284.落ちこぼれのゲートマン
運営から仕様外の力を与えられた”門番”はなおも塔の入り口で暴力の限りを尽くしていた。
数の上では圧倒的にフランたちが有利。しかし全てのステータスが上限値に達する閾値の前では大した意味を成さない。
ただ突進するだけで即死級の破壊力。
全ての攻撃がろくに通らず、その速さは目で追うことすら困難だ。
だが。
「この女ぁ……いい加減邪魔なんだよ!」
門番の突進を受け止めると、それだけで周囲にとてつもない衝撃波が波及する。
現在戦闘に参加しているのはフランのみ。たったひとりで門番の猛攻を受け止めていた。
足元を支えていた粘着する蜘蛛の糸が引きちぎれ、フランの身体が吹っ飛ぶも、新たに生成された糸が全身を受け止めて舞台外への落下を防ぐ。《WWWスパイダーネットワーク》。背中に張り付いた機械製の蜘蛛型アイテムの効力だ。
HPがゼロになったフランの身体の力がガクン! と抜けるもすぐさま全身から光の粒が溢れ出し、全快する。
ゆっくりと立ち上がるフランの目の先には明らかに苛立つ門番の姿があった。
「お前何回殺せば死ぬんだ……!」
「さあ、何回でしょうね」
余裕の体で挑発するフラン。
しかしその内心は憔悴しきっていた。
フランの命を支えているのは《エリキシル・フローラ》。
HPが一定以下まで減少した瞬間自動発動し大幅に回復するアイテムだ。
明らかなバランスブレイカーだが、当然リスクはある。
使用回数に限りがある上に発動するたびに最大HPが減っていく。つまり死にやすくなる。
この戦闘においてはどちらにせよ何を喰らっても即死だから関係はないものの、本番は門番を倒したその先だ。
「フランさん、無理しないで僕らにも戦わせて――――」
「駄目よ。みんなは下がってて」
前に出ようとしたカンナギを鋭く制止する。
彼らをここで消耗させるわけにはいかない。
だからこそフランが身体を張る必要があった。
はっきり言ってこの敵に太刀打ちするのはこの場の誰にも不可能だ。
幸いにもこの敵は武器を持っておらず、なぜか単純な攻撃しかしてこない。
主にタックル、時折パンチ。それくらいだ。
だからこそこの戦法が通用する。
疑似無限回復によるゾンビタンク。
本来後衛向きの錬金術士が担う役ではないが、この場合はこの選択肢しか取れない。
「オラァッ!」
再び見えない速度のタックルが炸裂し、フランが吹き飛び絶命する。
そして自動回復が発動し、立ち上がる。
先ほどから何度もこれの繰り返しだった。
ルキやフェリのような年少組は見ていられないとばかりに顔を逸らして震えている。
門番は苛立っているのかムキになってフランだけを狙っているのも功を奏した。
そこもまた幼く子供っぽい印象を受ける。
「がっ……――はぁっ! はぁ、はあ……」
「お前さ、わかってるか? こんなこといくら続けたって勝てないんだってば」
門番の表情には呆れが滲み始めていた。
確かにその通り、仮に無限に回復できたとしても敗北を免れるばかりで勝利には繋がらない。
このゲームという世界では疲労も無い。だから”門番”は何時間でも攻撃し続けることができる。
「あなたこそわかってないみたいね。ここまで時間をかけた時点であなたの負けよ」
「はあ? 何を言って……」
その時。
蒼い流星が門番の顔面に直撃した。
「ぐあああああああっ!?」
吹っ飛んだ。
ダメージを受けた。
あの門番が。
全てのステータスがカンストしている圧倒的な数値の権化が。
その流星の蒼を形作っていた炎が散ると、小柄な少女の姿が現れる。
「間に合った」
凛と立つその少女は黒髪黒目の少女、ミサキ。
塔の入り口を開く鍵を手に入れるため仲間のもとから離れていた彼女は、今こうして帰還した。
急襲を受け扉に激突していた門番は、あからさまに動揺した様子で立ち上がり叫ぶ。
「お……お前! どうやってここまで上がってきた!」
「ちょっとズルした」
こともなげに告げると爪先で床をとんとんと叩く。
ミサキが行ったのは、マリシャスコートの力による無限ジャンプで塔の高度まで上昇しただけのこと。
それを説明する義理も暇もない。
「遅れてごめんねみんな。この通り、鍵はちゃんと持ってきたよ」
手の内に握っていた小さな鍵を見せびらかすように振ると、幼さの残る門番の顔に驚愕の色が濃く現れる。
「バカな、あのマシンの速度に追いつけるわけがない! お前でも追いつけないよう設定されてるって……」
「数値なんて大した意味ないよ。それを今から教えてあげる」
うろたえる門番をまっすぐ見据えて言い放つ。
傍らに腰を落としたフランはそんなミサキを見上げると柔らかに笑った。
「全く、大遅刻よ。そんなにあのウサギが速かったの?」
「……ううん。大変だったのはむしろその後かな」
マリスの力を使うことでウサギロボには追いつくことができた。
しかし本番はそのあと。マリスに浸食されたエルダとの決着をつけ、ミサキはこうして戻って来た。
エルダが消え、代わりに表れた淡い光はこの塔を目指し飛び去ったかと思うと、その内部へと溶けるように姿を隠した。
あれがどんな意味を持つのかはわからないが、とにかく何をするにしてもまずは塔に入らなければ始まらない。
「ミサキちゃん! その門番、全部のステータスがカンストしてる! 私たちじゃ太刀打ちできなかった……」
