305.エレメンタル・シャッター
最上階。
拳と拳が、脚と脚が、肉体と肉体がぶつかり合う音がマシンガンの射撃音のごとく連続する。
黒髪の少女、ミサキとタキシードの男、哀神が熾烈な打ち合いを続けていた。
(強い……!)
ミサキと同じ徒手空拳。
しかしその戦闘スタイルには大きな違いがある。
ミサキが本能で戦う決まった形の無い喧嘩スタイルだとしたら、哀神は練り上げられた型を持つ中国拳法のような立ち回りだ。
鋭く、正確で、徹底的。
動きが読みやすいということも無い。
反応しにくい角度から、反応しにくい速度で変幻自在の殴打が襲い掛かってくる。
苦悶の表情を浮かべているミサキに対し、哀神は涼しい顔をしている――そもそも彼はいつも真顔なのだが。
「あのティエラ……フランさんとは友人だそうですね」
「……っく……そうだよ……。だからなんなの……!」
一手一手が死につながる読み合い。
そんな最中、哀神はわずかに躊躇うような表情を見せた。
それはもしかしたら錯覚だったのかもしれない。窮地に立たされたミサキの見間違いだったのかもしれない。
しかし哀神は次にこう続けた。
「……彼女は私たちにとっても重大な存在です」
「マリスの力が使えるから? だからこのイベントで、わたしとフランを倒せばログアウトできるなんて条件を出して――――」
違う。
と、そこで気づく。
だとしたら彼らに都合のいい状況が一度だけあったはずだ。
あの、フランが消えた時。
しかし、フランを復活させようと協力してくれたのは他でもない哀神たち運営の人間。
それはどうして?
フランが邪魔ならそのまま捨て置けばよかったのだ。
だとしたら――――
「……っ! なんでこんな簡単なことに気づかなかった……!?」
今更になって思い至る。
彼らの”本命”を。
極大の炎熱に身を焼かれながら、フランの意識は曖昧になりつつあった。
光の粒が流星群のごとく自分の周りを流れていく。
そのひとつひとつに、これまでフランが経験してきたこと――思い出が映し出されていた。
(……うっそー。もしかして走馬灯?)
フランがそうしていたのはおそらく瞬きにも満たない間のことだっただろう。
しかしそのわずかな時間に極めて膨大な情報量が頭の中をめぐる。
その情報の群れを、少しずつ手繰り寄せていく。
統一感の無いバラバラな集合から、必要な記憶だけをかき集める。
走馬灯はピンチを乗り切るために以前の経験から打開策を見つけようとする脳の働きだとする俗説がある。
ならばそれに則ろう。
(あいつの無敵性は、いったいなに……?)
こちらの攻撃はことごとく無効にされる。
防がれているというより、届かない。そして攻撃を受けるピオネが何かをしている様子は無かった。
そよ風でも受け止めるかのように平然としていた。
ラブリカもまたそうだったらしい。
一切の攻撃が通じなかったとか。
しかしピオネが唯一回避行動を取ったときがあった。
あれはたしか、ユスティアが乱入してきた時だったか。
そして錬金術士ではどうやっても勝てない。
それが事実だとしたら。
それらの情報を繋げていくとある仮説が浮上する。
自分の行う攻撃の共通点――意識したことは無かったが、もしこの推理が正しければ、確かに奴は錬金術士の天敵だ。
(……なるほどね。”こいつ”はあたし対策に配置された駒だったってことか)
その時、ひとつの記憶が頭をよぎった。
現在対峙している相手とは関係の無い、大きくさかのぼった記憶だ。
ミサキと初めて出会った時のことをフランは思い出していた。
(大丈夫よ。心配しないで――きっと勝つから)
回想が終わる。
とたん熱が身体を巻き、フランは地面に転がった。
視界が赤い。崖っぷちだ。
「まだ生きてるんだ。意外にしぶといんだね」
霞む視界の中、ピオネが悠々と歩み寄ってくる。
驚いたようなことを言いながら、これで殺せるとは毛ほども思っていない声色だった。
もしかしたら倒すのが目的ではなくわざと瀕死に留めたのかもしれない。
それなら好都合だ。
