296.どこまでも行ける気がした
”彼”は私たちのグループに後から入ってきたが、気づけばあっという間に中心人物になっていた。
溌剌としていて、溢れんばかりの叡智を持っていた彼のことを誰もが好きで、彼もまた私たちのことが好きだった。
中でも彼に特別な感情を抱いていたのが私だった。
もしかしたら私が知らないだけで他にもいたのかもしれないけど。
『わ、私って暗いから……クラスの子たちと仲良くなりたいのに上手くお話できなくて……へ、へへ……ダメだよね。何度挑戦してもうまくいかないんだ……』
『なに言ってんだよ、苦手なことを頑張れるのってすげーじゃん! 麻耶ならいつか友達いっぱいできるって!』
『そ、そうかなあ……えへへ、嬉しいな。でも上手くいかなかったらどうしよう』
『そん時は俺がいるから大丈夫だよ! 辛かったら逃げて来いよな』
その、朗らかな笑顔に。
私の世界はきらきら、きらきらと――星がちりばめられたかのように輝いて。
これから先の未来で何があろうと、蛟地くんさえいれば大丈夫って思ってた。
だから目の前で彼が車に撥ねられた時は世界が終わったのだと思った。
彼の身体が小さな人形みたいに吹っ飛んで――それからはよく覚えていない。
喉が裂けんばかりに叫んだような気もするし、叫び声すら上げられなかったような気がする。
死体は確認できなかった。現実を受け入れるのが嫌だった。
しばらく固まったあと、がむしゃらに走って走って、いつの間にか自宅に帰っていた。
きっとその場にいる全員が私と同じだったんじゃないかと思う。
深い深い絶望の底に落ちて、どうすればいいのかわからなくなってしまった。
彼は私たちにとっての光だったのだ。
光を失えば……そう、ひたすらに暗闇が広がっているだけ。
何も見えずどこにも行けない。
だから私たちは求めたのだ。
私たちの光。彼との再会を。
黒鉄の塔・5階。
墓場を舞台に陰鬱メイドとゴスロリチャイナネクロマンサーが激突していた。
ネクロマンサーであるライラックは開幕から【軍屍・渇亡】によって数々の亡者を召喚済みだ。
数の暴力という単純にして勝負を決する力を持ってメイド服の女性、アドマイヤを打ち倒さんとする。
しかし薄暗い墓場に突如として黄金の輝きが満ちる。
その光は亡者をも焼き切らんばかりに鮮烈だった。
「死者をも殺す冥王の息吹――【タナトス】!」
起動コードと共にアドマイヤの手から真っ黒な突風が現出する。
「う……くっ……!」
放射状に放たれたその風に触れたそばから亡者たちが消滅していく。そしてその後ろに構えていたライラックもまた、”残り香”に触れたことでHPが急激に減少する。
【タナトス】。
アドマイヤの放ったその技はグランドスキルだ。
超高難度のクエストをクリアしたものだけに与えられる最強のスキル。
その効果は絶大で、放てば勝利が確定するほどに逸脱したものばかりだ。
運営側のアバターなのだからそれを搭載することくらいはお手の物だろう。
それ自体はいい。
グランドスキルは最強であっても無敵ではない。
例えば発動には時間経過・与ダメージ・被ダメージで溜まるゲージを満タンにする必要があるし、発動後には長大な技後硬直がある。つまり発動側にもそれなりのリスクがあるのだ。
決して容易ではないことが大前提とは言えグランドスキルを凌ぎきることができれば一気に勝利を手繰り寄せることができる。
つまり、発動すればその時点でどちらが勝つにせよ勝負を終わらせる力を持ったスキルというわけだ。
しかし、
「またゲージが溜まってる……!」
「さ、さあ、もう諦めた方がいいんじゃないかな」
アドマイヤの持つイリーガル、『堂々巡り』はそんなグランドスキルの欠点を全て帳消しにする。
ゲージは常時マックス、技後硬直は10割カット。それはつまりグランドスキルが撃ち放題ということを意味している。
常時――とは言ったが、発動後にゲージが溜まりきるまで少しインターバルはある。しかしそれは一呼吸分の間でしかない。
対面しているライラックからすれば間髪入れずに次が飛んでくるくらいの感覚だ。
(こ、こんなの何度も撃たれてたらどう考えても持たないよ……!)
