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ガールズ・ゲームVR ーアストラル・アリーナー  作者: 草鳥
最終章 わたしたちは
280/325

280.溟底


 どうして教師になろうなんて思ったんだっけ。

 

 両親はいつも喧嘩していた。

 必死に耳を塞いで耐え忍ぶか、こっそり出歩いて補導されるか。

 それが少女だった頃アタシが過ごした放課後だった。

 

 気が弱かったアタシはその境遇を、鬱屈とした感情を誰かにぶつけることもできずひたすらに我慢してきた。

 同じことを繰り返すだけの毎日。賽の河原のような日々。

 ずっと海の底に沈んでいるような息苦しい絶望がアタシの全てだった。

 

 いつのことだっただろうか。

 いつものように学校で過ごし、終業のチャイムが鳴った瞬間、『あ、またあの家に帰らなきゃいけないんだ』と思ったあの瞬間。

 アタシはその場に立ち尽くしたまま泣いた。

 目を見開いて、自分が泣き出してしまったことにも、周囲の視線にも気づかず、ぼたぼたと自分の机を濡らした。


 今思い返すと限界だったのだろうなと自覚できる。

 とにかくその時は辛くて辛くて仕方なくて――そんな時。

 慌ててアタシの手を引いて保健室に連れて行ってくれたのが担任の先生だった。

 

 ――――大丈夫……じゃないよね。ええと……ええと……。


 養護教諭はその時ちょうど席を外していた。

 それもあってかまだ新任だった先生は、それはもう慌てふためいていたのを覚えている。

 そんな姿を見ていると、なんだか泣いているのが馬鹿らしくなった。

 

 ――――ごめんなさい。


 何とか涙も引いたので、まだ少し震える声でそう零したアタシはさび付いた丸形のパイプ椅子から立ち上がる。

 なんというか、恥ずかしかったのだ。弱みを見せるのも甘えるのも、両親があんな感じだったアタシには難しかった。

 それに先生だって仕事がある。ひとりの生徒ばかりに手を掛けてはいられない。

 中途半端に利口だったアタシはそうしてその場を去ろうとしたのだけど。


 ――――待って。


 手を握られた。

 温かくて、アタシよりも大きい手。

 離すまいと力強く握られていたが、痛くは無かった。

 手を握られるなんていつ振りだっただろう……なんて、その時はそんなことを考えた覚えがある。


 ――――もう少しだけ休もう。


 真剣なその瞳に、いつの間にか座り直していた。

 気が付くと身の上をぽつぽつと口にしていて、面白くも無いそんな話を先生は親身になって聞いてくれた。

 アタシはいつの間にか泣いていて、先生が優しく頭を撫でてくれた。

 本当に久々に、アタシは呼吸ができたような心地だった。


 それから、しばらく経って。

 両親が喧嘩することは無くなった。少なくとも、アタシがいるときは。

 それと少しだけ優しくなったような気がする。

 今までは夫婦喧嘩するためだけに生きているような有様で、アタシのことなんて眼中にないような感じだったのに。


 なんでも、先生が両親に直談判したらしい。

 先生と彼らの間にどんなやりとりがあったのかは今もわからない。

 わかっていたのは、先生が自分の立場を危ぶまれても踏み込んだということ。

 そして、先生がアタシを救ってくれたということだけだった。


 ――――先生、転勤しちゃうって本当?


 ――――うん。この学校に来るのは今日で最後になるかな。


 その日交わした言葉も、アタシは忘れていたのだろうか。

 アタシのルーツになるあの時を。


 ――――どうしてアタシのためにそこまで。放っておいても良かったはずなのに。

 

 ――――放っておけないよ。


 いつも柔和な笑顔を浮かべていたその人が珍しく真剣な表情をしていてドキっとした。

 こんな顔をする人だったのか。


 ――――だって■■■■■■■■■■■■■■■■■■■…………


 あれ?