フェリの上げた声にわずかに目を見開くと、ミサキは振り返って笑顔で頷いた。
一切の恐れを感じていない。そう安心させてくれるような表情だった。
「数値に意味がないだって……? この世界じゃそれが全てだろ! 全てを壊す攻撃力! 一切の攻撃を通さない防御力! 誰も追いつけない素早さ! それがこの俺だ」
空に響くいきり立った高説を無視し、ミサキは歩いていく。
門番はマリスの力を使っていない。よってミサキもマリシャスコートは使えない。対マリスでないと攻撃がすり抜けてしまうからだ。
つまり今はゲームシステムに沿った行動しかとれない。
数値の暴力。
ゲーマーであるミサキはその強さを骨身に染みて知っている。
どれだけ腕に差があっても、レベル差やステータス差で簡単に覆されてしまう。
だがミサキは臆さない。
ためらいもない。
「さあ、見せてあげなさい――あなたのやり方を」
フランの声を背中に受け、門番の目前で立ち止まる。
その体格差は何倍もあり、ミサキはほとんど真上を見上げているような格好になる。
「さっきはどうダメージを与えてくれたのか知らないけどな、もう通用しないぜ。やれるもんならやってみろよオラ! ステータスなんて意味ないって言うならさ!」
余裕たっぷりの挑発を繰り出す門番を前に、ミサキはただ拳を握る。
変わることなく、いつも通りに。
「じゃあ――お言葉に甘えて!」
破裂音がした。
何かが空気を貫く音だった。
その正体を門番は知らず――気が付けば再び扉へと叩きつけられていた。
「…………? ……??」
何が何だかわからない、といった様子で自分の身体とHPバーとミサキを順繰りに見つめる。
目の前に立っているのは今しがた拳を振り抜いた少女がひとり。
その彼女に殴り飛ばされたのだ、と気づいた瞬間恐怖が全身を駆け抜けた。
同時に同量の怒りが湧きあがる。
「おま、お前……いま、ぼ……俺に何をした。どんなチートを使ったんだよッ!」
「……あれ、知らないんだ。運営側の人だとばかり思ってたんだけど……」
その呟きに門番の顔色が変わる。
「わたしはただクリティカルヒットを出しただけだよ」
「そ、それが……なんだっていうんだ」
「このゲームのクリティカルはね、相手の防御力を完全に無視するんだよ。ようするに君のカンストした防御力は何の意味もないってこと」
「なんだ……それ」
このゲームを始めた初期のころ。
武器を装備できなかったミサキは本来攻撃スキルに使うスキルポイントをクリティカル関連のパッシブスキルにつぎ込み、確定クリティカルを実現した。
武器やスキルが使えず火力に悩んだ末に編み出したのがこの戦法だった。
スキルと比べて大幅に威力で劣る通常攻撃を極限まで極めるスタイルは、これまで数々の敵を打ち倒してきた。
「ふざけんな……なら僕は……俺は……! うああああああっ!」
響き渡る咆哮。
直後、鈍い音がした。
門番の顔面に拳が突き刺さる音だった。
「がはっ!」
「所作を見ててわかった。君って速いし強いけど……巧くはないよね」
ミサキには珍しい辛辣な物言いに門番の顔面が引きつる。
それはまるで心の柔らかいところを切り裂かれたような反応だった。
「黙れ……黙れええええっ!」
再び、打撃音が炸裂した。
もう一度。二度。三度。四度。五度。
それは後ろで見ているフランたちが言葉を失うような光景だった。
さっきまで自分を苦しめていた相手が赤子のように殴り倒されている。
「ごめんね。わたし今ちょっと怒ってるんだ。だからこれは八つ当たり」
「……は。はははははは!! もしかしてあれか、哀れな実験体のことか!?」
ぼろぼろの巨体が放った嘲笑に、ミサキの眉がぴくりと動く。
実験体。嫌な単語だ。
その単語が、”彼女”と接続されてしまうであろうことも不愉快だった。
「なにを知ってるの?」
「知ってるさ、知ってるんだ! ”あいつ”が話してたんだ! お前への対抗心を持ってる奴にマリスを渡して暴走させ、経過と反応を見る――ってなあ! それでお前が疲弊すれば万々歳だってよ、だからあいつは単なる捨て駒で……ぐえっ!?」
へたり込んだ門番の、身体に埋まってしまいそうな短い首にミサキのブーツの裏が叩き込まれた。
門番の喉から妙な呼吸音のようなものが連続する。まともに声を発することができない様だった。
(――――……)
そうだったのか、と腑に落ちる。
やっぱり利用されていたのか。
彼女が暴走したのは自分に原因がある。
だけど。
その何者かに唆されなければあんな事態に陥ることは無かったはずだ。
もっと違う結末があっても良かったはずだ。
ああ――腹立たしい。
彼女の心に付け込んだ誰かも、その原因を作ってしまった自分のことも。
「もう何も言わなくていい。あの人のことは、あの人とわたしにしかわからないし、知らなくていい。だけど――侮辱することだけは許さない」
気づけば息を止めていた。
この世界で呼吸する必要はないが、そんなことは関係なく息のひとつですら見咎められて、本当に殺されてしまうと思った。
それほどに目の前の少女は濃密な殺意を放っていた。
かと思えば、にこりと満面の笑みを浮かべる。
しかしそこから殺意は全く失せていなかった。
「黙れてえらいね。じゃあ……おしまいにしようか」
門番が最後に見たのはその笑顔と。
圧倒的な質量で押しつぶすかのような拳撃の嵐だった。




