たなアイテムを作り出す。
「あははっ、どうせ錬金術士である以上、属性が付与されたアイテムしか作れないんだから好きにすればいい――と言いたいところだけど!」
ズバッ! という轟音を鳴らし、ピオネの背中から巨大な炎翼が飛び出した。
翼を構成する羽根ひとつひとつがとてつもない熱量を秘めた炎だ。
羽ばたくだけで周囲を焼き尽くす圧倒的な炎撃の準備が整った。
「ボクは君を侮らない。徹底的に、完膚なきまでに叩き潰す!」
翼が弾ける。
全ての炎の羽根がマシンガンの掃射のようにフランへと殺到する。
だが、フランもまたすでに動き出している。
「《キープキャプチャー》!」
鋭い声に反応して虚空から飛び出した光の網が、炎羽の弾幕を取り込んでいく。
これもまたマリシャスコートに付随した力。崩れた石柱の破片だろうが、沈みゆく夕日だろうが何でも”採取”してしまうアイテムだ。
「それで防御しようって腹積もりだろうがそうはいかないよ!」
弾幕の範囲が変わる。
フランを集中的に狙うのではなく、広く放射状へと。
これですべてを取り込むことはできない。しかし網から逃れた火はフランの近くに着弾し、爆風を巻き起こす。
「きゃあっ!?」
吹き飛び転がるフラン。
同時に【アンプ・ミックス】の渦も消える。
「無限の可能性とはよく言ったものだ……このゲームの枠に収め切れない君は確かに何をしでかすかわからない!」
畳みかけるように巨大な竜巻が顕現する。
迫りくる竜巻は、その風全てが鋭利な刃。
巻き込まれれば微塵切りになってしまうだろう。
「……ッ、掴め!」
フランが竜巻へと手をかざすと、トレースしたかのような動きで《キープキャプチャー》が膨張し、竜巻へと覆いかぶさる。
荒れ狂う暴風と数秒の間せめぎ合っていたが、さらにサイズを大きくした網が無理やり取り込むことで風が止む。
「なかなかしぶといね……これならどうかな?」
息もつかせないとばかりに地面に叩きつけたピオネの両手から一瞬で氷が広がる。
文字通り瞬きの間。一瞬で一帯に波及した冷気は足元を駆け巡り、フランの両足を氷漬けにした。
「……っ、動けない……!」
「言うのを忘れてた。君がマリシャスコートを纏おうがこちらの攻撃は当たるよ。君が努力で成し遂げたマリス特攻を、ボクなら指一動かすことなく可能にする――なにせボクはマリスの源なんだからね!」
「それは、ピオネが? それとも……”あなた”が?」
ピオネは……その中に巣食う何者かは、ピオネ本人がしたことの無いであろう邪悪な笑みを広げる。
それが答えだった。この『元凶』からマリスは生まれたのだ。
以前ピオネが街を襲撃した時、倒されたマリスの破片をこともなげに吸収していたのが引っかかっていた。
その身に取り込めば心身まで感染するはずなのに、その時は全く影響を受けていなかった。
マリスの元凶であるピオネは悠然と笑っている。
その目前にあたりの地面に落ちたいくつもの石ころが集まったかと思うと、岩の槍へと姿を変えた。
「さて、正直飽きてきたしそろそろ終わりにしようか。これからやることが山積みなんだ」
どすっ、と。
《キープキャプチャー》が間に合わないほどの速度で射出された岩の槍は奇をてらわず真っすぐに、フランの胸へ突き刺さった。
「ぐ……う……網よ、お願い……!」
掠れた声で呼びかけると、光の網は足元の氷と胸を貫いた岩槍を吸収する。
しかし受けたダメージまでは無効にできない。
フランが膝をつくと同時、HPがゼロになった。
ピオネはその姿を冷めた瞳で見下ろしていた。
「死んだふりはやめなよ。あるんだろ? 復活する手段が」
その言葉を証明するかの如くフランの身体から溢れ出した緑色の光が彼女のHPを回復させていく。
《エリキシル・フローラ》。HPがゼロになったとき発動し、所持者を復活させる。
だが発動するたびに代償として最大HPが大幅に削られてしまうというデメリットを持つ。
薄いガラスが割れるような音がフランの懐からした。
それは《エリキシル・フローラ》のビンが砕けた音。
これ以上削れる最大HPが無くなったことで効力が消滅したのだ。
フランが座り込む眼前に、炎の翼が突き付けられる。
今すぐにでもとどめを刺せる距離だ。
「これで完全に積みだね」
「ええ――あなたがね!」
突如として、目も眩むばかりの輝きが炸裂した。
それに伴い起こった突風がピオネを吹き飛ばし、彼我の距離が離れる。
着地したピオネは顔を上げる。
見えたのは、フランの目の前で渦巻く光。【アンプ・ミックス】を再発動したのだ。
しかし、この期に及んで調合?
意味は無いはずだ。彼女の作るものは一切がこのアバターには通らない。
その事実を理解しているはずなのに、どうしても不快な直感が脳裏をかすめてしまう。
この女なら。
何かをしでかすのではないかと。
もしかしたら生まれて初めて焦燥に駆られるという経験を味わう『元凶』に対し、フランはあくまでも勝ち誇り笑う。
しかしその内心は――――
(微塵のミスも許されない。失敗したら全てがおしまい)
これから行う一連の調合は、これまで経験したことがないくらい困難なものになる。
成功以外は絶望へ直結する。
剣を握る手が震えているのがわかる。
(だけど)
この力は何のために在るのか。
最初は自分の存在を知らしめるためだった。
――――優秀な母なんて関係ない。あたしはあたしだ。
そんな現実への反抗とも言える想いで錬金術という力を振るっていた。
だが今は違う。
(ねえ、ミサキ。あなたは知らないでしょう。あたしがあなたにどれだけ救われているかを――――)
振り回しても、拒絶しても。
彼女は当たり前のように手を差し伸べてくれた。
いつも一緒にいてくれた。
暗闇にこそ道を照らしてくれる月のように、がらんどうだったアトリエに光を差してくれた。
この世界でたった一人きりだった自分に愛をくれた。
手の冷たさが引いていく。
震えが止まる。
進むしかない。
その先にしか勝利がないのなら。
「観客がひとりだけってのは不満だけど見せてあげるわ。このあたしが……一世一代の錬金術を!」
もはや一粒の恐れも彼女にはない。
今もどこかで戦っている相棒が、きっと信じてくれているはずだから。