 先生の顔が、言葉が――思い出せない。

 黒く塗りつぶされて何も見えなくなっていく。


 あの人はあの時なんて言ってたんだっけ。

 アタシはどうして――――





「ミサキ……ミサキイィィィィィィィ!!」


 地獄の底から響くような雄たけびを上げ、エルダが獣のように飛びかかる。

 その眼からは少しずつ理性が失われようとしていた。


「エルダ……!」


 空よりの襲撃に対し、ミサキは拳を振り抜きカウンターを試みる。

 漆黒の影を帯びた手がエルダの顔面を捉え――しかし。

 殴った鈍い感触は一瞬。まるで霧のようにエルダの実体が消える。

 どんな攻撃でも一度だけ無効にするスキル、【亡霊船長】。もはや彼女のスキルはシステム上のスキルではなく、マリスとしての攻撃技能と化している。


「オラァッ!」


 どこからともなく荒々しく振り抜かれたカトラスがミサキの右肩を深く裂く。

 とっさに身をずらしていなければ腕が切り落とされていた――ダメージを受けながらも立ち上がり、ミサキは影でブーストした脚力でなおも接近を試みる。

 何度でも。バカの一つ覚えと言われようとも、ミサキは拳を固く握りしめる。


「ハッ、学習しねえな!」


 エルダの身体に黒い霧が薄く纏わりつく。

 確かにこのまま普通に攻撃してもまた無効にされるだけだ。

 だが、


「歯食いしばっといた方がいいよ」


 その静かな呟きに眉をひそめようとした途端。

 ハンマーで殴られたかのような衝撃が顔面を襲い、エルダの身体が真横に吹っ飛び海岸の岩にノーバウンドで激突した。


(な……んだ……!?) 

 

 攻撃は無効にできるはず。

 だというのに、今の威力は完全に直撃のそれだった。

 防げなかったわけではない。【亡霊船長】は確実にミサキの殴打を無効にした。

 疑問が頭の中を駆け巡る中、ミサキがゆっくりと歩いてくる。その手に纏う影が禍々しくうねっているのが見えた。


「防げるのは一度だけ。だったら一瞬で二度攻撃すればいい」


 おそらく。 

 ミサキは殴る直前に手に纏った影で攻撃したのだろう。

 一撃目のその影を霧が無効にし、直後二撃目である本命の拳が突き刺さったということ。


(どこまでも……!)


 驚愕と怒りに目を見開いた瞬間、ミサキが加速する。

 大した助走も無くあっという間にトップスピード。

 迫りくる影に対し、エルダは左腕からいくつもの砲弾を撃ち出す。


「…………なんで」


 止まらない。

 苦し紛れの攻撃はことごとくミサキに回避され、影を纏って膨張した右腕が振り下ろされる。


「クソッ!」


 悪態をつきながら右に飛ぶと、地雷でも爆発したかのような衝撃が背後で響く。

 直後、崩れた体勢から放った砲撃がミサキに直撃――すっとんで砂浜に転がり、ふらふらと立ち上がった彼女の左腕は吹き飛んでいた。すぐさま影が断面に取りつくと黒い腕を形成する。

 マリスによる身体の欠損。本来なら絶叫してもおかしくないほどの激痛に苛まれているはずだ。


 だがミサキはむしろ悲しげな表情を浮かべていた。

 まるで車に轢かれた子猫を見つけてしまった時のような、取り返しのつかない絶望を見せつけられてしまった――そんな顔だった。


「なんでマリスになんか頼っちゃったんだよ」


 ぽつり、と零されたのはまるで涙のような言葉。

 今にも膝を折ってしまいそうな彼女は、それでも真っすぐ宿敵を見つめていた。

 それは後悔だろうか。憐憫だろうか。憤怒だろうか。

 そのどれともつかない感情が、ミサキの声に揺蕩っていた。


「エルダは見てたじゃん。シオちゃんが取り込まれるのを、目の前で。あんなの関わっちゃダメなんだって……なんでわからなかったんだよ……」


 ミサキはずっと見ていた。戦っていた。

 マリスの被害も、その恐ろしさも。

 だからこれは懇願以外の何物でもない。もうやめてくれ、と。


 しかし。


「…………お前が」 


 ぎり、と奥歯を噛みしめる音がした。

 エルダにはそんなこと知る由もない。

 自分の無力感だけに目を焼かれ、見えていたのはたった一人の背中だった。

 

「お前がそれを言うのかよ……!」


 エルダの左半身から――いや、全身から黒い瘴気が立ち昇る。

 その心に。怒りに。昂る感情に、マリスが呼応している。

 その身を冒すマリスが取り返しのつかない深度まで浸食を始めている。


「お前は負けて絶望することなんてないんだろ」


「エルダ……」


「てめえは負けても頑張れば次は勝てるって思えるんだろ! そんな奴に、アタシみてーな奴の気持ちなんて永遠にわからない!」


 肉の潰れるような不快な音と共に、エルダの左半身を覆う毒々しい腐肉がその範囲を広げていく。

 見る間に浸食した脈打つ肉は、とうとう右半身にまで到達した。

 もう戻れない。

 エルダの目には、もはや帰り道すらも映らなくなっていた。


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