293.愛の雷
紅の貴婦人、カイロマリアは張り付けた笑顔を深め、日傘をくるくると回す。
するとその先端からぽんぽんと軽快な破裂音を響かせて、スーパーボールほどの球体が矢継ぎ早に打ち上げられていく。
カイロマリアのイリーガルは『非攻略対象』。
誰も彼女を攻撃対象に出来なくなる力。
さっきまでカンナギが続けていた必死の攻勢が一切通じなかったのはそのためだった。
振り下ろした剣を持つ手が勝手に捻じれて軌道が変わる。放った雷はあらぬ方向へ飛んでいく。
全てを拒絶する力――何人も彼女を捉えることは敵わない。
「さあ、呆けていると雨に濡れてしまいますわ」
その声に思わず天を仰ぐと、さきほど射出した球体が満点の星空のごとく視界を彩っている。
だが、それらは星ではない。ゲームの世界に重力という概念は無いが――空中に存在するものは例外なく下に落ちるようプログラムされている。
だから、彼女の言葉通り。
爆弾は雨のように降り落ちていき、我先にと着地したひとつは大爆発を起こす。
それを皮切りに隙間なく落ち続ける無数の爆弾はそこかしこで爆発を起こし始める。
「ぐあああああっ!」
幾重もの爆炎が、爆風がカンナギを焼く。
一発一発が洒落にならない威力だ。
いくら『勇者』が基礎ステータスに優れていると言えども、優秀な装備で身を固めていると言えども。
これだけ受ければHPは急激に減る。
しかしカンナギが見据えていたのはそのHPゲージではない。
(――――防御した)
視界を塞ぐ爆炎の中、カンナギは確かにその目で捉えた。
カイロマリアは確かに爆炎を防いでいた。一時的に大盾のごとく肥大化した傘を使って。
「わたくし見ていましたのよ。これでも運営チームですから――名の高いあなたのことは、たまにね」
「……へえ、それは光栄だな」
「あなた、あのティエラが好きなんですってね」
ティエラ。
それはこの世界に偶然生まれ落ちた生命体であるフランを指す言葉だ。
人の意識の集合から生まれた彼女はこの世界からプレイヤーがいなくなるだけで霧散してしまうようなおぼろげな存在。
「それがどうしたんだい?」
「ええ、ええ。わたくし共感してしまいましたの。あなたとわたくし、とても似た想いを持っているから」
似た想い。
カイロマリアは愛する人のため戦うと言っていた。
そしてそれが本当ならばその愛する人とは。あの方とは。”彼”とは――――。
そんな思考を断ち切るように貴婦人は深いため息をつく。
「でも似ているからこそがっかりですわ。あなたは愛の何たるかをなにも理解していないのだから」
「理解してない……?」
「ええ。あなたの愛は押し付けてばかり。愛に茹だった頭で、相手の気持ちなんて考えもせず。そんなことだから小柄なあの子……ミサキちゃんに負けてしまったのよ」
カンナギは思わず閉口する。
それは怒りを覚えたからでも羞恥を抱いたからでもない。
彼女の言う通りだと納得してしまったからだ。
去年の冬ごろ。
カンナギはフランと出会い、一目惚れをした。
彼女のことしか考えられなくなり、どうにかそばに居たいと考えた結果ギルドに勧誘をして――それを拒絶したミサキと決闘することになった。
紆余曲折の末、カンナギは負けた。過程はどうあれ道は閉ざされたのだ。
それでも想いが変わることは今に至っても無かったが。
「愛とは」
歌うように呟いたカイロマリアはステップを踏み、くるくると回る。
愛という言葉そのものを。それを向ける相手を崇拝しているかのような面持ちで説き始める。
「捧げるもの――間違っても押し付けるものではないわ」
その声色には言葉にできない重みがあった。
それほどに抱え続けて肥大化したのだと、相対しているだけでわかる。
彼女もまた誰かを愛し、それを原動力として戦う者。
カンナギと同じだ。
しかし。
「確かにそうだね。あなたの言い分には全面的に同意するよ。……一部を除いて」
一部?
