304.エレメンタリー
黒鉄の塔、3階。
打ち捨てられた廃工場のような場所にフランは足を踏み入れた。
かつて存在したと思われる機材などは一切取り払われ、広々としたスペースは一抹の寂しさを感じさせる。
だがそんなものはフランの目には入らなかった。
「その子から離れなさい」
「やあ、来てくれてありがとう」
濃密な怒気を含んだ声に怯みもせず、銀髪ゴーグルにオーバーオールの錬金術師、ピオネは両手を広げて迎える。
……うつぶせに倒れたラブリカの背中に腰かけながら。
この工場へ繋がる扉をくぐる際に表示されたウィンドウは、最初見た『定員 1/2』とは違う文言を表示していた。
フランが先ほど目にしたのは『定員 2/3』という表示。明らかに設定が変更されている。
「……あ……フラン、さん……」
倒れたままか細い声を上げるラブリカは、桃色に彩られた魔法少女のような衣装のあちこちがずたぼろで目も当てられない状況だった。
死ぬ一歩手前までさんざん弄ばれたことは想像に難くない。
「何度でも言うわよ。その子から離れなさい」
「あはは、君に指図される筋合いはないんだけどね」
ピオネは頑なに立ち上がらない。
ヘラヘラと笑みを浮かべる様にフランは頭に血が上る感覚を味わったが、何とか理性で抑え込む。
ここで感情に任せて戦えば間違いなく返り討ちだ。前回戦った時はなすすべもなく敗北した。そしてそのメカニズムは今も解明できていない。
「ボクらは君たちの様子をモニターしているんだけどさ。君が来てくれるってわかったから設定をいじらせてもらったよ」
「そんなことをする意味がどこにあるってのよ」
「えー? そんなの決まってるだろ。こうして君のお仲間とご対面させてあげるためさ。ボクって優しいよね」
ガツン! と甲高い音が工場内に反響する。
フランが長杖で思い切り地面を突いた音だった。
「ふざけないで」
「珍しく怒ってるねえ。君ってこのピンクちゃんのことそんなに好きだったっけ?」
「そうよ。その子は……大事な友達だから」
「フランさん……」
出会いこそ最悪だったものの、今のフランはラブリカのことを大切に想っている。
ラブリカもまた同じ想いを抱いていて――しかし。
ピオネはそのことをすでに把握している。だからこそこの状況を作り上げたのだ。
「いいね。麗しい友情ってやつだ。でもさ、この子がもっと強ければこんなことにならなくて済んだのにね」
「何ですって?」
「知ってるよ。君……ラブリカって言ったっけ。フランちゃんに貰った武器で強くなれたって思ったんだよね? 巨大なドラゴンを倒して、カンナギまで倒して。本気で強くなれたって、これでミサキちゃんたちの役に立てるって勘違いしちゃったわけだ」
「……っ」
ラブリカは思わず唇を噛みしめる。
反論できなかった。言う通りだと思ってしまった。
心の隙間に刃物を差し込まれたかのような冷たさに、羞恥と悔恨が溢れ出る。
「中途半端に強くなったから痛い目を見るんだよ。こんなに情けないことになって、わざわざフランちゃんに尻拭いさせることになっちゃってさあ――君って何のために生きてるの?」
「黙りなさい!」
響く怒号に一切怯まず、なおもピオネは口を開こうとして――遮る声があった。
「先輩のためですよ……」
「うん?」
「弱いとか、強いとか、関係ないんです。たとえ足手まといになっても私はあの人と共にいます。だって、あの人はきっと、ひとりにしちゃダメな人だから」
弱々しい声だった。
耳を澄まさねば聞き取れないほどに小さな声だった。
しかしそこには真っすぐに打ち立てられた強固な信念が宿っていた。
「好きだから一緒にいるんです。できることをするんです。力の限り戦うんです……あなたの味方がここにいるよって伝えないといけないんですよ……!」
このイベントが始まったことで全てのプレイヤーが敵に回った。
ログアウトするにはこの塔を攻略するか、ミサキとフランを討伐する。
そんなクリア条件のせいで孤立しかけたミサキたちへと真っ先に手を伸ばしたのはラブリカだった。
『沙月さんはね、あれですごく寂しがりやなんですよ。だから後輩ができて喜んでると思います』
ある人がそう言っていた。