アドマイヤを【インサイト】で覗いた限り全体的に基礎ステータスは高くない。
だからこその強力なイリーガルだ。ライラックは知る由もないことだが、アバターが強ければ強いほど搭載できるイリーガルのスペックが制限されるとクルエドロップは口にしていた。
すでに度重なるグランドスキル――【タナトス】によってライラックのHPはすでに危険域にまで削り取られている。
そしていまだに完全な対処ができていない。
あのスキルの効果がわからない。少なくとも単純なダメージではない。ダメージエフェクトが出ていないからだ。
「ねえ、ら、ライラックさんって言ったっけ。さっきから攻撃のひとつもできていないじゃない。降参してくれた方が嬉しいんだけどなー……起動コード何度も唱えるの疲れるし……これ以外の攻撃ろくにできないし……」
アドマイヤの言う通り……いや、攻撃どころか接近すらできていない。
グランドスキルしかできないというのも嘘ではなさそうだ。と言うより、それ以外使う必要がない。
今もアドマイヤの身体は黄金のオーラに満ち溢れ、グランドスキルの発動条件が整っている。
亡者を壁にして黒い突風を遮ろうとしても、触れたところから紙屑のように消滅してしまい防ぎきれない。
どうにかして突破口を見つけなければ。
(……私がここで負けるとしても……)
きっと誰かが自分の後に戦うことになる。
ならばその誰かに伝えなければならない。
あの【タナトス】への対処法を。
突風は長射程広範囲で瞬く間に届く。
回避は困難だ。敵に向けて手の平をかざし放つだけで簡単に命中するだろう。
それでもカンナギの【ケラウノス】ほどの問答無用さは無い。
本来ならグランドスキルの中でも弱い方に位置していただろう。
だがそれが連射できるとなれば話は別だ。
回避ができないなら防ぐしかない。そして一瞬の隙に至近距離まで近づくことさえできれば勝機があるだろう。
「【タナトス】!」
何度目かの発動。
同時にライラックが振った手に反応して亡者たちが盾となる。
しかし、やはり消し飛ばされる。そのまま残り香がライラックのHPを削る。
もう一、二度食らえば死んでしまう。そして召喚した亡者のストックは切れてしまった。
ライラックは苛立ったように足で地面を擦る。
「距離を取っても意味ない……!」
ライラックは棺桶を軽々と背負って走り出す。
その目線の先ではすでにアドマイヤが”装填”を完了していた。
「あ、会いたい人がいるの。邪魔しないで……!」
幾度目かの【タナトス】。
死を運ぶ風が襲い掛かる――しかし対するライラックにいつの間にかあたりに充満していた瘴気が纏わりついていた。
「【死套】!」
瘴気はライラックの全身を取り巻き、どろりと粘つく闇のごとき禍々しい装束と化した。
【死套】は【軍屍・渇亡】で召喚した亡者が全滅した時に発動するスキル。
近くにいるプレイヤーのHPを自動的に吸収する効果があるが、
「【タナトス】……!」
死の風によって装束が見る間に削り取られる。
しかし同時にHPを吸収することによって即死を免れた。
ライラックの足は止まらない。距離を縮め、そのまま大きく跳躍し、アドマイヤへと飛びかかる。
【タナトス】の強みであり欠点は、ダメージを発生させないただの風であることだ。
HPを削るだけで吹き飛ばしはしない。だから被弾覚悟で突っ込むことができれば無視できる。
だが。
「ま、まだだよ……何度でも使えるんだから……」
上空から襲い掛かるライラックに手をかざし、再び【タナトス】を発動する。
【死套】はもうない。防ぐものはもう何もない。
しかし。
(お姉ちゃん……)
今も塔を登っているであろうリコリスへと想いを馳せる。
両親が蒸発して。預かった義父は冷淡で。
莉羅の味方はただ一人、珠華しかいなかった。
リコリスが自分を拒絶し始めてもそれは変わらない。変わらなかった。
今、姉は自分に歩み寄ろうとしている。
ならばこちらからも手を伸ばさねば。
(お姉ちゃん……!!)
そう思えばいくらでも力が湧いてくる。
どこまでだって行ける気がした。
「みんな、お願い……【軍屍・地獄変洞】!」
勢いよく開いた棺桶から、土石流のごとき勢いで亡者が吐き出される。
それは死の風に触れたそばから消滅していくが、とてつもない質量によってライラックへ届くのを妨げている。
「な……!」
ここで初めてライラックはタナトスを防ぎ切った。
そして当然、亡者が全て倒されたなら。
「【死套・浄土災禍】」
顕現したのは巨大な怨霊。
無数の亡者が倒されたことで空間に残留した圧倒的な瘴気がライラックを中核とし、その姿を現出させた。
どろどろと身体のあちこちが溶けだしたおぞましい巨体がアドマイヤへと覆いかぶさっていく。
「ひ……!」
アドマイヤは顔を引きつらせながらも、もう何度目かも知れない【タナトス】を発動する。
怨霊に抱き着かれながらも、恐ろしい勢いでHPを奪われながらも。
死の風はそれ以上の速度でライラックの命を亡きものにしていく。
(ああ――やっぱりだめだったかあ)
ただのスキルが、グランドスキルを上回ることはできない。
もしかしたら何とかなるのではないかと思っていたが、そう甘くは無かったらしい。
序盤にHPを削られすぎていなければあるいは――しかしもはや後の祭りだ。
ライラックの纏った瘴気が消える。そして力を失った身体はずるりと地面へ倒れ伏した。
(ごめんねお姉ちゃん。ライラ、やっぱり勝てなかった)
「あ……はは、やったあ! や、やっぱりあの人からもらった力が負けるはずないんだって!」
誰かが何かを言っているが、もうろくに聞こえない。
薄れゆく意識の中で、ライラックはただ思う。
(でもきっと……誰かが代わりに……出来ればお姉ちゃんがいいなあ……)
昔みたいに、困ったときに姉が助けてくれたら。
そんな夢のような希望を胸に、ライラックはその瞼をゆっくりと閉じた。