首を傾げたカイロマリアは口にせず問う。
わからないなら教えてやろう。この胸にある愛とは何か。
「愛とは」
多くの人と出会った。
誰かに愛を向けられることもあった。
人から人へ向ける愛を数えきれないほど見た。
星の数ほど存在するその中で、カンナギが一番美しいと思ったのは。
愛するフランと――彼女の相棒、ミサキを結ぶ想いだった。
「捧げるものではなく、ましてや押し付けるものでもない。愛とは――繋ぐもの。人と人を強く結びつけるためのものだ」
フランから実質的に身を引いたのも、隣にいるのがミサキだったから。
二人の強い結びつきには敵わないと思ったし、入り込めないと分かってしまったから。
それでもこの胸にある愛はフランとの繋がりで、大切なもの。燃やし、原動力となってカンナギをここまで運んできた。
「うふふふ……面白いですわね、あなた。嫌いじゃないですわよ……でも、何を説こうがわたくしを倒すことは不可能でしてよ!」
カイロマリアは余裕に満ちた笑みを崩さない。
再び傘を頭上に振り上げると石突から大量の爆弾が射出される。
あの自信は”あの方”から授かったというイリーガル、『非攻略対象』に絶大な信頼を預けているからだ。
ひいては愛する人への信頼――いや崇拝と言っても良いかもしれない。
だが。
(突破口は――ある!)
再び無数の爆弾が降り注ぎ、折り重なる爆発がカンナギを襲う。
何度も何度も脳髄にまで響く爆音が連続し、足元の砂を舞い上げる。
そんな戦争のような光景の向こうでカイロマリアはあくまでも淑やかに笑い続ける。
「うふふふ。いくらあなたでもこれだけ打たれれば……え?」
思わず目を見開く。
砂塵が晴れたとき、そこにはカンナギが立っていた。
五体満足ではない。身体のあちこちが抉れ、左腕も吹っ飛んでいる。
HPは目視できないほどまでに削られてしまった。
だが。
その瞳だけは光を失わない。
「どうして倒れずにいられるの……! 攻撃範囲も威力も逃れられるようなものじゃなかったはずなのに」
このイベントのために作られたカイロマリアのアバターに武器。
それらは十把一絡げのプレイヤーなら手が出ないような特級品だ。そこから繰り出される攻撃の威力もまた絶大。
だが、カンナギは『それがどうした?』と言わんばかりに笑みを作る。
「僕はギルドの長だ。みんなの前に立つ者だ。そんな奴が簡単に倒れたら仲間を守れないだろう」
「…………っ!」
カイロマリアは知らなかった。
彼女は映像で見たカンナギを、データ上のカンナギを知っていた。
しかし。
カンナギというプレイヤーは。
あのミサキに自分よりも強いと断言させ。
『二度と戦いたくない』とまで言わしめた強者なのだと知らなかったのだ。
「攻撃対象にならなくなる――確かに強力な特性だ。並のプレイヤーなら手も足も出ないだろう。だけどね、これでも僕は強いんだ。君じゃ足元にも及ばない!」
勇者の全身から黄金の闘気が溢れ出す。
甚大なダメージによってグランドスキルの発動条件が整ったのだ。
だが、それを目の当たりにしたカイロマリアはわずかに引きつった口元で笑う。
「は――それがどうしたというのですか! わたくしは知っているのです、あなたのグランドスキルは狙った相手を確実に撃ち抜く雷! しかしそれではわたくしの『非攻略対象』には届かない!」
そう、カンナギのグランドスキルはあくまでも相手を狙って撃つ技。
対象に取れなければ圧倒的な追尾力は意味を成さない。
しかしカンナギは余裕の笑みを崩さない。携えた聖剣を目の前の地面に突き刺すと、残った右手を天へと掲げる。
「ステロペス。アルゲス。ブロンテス――――放たれるは絶命の雷」
朗々と紡がれる起動コード。
それを前に、貴婦人は思わず一歩後ずさり、直後に驚愕する。