きっと沙月はこの状況で孤独になることを恐れていたはずだ。
「私は弱かった。あなたには私の攻撃が一切通じなかった。でも、きっと無駄じゃない。そこにいる錬金術士さんが、絶対にあなたを――――」
どすっ、と。
全てを断ち切るかの如く、いつの間にかピオネが握りしめていたツララが振り下ろされた。
氷はラブリカの心臓を貫き、わずかに残っていたHPを全損させた。
「……フラン、さ……おねが……」
かすかな呟きの中、ラブリカのアバターは砕けて青い破片と化しピオネへと吸収された。
「あー、なんかつまんないな。フランちゃんが来た時すぐに殺しておけばよかった」
心の底から面白くなさそうにため息をつくピオネを目に、フランは震えていた。
ここまで怒りを覚えたのは生まれて初めてだった。
こいつだけは絶対に許しておけないと、握りしめた拳が痛いほどだった。
「……殺す……!」
「それそれ、そういうのを待ってんだ!」
あくまでも笑顔を浮かべて鷹揚に腕を広げるピオネ。
フランは怒りに任せて杖を振るうとその外装が砕け、中から紅の刀身を持つ長剣――《錬金剣ファントムラピス》が顕現した。
「あああああっ!」
力任せに振り抜いた長剣から銀の飛沫があたりに飛び散ると、それらは空中で固まり槍のような形状へと変化する。
頭に血が上っていることは自覚している。
冷静にならなければ勝てないということも理解している。
それでも荒れ狂うこの感情に任せないと、内側から焼き尽くされてしまいそうだった。
「【アラトロン・ガンブラー】!」
ぱちん、と指を鳴らすのと同時、流銀の群れが殺到する。
轟音が連続し、砂塵を吹き散らす。
だがピオネはこともなげにその場に立ち続けていた。先ほどまでとまるで変わらない笑顔を浮かべたまま。
「くっ……」
「いいね――悔恨、憤怒、困惑、恐怖! もっと君の感情を見せてくれ!」
ピオネは意趣返しのつもりなのか同じように指を鳴らし、風の丸鋸を四つ射出する。
空気で構築されているからか、目視できない。先ほどラブリカを最初に切り裂いた技がフランを襲う。
回避は不可能と判断した錬金術士は素早く懐から数枚の紙片を取り出すと空中にばらまいた。
「《シキオリガミ》!」
地水火風、それぞれの属性を持った人型の紙片四枚が意志を持ったように飛び、丸鋸と激突し、爆散する。
フランは自分の頭が冷えていくのを感じていた。通用しなかったとはいえ、全力で攻撃したのが功を奏した。
今は敵のメカニズムを解明するのに専念すべきだ。ピオネは自分から明かすつもりはないらしい。と言うよりフランが自力で解き明かすのを期待しているかのような振る舞いだ。
こちらの攻撃は通じない。少なくとも、今まで試したどの攻撃もピオネに傷ひとつ付けられなかった。
彼女のイリーガルが無敵だとすれば――浮かんだ最悪の予想をすぐに打ち消す。
あの享楽主義的な性格からして、そんなことをしては詰まらないと感じるタイプだ。
(っていうかそうじゃないと困る……!)
考えろ。
ピオネと――あの何者かに支配された状態のピオネと戦うのは二度目だ。
何かヒントは無かったか。
『君は錬金術の可能性がどうとか言ってるけど、結局それはシステムの域を出ないんだよ。たまに逸脱する事はあるけど……まあそれも範疇だよね。どうあがいても確率が100%を越えないように、君という存在にはどうしようもできない領域がある』
ふと、彼女の言葉が頭をよぎった。
フランと言う存在にはどうしようもない。
つまり、フランの攻撃には何か共通点がある。
そして、ラブリカも一切の攻撃が通じなかったと口にしていた。
今の彼女はフランの武器を使って戦っていたはずだ。
(あたしの……錬金術士の、なにか――――)
「さて」
思考を断ち切るその声は背後から聞こえた。
頭を巡らせていたとは言え、視線は離していない。
ピオネの身体に薄く風のエフェクトが纏っているところを見ると、一気に高速移動したのだろう。
そしてその手には凝縮された炎塊が握られている。
「クイズ番組じゃないんだ。これは勝負なんだから、当然ボクからも攻めるのが当然だよね」
フランが対応する間もなく、極大の炎が炸裂した。




