282.レクイエム
エルダに渡されたマリス・シードはいったいどれだけの濃度だったのか。
そう問いたくなるほどの異形に彼女の身体は変化していた。
巨大な要塞のごとき威容。全身は数えきれないほどの触手と突き出す無数の砲身で構成され、中心部からは抜け殻のようなエルダの上半身が突き出ていた。
それだけが、あの怪物がエルダであると証明していた。
「……ちょっとだけ我慢してね。絶対なんとかして見せるから」
呟くミサキの前で大量の砲身が鎌首をもたげる。
要塞の全身から生えるおびただしいほどの砲身が全方位をカバーしていた。
とにかく何としてもあれを倒さなければならない。そう覚悟を決めて拳を強く握りしめた、その瞬間だった。
光が。
爆発した。
「………………………………ッ!?」
ミサキが知覚したのはそれだけ。
空に舞い上げられているのに気づいたのは数秒後の事だった。
痺れる全身はくるくると無様に回転し、上下左右が全くわからない。
わかるのは吹っ飛んでいることだけで――混乱しているうちにしたたかに身体をうつ。砂浜に落下したのだ。
「なにが起こって……?」
未だ振動する大気の中あたりを見渡すと、すぐに異変に気づく。
砂浜も、岩場も、そして海面ですらも――至る所が不自然に削り取られている。
まるで彫刻刀を通した木板のように。
(いったい何が? ……ううん、だいたい見当はついてる。確かめなきゃ)
ミサキは足元の影を極めて薄くのばして顔の上半分に貼り付ける。
視界は覆わず光だけを削減する、対閃光防御。
これであの光の正体を見極める。
衝撃に備え体勢を低く落とすと、禍々しい要塞は再び砲身の準備に入る。
そして再び爆発――いや。
今なら見える。
あの要塞が強烈な光の砲撃を四方八方に撒き散らしているのが。
まるで光の洪水だ。
そのうちの一本がミサキの方へ突き進む。
光の速度と錯覚してしまいそうな圧倒的な弾速。
しかしそうでなくとも反応しきれるものではない。
迫り来る光圧をミサキはとっさに分厚い影の盾で受け止める。
「う、ぐううううううッ!!」
あまりの威力に防御が意味を成していない。
防いだ影が削られていくのがわかる。
(受けきれない……なら!)
影の形を変形させる。
垂直に受け止めるのではなく、弧を描く。
光の砲撃はアーチを通り、上に向かって軌道を逸らされどこまでも飛んでいった。
「……危なかった。でもだいたいわかった」
あの砲撃はエルダが切り札としていたスキル、【パイレーツ・カノン】だ。
元々極めて高い威力を誇るスキルで、ミサキならまともに喰らえば即死してしまう危険性すらあった。
それがマリスの力でブーストされたものが、さっきまで人の形を保っていたエルダが使っていたもの。
そして要塞は、それを全方位に発射する。
辺りの地形はまたも無惨に削り取られテクスチャの下が見えてしまっている。
美しいグラフィックを誇っていた海もまた同じく、出来の悪いコラージュに成り下がっていた。
当たればマリスの力を使っている今のミサキと言えど一発で消滅してしまいかねない。
だが、今のところわかったのは――あの海魔の要塞はこちらを認識していないということ。
あの無数に並ぶ砲身はこちらを狙っていない。今しがた命中しそうになったのも、偶然砲身が向いた先にミサキがいたからだ。
一撃目で吹き飛ばされたのは直撃したのではなく、近くに着弾した衝撃によるものだったのだろう。
砲身の根元は蠢く肉で構成されており、可動域に問題があるようには思えない。その気になれば大量の砲口をこちらに向けることもできるはずだ。
だからあの要塞は無差別に攻撃しているに過ぎないのだろう。
ただ破壊を繰り返すだけの存在。
それは目をつむってがむしゃらに腕を振り回す、幼子の行動にも思えた。
身体はまだ平気だ。
度重なるマリシャスコートの使用で精神に馴染んでしまったのだろうか。