あの攻撃は自分に届かない。理性でそれを理解しているはずなのに、恐れを感じている。
「……どうしたんだい? あなたのイリーガルは無敵なんじゃないのか」
その言葉にかっと頭に熱が灯る。
そうだ。賜ったイリーガルに死角はない。
ならば恐れることなど何もないはずだ。
「――――いいでしょう! ならば放ってみるがいいですわ!」
「ああ……では望みどおりに――撃ち抜け、【ケラウノス】!!」
残った起動コードを言い切るとともに右手を突き出し、眩く輝く雷を放つ。
七色七条。必中必殺の雷、【ケラウノス】。どれほどに耐久を高めた相手でも焼ききり、どれほど速い相手でも必ず捉える。
そんな絶対の雷が一直線に駆け抜ける。
そして――逸れた。
カイロマリアの前で緩やかにカーブを描き、見当違いの方向へと突き進む。
これでカンナギは長大な技後硬直を晒す。あとは動けないところを軽く小突くだけでおしまいだ。
「……あははははっ! やっぱり駄目でしたわね、勝負はわたくしの勝――――」
「僕の勝ちだ、カイロマリア」
「は……?」
確定した勝利をカンナギは遮る。
貴婦人がその意味を考えようとした瞬間のことだった。
カイロマリアの背中を膨大な質量を持つ虹雷が貫いた。
「がっ……は……!?」
緩やかに進む時間。
困惑の中、カイロマリアは背後に視線を投げる。
その空中に焼き付いているのは、弧を描く雷の残跡だった。
(まさか……あのスキルはわたくしを狙ったわけでは……ない……!?)
そう。
対象に取れないというのは、どんな攻撃も逸れるという意味ではない。
現にカイロマリアは自分の起こした爆撃は傘で防いでいた。つまり自分以外を狙った攻撃は逸らすことができないのだ。
だからカンナギが取った対策は、【ケラウノス】のホーミング性能を活かして軌道上のカイロマリアを貫くというものだった。
彼の思惑にたどり着いたカイロマリアは絶命しながらも言葉を紡ぐ。
「あなた……自分を狙ったのね……! 放った雷はまっすぐ進んだ後、その追尾力によってUターンして……あなたとの直線上に立っていたわたくしを……撃ち抜いた……」
どさっ、と重い音を立てて貴婦人が砂の地面に倒れ伏す。
しかしその顔はまだ死んでいない。完全な消滅まではまだ少し時間がある。
(だけどそのホーミング力が仇になりましたわね……! 技後硬直中では自身へ向けた雷への対処は不可能ですわ!)
「ご名答。と言いたいところだけどちょっと違うかな」
七色七条の雷はカンナギに向かって真っすぐ突き進み――目の前の聖剣に直撃した。
ハレーションを起こすほどの光を放ち、聖剣は跡形も無く消滅する。同時に目標を打ち倒した虹雷もまた霧散した。
「勝つなら完璧に。相打ちしてでも勝つ……なんてこの僕がするわけないだろう」
「そん、な……」
「【ケラウノス】は僕の愛すべき仲間たちがくれた最強のスキルだ。これもまた愛。みんなと僕を繋ぐ力だ」
完全に打ち負かされたカイロマリアはぱたりと顔を俯け、全身が青く輝き始める。
彼女はもうすぐ消滅し、仕掛けが作動するだろう。
(ああ……もう一度あなたに会いたかった……)
貴婦人は消えかけた身体でなおもカンナギを睨み付ける。
「……わかってるはずですわよね。このイベントが終われば『アストラル・アリーナ』はおそらくサービスを継続できない。そうなればあのティエラは……」
「ああ。わかっているとも――わかっているんだ、そんなことは」
負け惜しみのようなその言葉。
しかし、それはカンナギの胸を深くえぐった。
フランはいわばゲームキャラだ。
ゲームが無くなればその存在はどうなるかなど考えるまでも無い。
静寂が訪れた公園の空を見上げ、カンナギは胸中で呟く。
――――頼んだよ。
今も最上階を目指しているであろうミサキへと後を託し、勇者は静かに目を閉じた。