まだやるべきことは残っている。
「ちょうどいい。これから君を――――」
その伸ばされた手を。
弾かれたように上体を起こしたフランが掴み、そのままの勢いでピオネの額に自らのそれを全力でぶつけた。
「うぐぁっ!?」
「いった……!」
渾身の頭突き。
ダメージとしてはわずかなものだが、ピオネもさすがに動揺したらしくふらついた隙にフランは素早く後ろに跳んで距離を取る。
「な、なかなか大胆じゃないか……でもその程度の攻撃じゃボクは倒せないよ」
「わかったわ、あなたのイリーガルが」
「……へえ。今ので?」
ピオネはあくまでも余裕を崩さない。
フランなら気づいて当然だと、むしろ満足しているような顔だった。
何もかも思惑通りなのは気に入らない。
しかし。
これから先は、その想像を超えてみせる。
「あたしの錬金術には特徴がある。それは全てのアイテムに属性が付与されているということ」
例えば適当に作った爆弾ひとつとっても必ず火属性を持って生まれてくる。
無属性に見える巨大な機神は地属性だし、錬金剣が生み出す流銀は水属性。
武器や素手による通常攻撃だけはその法則から外れるが、例外はそのひとつだけだ。
その通常攻撃……今しがた放った頭突きは見事にクリーンヒットした。
そしてもうひとつ、ユスティアのスキルを回避した時。
あれはたしか単なる物理属性の技だった。
単純な物理攻撃だけは無効にできない。
いや、もっと正確に言うならば。
「あなたはそんな属性を伴う攻撃を完全に無効にする――そうよね?」
思えばピオネはこちらの攻撃を受けるだけでなく、炎や風などを使って押し返すといった戦法をよく使っていた。それもまたイリーガルの正体を隠すためだったのかもしれない。
フランの言い放った推理を受けたピオネは、笑っていた。
口の端を曲げた邪悪な含み笑いが廃工場に響き渡る。
「くっくっ……まあいい加減気づくよね。もっと正確に言えば、ボクのイリーガルは地水火風の四属性を持つ攻撃を完全に無効化する。名前は『四鳥別離』だ」
四属性完全無効。
それはフランにとって絶望的な事実だった。
まずこのゲームにおける属性は物理と魔法に分けられ、そこに合わせて地水火風の四つが存在する。
ゲームのシステムとして、確かに錬金術士は四属性を伴う攻撃しかできない。
数少ないスキルもまた例外なく属性持ちだ。
つまりピオネに通じる攻撃は錬金剣で直接切りかかるか、全てをかなぐり捨てて素手で殴りかかるかしか道がない。
そして基本ステータスが低めのフランがそんな戦法を取れば、どうあがいてもピオネには勝てない。
八方塞がりとはこのことだ。
気づけば視線が下を向いていた。コンクリートのような灰色の地面が見える。
ピオネはそんな姿を満足そうに眺め、笑みを深めていく。
「かわいそうにね。ここまで必死に戦ってきたのに、やっとの想いでたどり着いたのに、最後の最後で絶望が待っている。まあこのために設計したイリーガルなんだけど。一応ね、君が入るドアがボクのいる部屋に繋がるように設定してはいたんだよ。なのに君は最後までどこにも入らずに……まあこうして会いに来てくれたから構わないけどね」
朗々と。
至極楽しそうに、同時に邪悪に、ピオネは――”何者か”は語る。
錬金術士の特徴を知った上で作り出したイリーガル。
確実にフランを狩り取る目的での配置。
あとは罠にかかった哀れな小動物をいかようにして美味しくいただいてしまおうか。
そんな捕食者に目を付けられた錬金術士は、しかし。
あくまでも静かにその口を開く。
「――――なんだかもう勝った気でいるみたいだけれど」
「うん?」
「あたしを見くびってもらっちゃ困るわね」
そうだ。
全ての攻撃が通用しない?
ならば。
「錬金術士の本懐は法則の否定。鉄を金に、限りある命を無限に――常に限界をぶち壊していくのが錬金術士なんだって思い知らせてあげるわ!」
今までずっとそうしてきた。
全ての攻撃が通用しない。
ならば。
新しく作り出せばいいだけのことだ。