それとも感覚が麻痺しているだけで実際は蝕まれているのか。
どちらでもいい。
エルダを取り戻す。そのために戦っているのだから。
「さて、ちょっと無理しちゃおうかな!」
何度目かの閃光を放ち始めた要塞を見据え、ミサキは重心をぐっと低く落とす。
同時に蠢く影は身体の前面に広げる。しかしその形状は先ほどまでの盾やアーチではない。
顎。
怪物の大口を模した形状に変形した影が鎮座する。
直後、おびただしいほどに並ぶ砲身から光が溢れ出した。
そのうちの一条が的確にミサキへと飛来する。
だがミサキは動かない。
回避しようという意志がない。
その大口でもって、凄まじい砲撃を真正面から受け止める。
「ぐっ! う、ぐううぅぅ……ッ!」
光の束が顎に飲み込まれていく。
その圧倒的に思えるエネルギーの塊を、全て吸収していく。
いや、吸いきれてはいない。取り込んだエネルギーはアバターが破裂しそうなほどに荒れ狂い、それ以前に閃光の威力も直接受けてしまっている。
内外からズタズタにされる感覚がミサキを襲う。
(痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い! ……でも――――)
同時に、全身に力が満ちていくのを感じる。
それにこんな痛みはどうだっていい。どれだけ苦しくても、そう思える理由がある。
エルダを助けなくては。
今のミサキにはそれしかなかった。
いつしか砲撃は止んだ。
うなだれるミサキの目前で影の口がぎゅるりと捻じれ、体内に吸収される。
「マリシャスコート深度2『シャドウスフィア・テスタメント』」
背中にはためく影翼がその変貌を表していた。
深度2。フランのそれと違ってミサキのマリシャスコートは任意にその姿にはなれず、相手のマリスを喰らうことで”深化”する。
「行くよエルダ!」
はためく翼が電脳の大気を叩き、主を空中へと運ぶ。
飛び上がったミサキは空中を蹴ると一気に加速した。
要塞は迎撃しようとしているのか、すでにチャージが完了したエネルギーを砲口から発射した。
まさに弾幕。
しかしミサキはその合間を掻い潜り、なおも要塞へと接近していく。
もうすぐ到達する。だがそう思った直後、要塞から生えそろった無数の触手がミサキへと伸びる。
まるで外敵を逃がさず仕留めんとする感覚器のような役割。
ミサキはそのスピードを生かして跳びまわるも、
「数が多い……くっ!」
何本かの触手がその足を捉える。
だがミサキはぐるりと身体を回転させると影を刃のようにして戒めを断ち切る。
一瞬の沈黙。ミサキはその隙を逃さず一気に高度を上げると、要塞の真上から真っ逆さまに落下し拳撃を炸裂させた。
「――――――――!!」
歌のような悲鳴が響き渡る。
それは本来なら耳を塞ぎたくなるような歪音だったが、ミサキは平然と距離を取る。
その全身から溢れ出すオーラはグランドスキルの発動準備が整ったことを意味していた。
「終わらせるよ」
背中の翼が音も無く捻じれると切り離され、別の輪郭を形成していく。
それは人型。もっと言えばミサキと同じ姿。
レベル2の力は影で自らの分身を作れること。
影は増殖を続け、あっという間に9人の分身を作り出した。
分身たちは素早く飛行すると要塞を囲むように滞空する。
ミサキを含めて10人が配置につく。
そして。
「来たれ、寂寞満たす漆黒よ」
ミサキが静かに呟くと、本人だけではなくすべての分身に漆黒のエネルギーが充填される。
ただグランドスキルを放っても倒しきれない。ならば数を増やせばいい。
シンプルにして真理だ。
「――――――――【ダークマター】!」
とてつもない質量の黒い閃光が放たれる。
十条の黒は要塞へと直撃すると、海を干上がらせてしまいそうなほどの大爆発を起こした。
「…………ッ!」
その衝撃は放った本人も関係なく巻き込み、そして――――。




